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5.再会、それから
決行は金曜日。時刻は夜十時を回ったところ。辺りは静まり返り、人々にとって眠りの時が訪れようとしていた。
――少なくとも、この二人以外には。
「拓斗さん。準備はいいですか?」
「いつでもいいよ!」
「それでは、参ります!」
既に変化は完了。拓斗の姿をした狐乃音が、本人を目の前にしてそう言った。二人共、緊張感に満ちている。
――お兄さんの提案により、悔いの無いようにとあえて決行を一日ずらし、狐乃音と拓斗は昨日一日、目一杯遊んだのだった。
そして更に、昨日の夜はお兄さんの粋な計らいによってお別れ会を開いてもらい、二人ともお腹がいっぱいになるまでご馳走を食べたものだ。ケーキと、山菜稲荷がおいしかったなと、狐乃音は思った。
お別れパーティーが終わってからのことだった。
『具体的に、どうするんだい?』
お兄さんの質問に、狐乃音は答えたものだ。
『はい。私の神としての、力を使わせていただきます』
どのように? 疑問に思う二人を前に、狐乃音は実際に見せてみることにした。口で説明するよりも、実際にやってみた方が早いものだから。
狐乃音は自然な手つきで頭の後ろに手を伸ばした。鮮やかな赤い和紐で束ね、ポニーテールにしていた長い髪をしゅるっと解いていた。髪飾りとして和紐についていた金色の鈴が、ちりんと鳴った。
それから狐乃音は目を閉じて、数秒ほど何かを念じてから、改めて目を開けた。
……その眼差しは、くりくりとした子供のように可愛らしいものとは真逆の、鋭くギラリとした眼光を放つものだった。それ程に、力を込める必要があったようだ。
「うわっ!?」
「おおっ!?」
息を飲む男子二人。
今の狐乃音は、普段のほわほわした雰囲気からは想像もつかないほどの神々しさを感じさせ、怖いくらいに威圧的だった……。
「ふうぅっ! これで、準備完了です。本番前の練習ですが、いきますよっ!」
狐乃音はすうっと息を吸い込み、そして一気に吐き出した。
「はっ!」
「おわっ! 体が!」
狐乃音が全身に力を込めた瞬間、白い輝きが部屋中を包み込んでいた。
時間にして十数秒。輝きが去った後で、狐乃音は姿を変えていた。一人の少年へと。母に会わせてほしいと切に願う友人。拓斗の姿に。
そして、それだけではない。
拓斗の魂は今や実体を失ったかのように、真面目に幽霊をやっているように透過して、狐乃音の体に重なるように一体化していた。足も見えなくなっていた。
これにて、この家へと縛り付けてられていた枷を、完全に外されていたようだ。
「わーーー! 俺、こんちゃんと重なっちったーーー! 一つになっちったーーー!」
自分の変化に驚き、目を見開く拓斗。
お兄さんと拓斗は納得した。ああなるほど。これで、このまま目的の人物に近づいて、それでメッセージを送るのだなと。
できる! 三人は、そう確信した。
「ふぅっ! ……どうやら、上手くいったみたいですね」
狐乃音はやっと表情を緩め、安堵の表情を浮かべていた。この状態はかなり疲れるのか、大きく溜息をつきつつ、すぐに拓斗を元の状態に戻してあげた。
「すごいな」
「こんちゃんすげえ!」
鋭い眼差しに、光輝く姿。それはまさに、神秘的な光景だった。
男達二人は圧倒され、そしてどちらからともなく、神様の元にひれ伏していた。
「……やっぱり、狐乃音ちゃんは立派な神様だ。ちゃんと敬わなければいけなかったんだ。どうか、これまでの無礼な振る舞いをお許しください」
「……俺もそう思うよ兄ちゃん。すげえ偉い神様だったんだね、こんちゃんは。今まで気安く接したりして、大変失礼しました」
あ、それはだめですと、狐乃音は思った。
「うきゅぅぅぅっ! だめですやめてくださいおねがいです嫌ですぅ! お二人とも今まで通りに接してくださいよぅ~~~っ! 神様扱いしないでくだっさいぃぃぃぃ~~~っ!」
大変恐縮してひれ伏す二人に、狐乃音は本気で嫌がっていたのか、そう言ってやめてもらうのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
そして翌日の決行日。
夜が更けた頃のこと。
「拓斗さん。そろそろ行きますよ」
「うん!」
狐乃音が思っていた通り、拓斗の魂を連れて、お兄さんの家から出ることができた。
そして狐乃音は、事前にお兄さんから教えてもらった場所へと歩みを進めた。お兄さんの家のすぐ近くにあった、古びた小さなアパートへと。
目的の部屋に到着し、外でじっと張り込むかのように、窓の灯りが消えるのを待った。
そして今、その時が来た。狐乃音は拓斗と共に、部屋の中へと入っていく。……都合がいいことに、壁をすり抜けられて、ドアをこじ開けるといった荒事も必要もなかった。
「……誰かいるのっ!?」
――常夜灯のみが灯っている暗い部屋にて、女の人の声がした。
夜も更けたので寝ようとしたところで妙な物音が聞こえ、緊張感に満ちた声をあげた。戸締まりはしっかりしていてはずなのに、泥棒!? と思ったようだ。当然のことだ。
「お母さん。驚かせてごめんなさい。僕は拓斗だよ」
拓斗に扮した狐乃音は、最初にそう言おうと決めていた。
「拓斗?」
「あ、灯りはつけないでください! お願いです!」
(……こんちゃんこんちゃん! 違う違う! いきなりなんだけど俺は『僕』だなんて言わないし! お母さんに敬語なんて使わないよ!)
