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6.静けさのなかで
「狐乃音ちゃん。狐乃音ちゃん」
「う~ん、むにゃむにゃ……。うきゅ?」
誰かが自分のことを呼んでいる。そんな気がして、狐乃音は目覚めた。
眼鏡姿の男の人。呼び掛けていたのは、お兄さんだった。
「はっ!? こ、ここは!? 拓斗さんは!? 私はなぜここに!?」
確か、自分の体を器として拓斗に貸して、それでお母さんと最後のお話をしてもらっていたはず。それが何故、お兄さんのお家にいるのか? まるで記憶が無くて、狐乃音は慌てた。
お兄さんは落ちついていて、静かに教えてくれた。彼は、成仏したのだと。
「拓斗はね。旅立っていったよ」
「そう、でしたか」
拓斗の望みを果たすことができて嬉しい反面、例え数日間の出会いだったとはいえ、仲良くなったお友だちと永遠の別れをすることになってしまった。寂しさが、狐乃音の気持ちを沈ませた。
「狐乃音ちゃんはね。丸一日眠っていたんだよ。相当疲れていたんだね」
「そ、そうだったんですか!?」
明かされる驚愕の事実。一体どういうことなんだろう?
「朝になってね。拓斗のお母さんが、狐乃音ちゃんをおんぶしてここまで連れてきてくれたんだ。詳しく教えてくれないかな?」
「はい。……その」
結局、当初想定していた作戦は完全に大失敗。
あっさりと、狐乃音の正体は割れてしまった。その後、話の成り行き上、何となく拓斗とお母さんが直接会話することができそうな気がして、一度も試した事すらない力を使ってみたのだ。その事も含め、狐乃音はお兄さんに、全て包み隠さず説明したのだった。
「というわけだったんです」
「そうだったんだ。お疲れ様。……恐らく、狐乃音ちゃんが使ったその力は、ものすごく疲れるやつだったんじゃないかな?」
「ええ。そうみたいです。……もしかするととんでもなく、命知らずだったかもしれません。でも……」
それでもどうにかして、拓斗とお母さんを、直接お話させてあげたかったのだ。狐乃音は精一杯、自分にできることを頑張ったのだった。
「あの……。拓斗さんのお母さんはその……。怒ったりしていませんでしたか? 私、騙すようなことをしちゃったから……」
「全然。本当に可愛くて優しい狐の神様だって、すごく感謝していたよ」
「そう、でしたか」
それなら、よかった。狐乃音はホッとした。
「当然のことだけど。息子に。拓斗にもう一度会えるだなんて、思っていなかったって。いっぱいお話をして、笑顔でお別れができたってさ。それでね。……お話が終わって、その後で狐乃音ちゃん。ふらふら~ってして、倒れちゃったんだって。恐らく、力を使い果たしちゃったんじゃないかなって、言っていた」
「うきゅぅ……。そ、そうだったんですか。ご心配……おかけしちゃいました」
「だから今日は一日、ゆっくり休んでね」
「すみませんです……」
これで、少しは人様のお役に立てただろうかと狐乃音は思いながら、溜息を一つつくのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
それから数日後。狐乃音の調子はすっかり元通りになっていた。
「ねえ狐乃音ちゃん」
「なんですか?」
「一つ。僕のお願いを聞いてもらえないかな」
「はい! 私にできることでしたら何でも!」
「それじゃあさ……。こんな風に、変化してみてくれないかな?」
「はい。……。こんな風にですか!?」
「うん。それでね。口調も変えてみてほしいんだ。書いてある通りのセリフを言ってみて欲しいな」
お兄さんに手渡された、台詞付きのイラスト。
それは、狐乃音と同じような狐の女の子が描かれていた。ただ、一つ二つ、狐乃音とは決定的に違っていたことがあった。
「ダメかな?」
「ダメじゃ、ないです。けど……」
一つは、そのイラストの子はとても背が高く、スタイルが良くてお胸がとってもボリューミーだということだ。大人の色気を漂わせ、誘うように、挑発するように妖艶な眼差しをこちらに向けている。何だかものすごくセクシーです、と狐乃音は思った。
二つめは、その子の尻尾は九本あったということだ。ああこれは、九尾狐、というやつだ。
「お兄さんは。このような、大人の雰囲気を漂わせた女性が好みなのですか?」
狐乃音はつい、好みを聞いてしまった。
「うーん。そういうわけでもないんだけどね。ただちょっと、こういう子が実際にいたら、どんな感じがするのかなーって思ったんだ」
「そうですか」
まあ確かに、簡単に実現できそうなお願いだ。お兄さんが喜んでくれるのなら、できる限り希望に応えてみよう。狐乃音はそう思うのだった。
「じ、じゃあ、やってみます。上手くいかなくても、がっかりしないでくださいね?」
「うん。お願い」
狐乃音は手渡されたイラストをじっくりと、端から端まで穴があきそうなくらい見つめて、頭の中にイメージを思い浮かべる。
そして立ち上がり、息を大きく吸い込んで、強く念じた。我が姿よ、変わりたまえと。
「お~」
狐乃音を中心として、部屋中が白い光に包まれていく。眩しさのあまり、お兄さんは思わず片手で両目を覆っていた。
それから時間にして一、二分程たったことだろうか。光は収束していき、やがていつもと変わらぬ部屋が見えた。けれど、狐乃音はいない。
「狐乃音ちゃん?」
「私は後ろです。振り向いてください」
声の通りに振り向くと、そこには小さな狐の神様はいなかった。代わりに、イラストの通りの女の子がそこにいた。
「どうです、か? イメージ、合っていますか?」
「うん。すごく。……格好いいよ」
見た目は大きく変われど、中身は礼儀正しいままだった。
「ありがとう、ございます。……えっと。このセリフ、言えばいいんですよね?」
「うん。お願い」
「では……。ゴホン。……わらわが狐乃音じゃ! ふむ、お主がわらわのしもべなのじゃな? よきかなよきかな! これから、たっぷりとこき使ってくれようぞ! まァ、せいぜい宜しく頼むぞ!」
短いセリフだったけれど、噛むことなく言い終えた。姿だけでなく、声の質も変わっていた。
「……」
「……」
おかしくなかっただろうか? 変じゃなかっただろうか? どん引きされていないだろうか?
というより、このセリフは思いっきりお兄さんのことを見下していることに、狐乃音は今更ながら気付いた。何がしもべですか? 何がこきつかってくれようですか? 一体あなたは何様ですか? その言い様は何なのですか?
とんでもない事を言ってしまったという後悔によって、狐乃音(お姉さんモード)のお顔が真っ赤に染まっていく。
「って、うきゅぅぅぅっ! な、な、何て失礼なことを言わせるんですかあぁぁ~~~! うきゅーーーーーーっ!」
あ、高貴で威厳のあるお姉さんから、見た目は美人だけど、実はとってもダメダメで残念でポンコツお姉さんにクラスチェンジしちゃった、とか、お兄さんは思った。計らずも、二度楽しめてしまった。お兄さんは、狐乃音に感謝していた。
――こんなふうに、二人の静かだけど愉快な日常は、これからもずっと続いていくのだった。
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