十二話

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十二話

 それはどのくらい遡ったら最初だというのだろうか? ある時代、江戸時代ではなく、明治かも、大正かもしれないころ、若い娘が真昼間、山の藪に引きずり込まれ乱暴されて出てきた。  娘の体には無数の獣のような爪痕が残っていたが、その時の子供は普通の人間だったので、犬か何かをけしかけて襲わせ、気を失っている間に乱暴されたのだろうと思われた。  娘は生んで早々その子を毛嫌い、育児を放棄し、村を出た。残された子供はその娘の曾祖母に育てられた。育てられたと言っても、曾祖母は目が悪く、体力もほとほと限界に近い老婆だったが、愛情は深かった。  その子供は老婆が「(おこ)」と名付けた。(おこ)が三つの時老婆が死んだ。だが、村人も、その(おこ)を気味悪がり家に近づかないので、老婆が死んだことに気づいたのは、腐臭が漂ってきた数日後だった。  その中で、(おこ)は泣きもせず、土間に座り、硬い米を喰っていた。  この不気味な子供を誰が面倒見たいと思うものか。その時ちょうど、人買いが村に来ていたので、ちょうど肉親が死んで面倒の見られぬ赤子がいると押し付けた。  (おこ)はその後、長治。勇。と名を変え、親を二十人も変え15歳になった。  最後の親も、数日で勇のおぞましさに恐怖し、あるだけの金を渡して家を追い出した。  勇は15歳で家を追い出されたのだ。無責任な強姦魔(父親)によって生まれて、自分を捨てた母親、その後、一度は引き取ったくせに放棄し続けた親たち、数日間だけの兄弟たち、世の中を恨み、幸せをねたんだ。  その頃、最初となる女を知る。街角に立っていた女だ。黒髪のつややかな女で、目が大きくて、右目の少し下にほくろがあった。  そして、あるだけの金、15歳の少年が持つには十分すぎる大金によって、勇は殺された。  時代がいくつか流れ、小田切家に次男が誕生した。  生まれてすぐに次男に、両親は戸惑った。 「取り違えていないか?」  という疑問が生まれるほど、自分の子供だという実感がわかなかったのだ。似ている点は多い。眉や、鼻の形、父親の佑介(ゆうすけ)の爪の形に似ているし、母親の佳恵(よしえ)の耳にも似ている。だが、何かが違う気がしたのだ。  子供は「香佑(こう)」と名付けられた。  小田切夫妻は自分の名前の一字を必ず子供に付けようと決めていたのだ。二人は、「取り違えられた」などと思ったことを反省する以上に愛情を持って香佑に接した。次男は写真やその子用のものが少なくなるというが、小田切家は別だった。香佑のために写真は数多く撮られ、おもちゃも与えられた。だが、それは生後半年までだった。  香佑は、親の愛情を受けてはくれなかったのだ。自閉症です。という診断を受け、夫妻は悩んだ。  親はどれほど愛情を与えても、息子はそれを返してくれない。自閉症を持つ親の会にも入った。いろんな人の話を聞いた。  だが、そのどれの子供とも香佑は違った。 「本当に自閉症なのだろうか?」  と思うようになった。  三歳を過ぎたころ、途端に普通の三歳児と何ら変わらなくなった。しゃべるし、知能は三歳児よりも少し上だ。それは、兄の影響だと考えられる。だからこそ、自閉症だと診断されたあの時期は一体何だったのだろうかと思わされた。  ただ、その奇跡的なことよりも、ますます不気味さのほうが夫婦を襲っていた。六歳にして異常行動が目立ってきたのだ。動物を生き埋めにしたり、子供による残虐な遊びが逸脱していたのだ。  だが、それはかわいそうでという大人らしい説得に納得して、やらなくなっていた。。  その頃から、香佑はホームレスたちが集まる河川敷へと出かけていっては、ターゲットを見つけ、それは自然に自殺するように誘導していた。明らかに自殺を勧めることはない。ただ、ホームレス自らがそうしなければいられないような言葉をささやき続けていたのだ。六歳にして―。  ―ただし、今の香佑にそれを一言でもいえる記憶は残っていない―  今までの記憶は、香佑の中を流れている遺伝記憶というものだ。  