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十四話
その日は、夏の終わりで日も柔らかく、どちらかと言えば秋色のいい風の吹く、昼下がりだった。
シダークレー子爵と、エレナ・ルカリーが一緒になってやってきた。
サミュエルと、ロバートは二人を迎え入れた。
「お礼に来るのが遅くなりまして」
エレナ・ルカリーは黄色い庇のあるホテルの一室の窓から、下で繰り広げられた捕り物を見ていた。
シダークレー子爵によって助け出された後、野次馬たちが、自分たちが見たことと違うことを話しているので、混乱してしまったと、二人は詫びた。
「それで、混乱は治まりましたか?」
「いいえ、いくら考えても、無銭飲食だとか、そう言った事で片付けられません。
いえ、その前に。ガルシア卿。いいえ、解ってます。あなたがこう呼ばれるのを嫌っているのは。ですが、これは、正式なお礼です。どうか受けてください。
ガルシア卿。私の後見人に素晴らしい夫人をご紹介くださいまして、ありがとうございます。私、アリアナ・レスター子爵のお屋敷で、子爵の後見のもと大変幸せに暮らせてますの」
「アリアナはよくしゃべるでしょ?」
「とても楽しい方ですわ。そう、無口で面白みのない弟より、ヘンリーは頼もしいと言ってくださいます」
サミュエルは片方の眉を上げる。
「本当に、助けていただいてありがとうございました」
エレナはそういって頭を下げた。
エレナは、サミュエルのすぐ上の姉アリアナのところで、淑女見習いとして預かっているお嬢さんとして、正式にシダークレー子爵と交際を始めたという。世話好きで、おしゃべりなアリアナにはかっこうの仕事だろう。
アリアナからの報告でも、エレナの所作は一級品だという。
「あなたは旧家の家の人で?」
「ええ、跡取りも居りません、人のいい祖父は騙され領地を奪われ、私はサルバトーリさんのところで雇ってもらうようになりましたの」
「では、あなたの家を滅ぼしたのは?」
「ええ、そうです」
「よく耐えられましたね?」とロバート
「耐えなければと思うと苦痛でしたが、私も本が好きで、何と言いますか?」
「悲劇のヒロイン。ですか?」
「それです。いつか、いつか。と思っていました。掃除にしろ、料理にしろ、後々役に立つと思っていました。でも、」
「でも?」とロバート。
「ヘンリーに会ってからは、自分の身の不幸を嘆きました。もし、私の家があのままであれば、こんな、嘘偽りの姿で会わなくてもよかったのにと」
「そうですか。でも、今はこうして一緒におられる。結婚式はいつです?」
「来年の春にしようと思っています。ロバートには感謝しかありません。屋敷を譲っていただけるなんて」とシダークレー子爵。
「いえいえ、僕だっていくつもある領地を回れるほど体力はないんです。あそこの屋敷は以前本好きな人が治めていたというので、蔵書がたくさんあるし、領地は狭くて申し訳ないが、あなたたちに譲るのならと家族ともども賛成でしたからね」
シダークレー子爵は、アームブラスト村のほど近い小さな村の領主として、屋敷をアームブラスト家から譲り受けた。シダークレー子爵家はそこでしばらくのあいだ栄えることとなる。
「ところで、エレナさん、質問をしてもかまわないだろうか?」
「ええ、なんでしょう?」
「スタン伯爵、いや、ジョン・モンドという名のけちなギャンブラーでしたが、奴があなたを殺すわけないとは思っていました。あいつは女には興味はなかったからね。そして、ソフィアに恋していたキンケイド医師も、小心者だった。だから、あなたの身は安全だとは思っていたが、キンケイドは、伯爵は邪魔なら殺せと言い、彼は連れて行った。と言った。つまり、あなたはキリコにあのホテルに連れて行かれた。そうですね?」
「ええ、そうです。黒髪の男ですよね? キリコって。そうです。聖道着を着ていたけれど、まったく信仰心のない人でしたが、決して乱暴には扱われませんでした」
「なぜ、無傷でした?」
「……さぁ、私にも分からないのです。一度は、ソフィア様、いいえ、ソフィアではないので宝石や服をはぎ取って殺そう。と相談がまとまったのですが、そのキリコって人が私の顔を見て、気が変わったと言ってあのホテルに連れて行ったのです。
おとなしくしていれば危害は加えない。裏切るな。と言われました。ですけれど、私を探してくれる人は居ないでしょう。サルバトーリさんがお金を出すとは思えませんし、ソフィアさんが自身の思惑、カスタゴ伯爵と結婚するために、身代わりを立てていたなどと話すはずがありませんもの。