(うきゅうう! そそそ、そおでしたっ! ごめんなさい! 気をつけます!)
(緊張しないで! 落ちついて!)
(わわわわっわっかりましたあああああっ!)
「わかったわ。……その声は、間違いなく拓斗ね。でも、どうして? あなたは少し前に……」
「そ、そうなんです……だ! 僕……じゃなくてお、俺は、この前し、死んじゃいましたっ……死んじゃったんだっ! けれど、お母さんにどうしてもお伝えしたいことがあったから、地縛霊になって、まだ成仏できてなかったんです……だ!」
狐乃音は必死に、拓斗が伝えようとしていることを言葉にする。
(だめだめだめだめ! 狐乃音ちゃんしっかりしてーーーーーっ!)
(あああ! ごめんなさい全然だめです下手っぴですっ! 私大根役者さんですうぅぅっ! うきゅーーーーーっ!)
つい、敬語で喋ってしまうのだった。礼儀正しいところが、今では困りものだ。
「そうだったの。……あら?」
狐乃音が霊体の拓斗に厳しい演技指導を受け、悪戦苦闘している時、拓斗のお母さんは、何かに気が付いたようだった。
「ど、どうしたんですか?」
「その耳と尻尾。……あなた。狐さんね?」
「え?」
彼女に言われるがままに、狐乃音は自分の頭とお尻に手を伸ばしてみたのだった。そこには、確かに拓斗のお母さんから指摘されたものがあった。
きつねさん特有の、大きくてぴょこぴょこしたお耳と、ふっさふさでもふもふの尻尾。ああそうか。緊張と動揺のあまり、隠していたのを忘れて出してしまっていたようだ。
って、それどころではない! バレバレじゃないか! なんという大ドジをあっさりとしてしまったというのか! やっちゃったーーーーーーっ! もーーーだめだーーーっ!
「う、うきゅうううううううううううううううううううううううっ! あああ、あのっ! そのっ! これはっ! ええとっ!」
悪循環。一つのミスが、また新たなるミスを産む。悪夢の連鎖。
その瞬間、変化の術も完全に解けてしまい、狐乃音はいつもの巫女装束姿になっていた。
「ご、ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 許してください! 化かすつもりはなかったんです! 騙すつもりもなかったんです! 住居侵入罪も許してください! 拓斗さんはお母さんには見えないですが、今ここにいるんです! 本当なんです! 信じてください! どうしても直接お話ができないから! だから私は拓人さんの通訳さんをしようと思って、ここに来ただけなんです! 怪しいけど、怪しくないのです! うきゅぅぅぅぅっ! 許してくださいいぃぃぃぃ! ごめんなさいぃぃぃぃぃぃっ!」
びええええんと涙をこぼし、頭を床に叩きつけるようにして必死に土下座をする狐乃音。
未熟な女狐の浅知恵で、拓斗のお母さんの心を完全に傷つけてしまった。狐乃音はそう思った。到底許される事ではない。
「落ち着いて。私はあなたのこと、信じるわ?」
「え?」
「お話ししてもらえないかしら? 詳しく」
◆ ◆ ◆ ◆
――そこは居間。狐乃音はいつのまにか、拓斗のお母さんにお茶とお菓子を出してもらって、おもてなしをされていたのだった。
「と、いうわけなのです」
「そうだったの」
かくかくしかじか。狐乃音は、これまでの経緯をごまかすことなく詳しく説明した。もう、こういう時は、悪事がばれてしまったときは、綺麗に洗いざらい話すべきなのだ。
こんなちんちくりんだけど、どうやら自分は神であるようなのです。それゆえに特殊な力を持っていて、お兄さんの家に取り残されてしまった地縛霊の拓斗……彼を縛り付けていた枷を外し、ここまで連れてくることができたのだと。
「拓斗はそこに、いるのね?」
「はい。……拓斗さんは今、こう言っています。お母さんが、元気な体に生んであげられなくてごめんねって泣きながら言ってたのが、成仏できなかった理由なんだと思う、と」
「……」
「俺は、そんなこと気にしないでほしいと。お母さんの子供に生まれて、本当に良かったって、心の底から思っているって、そう言っています。だから悲しまないで。幸せになってと、そう言っています」
「そう。……わざわざありがとうね」
「きゅ!?」
拓斗のお母さんは穏やかな表情で、狐乃音を抱き締めていた。
「可愛い狐の神様。あなたの中に、拓斗がいるのね」
「はい」
「わざわざ連れてきてくれて、ありがとう。……そう。あのお兄さんの家にいたのね。確かに、誰かに説明されたところで、信じるのは難しかったと思うわ」
信じてもらえた。それはいい。けれど、こんな近くに、目の前にいるはずなのに、直接お話もできない。
そんなの、悲しすぎますと狐乃音は思った。
何とかしてあげたい!