キリコの中の香佑の記憶は、後にも先にも断片的に始まる言葉からだった。 「ばーか」  という言葉とともに、まるで濁流から顔を出した瞬間のような息苦しさと、憎悪に向け焼けただれるような思いを感じる。  相手から放たれた言葉は、そっくりそのまま、いや、それ以上の力を持って返すべきだと、香佑は感じた。いや、そう囁かれたのかもしれない。―誰が? 誰だろう? 誰でもいい。とにかく、こいつは排除しなければいけない―と思った。  相手のことを覚えるのは苦手だった。顔も、名前も、どれもこれも同じで、ただ口が開いて「ばか」と罵っている物体にすぎず、それが、個体を持つようになったのが、小学校六年になり、12歳の誕生日を迎えた時だった。  それまで、親の顔すら認識していなかった。確かに、耳の形は「母親」だという人に似ていて、鼻や眉は「父親」に似ている。だがそれだけで親だというのは安易だと、香佑は感じた。  兄や、妹に至ってはまるで似ていないとすら感じていた。親戚は、どことなく似ていると言い、三人いると、真中は隔世遺伝でおじいさんとかあたりに似るのよ。と話す。  隔世遺伝  その頃、母親がよくそれを使っていた。それが何を意味するのか解らなかったが、母親が何かが欲しくて探し回った結果、 「もしかすると、これかしら?」  という時代まで遡ったらしかった。  戦争後のさなか曾祖母は誰ともわからない相手の子を産んだそうだ。とはいえ、戦中のさなかなので昔の恋人かもしれないし、相手は死んでしまったというのだから、身寄りのなかった曾祖母を曽祖父は受け入れ子供は自分の子として育てた。  その子供は気性が荒く、癇癪もちで、大変苦労して育てたというが、大人になるにつれ大人しくなったし、一通り結婚もした。  だがある年の暮れ、男は、妻と娘たちを殺して自殺した。一人残った父は、泣きもせず寝ていたという。  だが、父は穏やかな人で、めったなことでは怒ることはなく、怒るとすればそれはしつけや倫理に反する。本当に道徳的な父親だと思う。  佳恵は、「この、曾祖母が産んだ子、いいえ、この相手の遺伝なんじゃないかしら?」と言い、  佑介は「時代だよ、戦争ですさんでいたからそういう人になるものさ」と取り合わなかった。  母、佳恵はその頃からさらに香佑を避けるようになっていた。香佑といると息が詰まると、できる限り家に帰ってこなくていいと、習い事をさせたが、その先で問題を起こすので、外へ遊びに行けというようになった。  だから、香佑が夜の八時を回っても家に帰らなくてよかったのは、母親が帰ってきてほしくなかったからだった。  それでも、父親は世間体もあるし、見つけては一緒に帰ってきた。その都度、母親は、右目の下にあるほくろを触りながら嫌そうな顔をした。  香佑は野球部に入りたかったが、田丸 修斗の嫌がらせにより入部できず落ち込んでいたところを、ホームレスの田村 康と知り合う。  田村は以前草野球をしていたこともあり、野球好きな男だった。キャッチボールくらいなら相手になってやると、いじめられている子供を励ますつもりで声をかけた。  香佑にとって、田村との野球はとても楽しい時間だった。田村は、自分の数少ない持ち物の中から、木製のバットを香佑にプレゼントした。 「素振りをするにはこのくらいのものが触れないといけない」  というアドバイスを受け、香佑は練習に励んだ。  コミュニケーション障害の香佑が、ホームレスが相手であっても、野球を楽しみ、快活になる様子に、両親は少し安堵していた。いじめられているとは思わなかったが、関係性を築けていない、香佑が唯一の楽しんでいたものだったからだ。  そんなある日、香佑は、担任の真崎 和恵に呼ばれた。みんなが帰った後ではなく、皆がいる前で、 「ホームレスの人と遊んではいけません。彼らは、社会不適合者です。病気が移ったらどうするの? 野球がやりたかったら、部活に入りなさい」  と言ったのだ。  田丸 修斗がそれを聞き、「病原菌」とはやし立て、田村を特定し、田村にも嫌がらせをした。  香佑はそれでも田村に会いに行ったが、 「君がいじめられるし、学校側からね、近づくなと言われたからね」  と言って、背中を向けてしまった。  