ですから、ヘンリーに何と説明するか解らないけれど、どうせろくな説明はしてくれないだろう。そうなったら、嘘をついていたからと嫌われてしまう。もう会えないのだと思うと、抵抗する気などありませんでした。
キリコは、食事だと言って、パンを二個と、ハムを買ってきてくれます。彼も同じものを食べていたので、「どうでしょうか、すぐそこで売ってるトマトを買ってきてくれたら、簡単なサンドウィッチが作れる」と言いますと、キリコはトマトを買ってきました。
それから、他に何が作れるかというので、材料として何が手に入るか? と聞きましたら、シチューが食べたいというので作ったりしました。
ですから、少し思いましたの。私、ここで、この人と、どうにも不思議な関係のまま死ぬのかしらって。
諦めていたんです。本当に。
でも、あの朝、どうしようもなくヘンリーを恋しく思いまして、思わず泣いてしまいましたの。そうしたら、キリコは取り乱し、
「どうして裏切るんだ」
と外に飛び出していきましたの。そうして、あの騒ぎです」
「私も、彼女が捕らえられ、そこから救出したのに、誘拐犯だとしてキリコは捕まらずにいる。最初こそ、誘拐犯だとか、殺人鬼だとか言っていた人の口が、徐々に無銭飲食をした聖堂服を着たコソ泥へと変わっていく。
一体何かの芝居を打たれているのだろうかと、我々はひどく孤立したようになり、あなた方は引き上げていくし、とにかく、私のさびしいアパートに帰ったのです。
翌日、あなたの家から、エレナに招待状が来るまで、二人でいろいろと話しましたが、さっぱりわからない。招待を受け、レスター子爵夫人に会い、
「あぁ、サミュエルがいて、面白いほど笑っていなければ身の危険はないわ」
という言葉にとりあえず安堵し、そして、過分なお心遣いに感謝し、早期に地盤を固めお礼にやってきたんです」とシダークレー子爵。
「キリコは、なぜあなたを殺さない。と。理由を何か言いましたか?」
「いいえ……、ただ、きれいな髪の人は好きだ。と言いました。あと、右目の下のほくろ、泣きぼくろだというのだってね。と言っていました」
「そう……。いやぁ、君たちが無事に幸せになれそうで気分がいい」
サミュエルは立ち上がった。
「結婚式に招待しても構いませんか?」
「もちろん。サミュエルともどもうかがうよ」とロバート
笑顔で二人は帰っていった。
秋風が涼しく入ってくる。そのうち、銀杏の匂いも運んでくるころだろう。
「ねぇ、サミュ? キリコ、いや、小田切 香佑は、一貫して母親を求めていたのだね」
「そうだろうね。黒髪のきれいな、泣きぼくろの女か。
だが、そう言ったものに執着するのは、不幸だね」
「そうかい?」
「そう思うよ。だってね、君、君は彼女のどこに魅かれたんだい?」
サミュエルが指さす入り口を見れば、エレノアが立っていた。
「やぁ、お守りご苦労だったね」
「お守りだなんてとんでもないですわ。ロバートのお母さまはとても素敵な方だし、皆さん親切だし。でも、さすがに、一か月も休みを取ると、会社をクビになると言って帰ってきましたの。今年の夏休みは、本当に楽しかったわ。お二人とも急に居なくなるので、皆さんがっかりしてましたよ」
ロバートは赤い顔をしながら、サミュエルを見る。
「本物だよ」と小声でサミュエル。
エレノアが来たことをマルガリタが喜び、サミュエルの後方でロバートを含めて大騒ぎをしている。
サミュエルはそうっと玄関を出て、目の前の通りを横切った。
ラリッツ・アパートは高台にあり、向かいには、道路の堤防があって町が見渡せる。その堤防に日傘をさした谷倉 奈留がいた。
「帰りますか?」
「ああ。もう用はないからね」
「もし、また妖魔が現れたら、戻ってきますか?」
「さぁね。そうそう、こいつがおまえさんを気に入ったようだから、あげるよ」
奈留が本虫を差し出す。サミュエルは本を受け取る。
「こいつはね、主に見つめられていたいらしい。だが、あたしは、本が大っ嫌いでね、……大事にしてくれたまえ」
奈留はそういって微笑み、歩きだした。その先に加寧がいて、頭を下げた。
「ねぇ、不老不死でいる事は、さみしくはない?」
奈留はくるりと日傘を回し、
「時々、若い友達ができるので、さみしいと思う暇はないよ」と言った。
秋の、強い風が吹き、サミュエルは目を閉じた。瞬間、奈留と、加寧の姿はどこにもなかった。
通りの向こうのラリッツ・アパートから、ロバートが腕を組んで立っていた。
「僕一人に、相手をさせないで、君も来いよ」
サミュエルは笑い、通りを横切った。
(了)
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