(あ……)
何とか、できる。
その瞬間、狐乃音は思っていた。大分、リスクを伴う方法だけど、多分、できる。できちゃうのだ。
神として未熟だから? いろんなことをできるはずなのに、どうして気づかないのだろうと、狐乃音は思った。もどかしすぎますっ! と。
「拓斗さん。拓斗さんのお母さん。よく聞いてください。……これから、私の体を拓斗さんにお貸しします」
(おいおいこんちゃん! それって大丈夫なの!?)
「どういうこと?」
二人の疑問に、狐乃音は答える。
「私の魂を一旦体の外に出すんです。その代わりに、拓斗さんに、私の中に入ってもらいます」
(それ、すげぇやばそうな匂いがぷんぷんするんだけど! 精神とか壊れたりしない!? 大丈夫!?)
「ずっとそのままでいることも、多分できますよ。……それならそれで、構いません」
狐乃音はにっこりと笑った。
もしそれで、この二人が幸せになれるのであれば、いいですと思った。あっさりと、そんなことを狐乃音は断言したものだ。
(そんなこと、絶対しない! できるわけないっしょ!)
「そんなことは、望んでいないわ」
ああ、と狐乃音は思った。
皆さん、本当に優しい方なんですねと。
どんなことをされても、私は恨んだりなんてしませんよと思っていたけれど、無意識のうちに、試すようなことを聞いてしまっていたのかもしれない。狐乃音は配慮が足りなかったことを、心の中で詫びた。
「そうですか。……それじゃあ、時間もありませんし、早速いきますよ。拓人さん。お母さん。悔いの無いように、いっぱいお話をしてくださいね。私、できる限り頑張りますから」
狐乃音は、自分でできると思い浮かべた通りに手を組み、念じた。金色の光が辺りを包み込む。
自分の体を器として、友人の拓斗に差し出す。
具体的なイメージを頭に浮かべながら、狐乃音は自分の意識が体から離れていくのを感じていた。
(どうやらまた、成功、みたいですね。拓斗さん、さようならです。……さあ、お母さんといっぱい、お話してくださいねっ!)
狐乃音の配慮は更にあって、その体は再度、拓斗の姿に変わっていた。耳も尻尾もちゃんと隠してあるから大丈夫。
――光がおさまり、部屋には母親と息子の二人が残された。
「拓斗……。よく、来てくれたわね」
「こんちゃんのおかげだよ」
「会いたかったわ。ずっと」
「俺も」
涙を流し、抱き締め合う二人。
ずっと一緒にいたいけれど、それはできない。けれど、そんなことはいい。再び会えただけで、幸せなのだから。
「俺。お母さんの子供に生まれて、本当によかったよ」
「そう。そう言ってもらえて、嬉しいわ」
「自分を苦しめないで」
「ごめんね。心配かけちゃって。だめな母親で。……もう、大丈夫よ」
こうしてまた、奇跡の再会を果たすことができたのだから。
「あのお兄さんのお家で、狐乃音ちゃんといっぱい遊んだのね?」
「うん! いっぱい遊んだ! 楽しかった!」
「素敵なお友だちができたのね」
「俺。こんちゃんのこと、大好きだよ! 尻尾もお耳も可愛いし! すっごく優しいし! お母さんとお話までさせてくれた!」
ベッドに寝てばかりだった拓斗が、元気に遊んだことを話してくれている。楽しそうで、嬉しそう。お母さんも同じ気持ちだった。二人して涙が止まらない。
「よかったね」
「うん!」
でも、そろそろお別れをしなければいけない。
ずっと一緒にいたいけど。もっとたくさんお話したいけど。そういうわけにはいかないだろう。
このような素晴らしい状況を用意してくれた子を、危険な目に遭わせているかもしれないのだ。
「拓斗」
「お母さん」
母は、愛しの我が子を抱き締める。
狐乃音の体に大きな負担をかけてしまっているのではないかと、二人は何となく想像していた。だから、全身で温もりを感じ合う。
二度と会えないはずなのに、会わせてくれた。可愛くて優しい狐の神様のためにも、そろそろまた、お別れをしなければならない。
「本当に。よく、会いに来てくれたわね」
「うん」
「私はもう大丈夫よ。大丈夫だから」
「よかった」
もう少しだけ。あと少しだけ、このままでいさせてもらおう。抱きしめ合う力が、更に強くなった。
「お母さん……。大好きだよ」
「私もよ。拓斗……」
やがて、無情にも時は過ぎていった。
時計の針が、もっとゆっくりと動いてくれればいいのにと、二人は思った。
こうして、拓斗の魂は、天に召されていった……。
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