その夜。  野球に励む香佑に父親が金属バットを買ってきた。  兄の佑はひ弱な香佑に続くはずがないとバカにしたり、妹の佳香もホームレスに教わってるってみんなに言われるの嫌だ。と言った。  香佑はその夜、深夜放送していた「スタンプキラー」の映画を見た。その時、殺害を思いついたのかどうか不明だが、翌日、香佑は事件を起こした。  その時、香佑の体は異常な力に満ちていた。自分より一回りは大きい田丸 修斗の体を引きずって焼却炉まで連れてくると、そこに隠していた木製バットで殴った。 「お前が邪魔した所為だ」  唯一の楽しみである野球をできなくしたのは、田丸 修斗を殴る。  激しく舞い散る血しぶきは、映画と同じだった。香佑の興奮は最高になり、そのまま教室に残っていた真崎 和恵のもとへ行く。その日は、漢字ができない香佑に放課後残って勉強をするよう言っていたのだ。教室に顔を出すと、 「遅かったわね、先生ずっと待っていたのよ。あなた、どうしたのその血、どこかケガしているの?」  と立ち上がったが、香佑の手にバットがあって、その香佑が飛び上がって殴りかかろうとするのには驚いただろう。すんでで逃げたが、周りを椅子と机が邪魔して逃げるのを妨害する。  香佑は机の上に乗ってと笑い、 「やめてー」  と叫んだ和恵にバットを振り下ろした。  放課後の闇の中、和恵の足を持って階段を降りる。ゴロンゴロンと煩い和恵を引きずり、プールの側に捨てる。  泳げないのは、やる気が無いからだ。と、一人きりで二時間も泳がされた。自分は一度も水に入らず、泳ぎ方さえ教えず、椅子に座っているだけだった人―。  香佑はいつもと同じく田村の所へ行った。もう邪魔する人は居ないから野球をやろうと言いに。  だが、田村は、香佑の様子に、警察へ行こうと言い出した。香佑が犯罪を犯したとは思わないが、事件に巻き込まれて血まみれなのだろうと思ったのだ。 「裏切りやがって」  香佑は思いっきり田村を殴っていた。田村の頭がそのまま吹っ飛んでいきそうなほどの勢いで、田村は倒れた。  どこをどういう速さで帰ったか解らない。気付けば家にいた。誰かとすれ違ったら驚かれるであろう程返り血を浴びているのに全く会わなかったのは幸運なのだろうか? ともかく家に着き、妹を呼んだ。 「自転車が邪魔で入れないって、私は自転車乗ってないよ」  不服そうな声をさせながら降りてくる。玄関は開け放たれていたので、何の迷いもなく妹の佳香はつっかけを履いた。その音に香佑は躍り出て佳香の頭を殴った。  佳香の悲鳴を聞きつけ、兄弟げんかが始まったのかとうんざりしながら母親が出てきた。料理をしている最中だったのだろう、エプロンをしている。あれは、母の日に佳香がプレゼントしたものだ。香佑も同じくエプロンをあげたが、翌日の生ごみの日に出されているのを香佑は知っている。 「やだ、何、佳香? 佳香?」  倒れている佳香を抱き上げ、頭の血を抑えようとする。その視界に入るように香佑が玄関の戸を閉める。  母親の佳恵の顔がゆっくりと上がってくる。ぞっとした真っ青な顔だった。  引きつけられた声、慌てて室内に逃げる母親の足元にバットを投げる。佳恵はそれに足を取られ転倒。 「あぁ痛いなぁ。顔面からこけた」  佳恵の、右目の下にあるほくろが振り返る。  あの女も、右目の下にほくろがあった。  古い映画のフィルムを見るような光景が見える。あれは、曾祖母なのだろうか?  香佑はバットを振り被り頭に振り下ろす。だが、佳恵は一撃では死ななかった。たぶん、香佑も力が出なかったのだろう。何度も何度も殴った。  やっと動かなくなったころ、認知症でぼけてしまった二人が、「飯ぃ」と呼ぶ。 「あぁ、煩い。そこに居るだけのくせに」  香佑はそういって和室に入り、何もわからなくなって寝ている祖父母を殴った。  祖母は優しい方だった。この家で唯一、まともに香佑の相手をしてくれていたと思う。だが、祖父は違う。自分の出自が訳アリだということを理由に卑しい気持ちの持ち主だった。とはいえ、香佑ほど社会不適合者ではなく、酒を飲めばの話しなので、普段は酒を飲まないでいたが、酒を飲むとよく香佑をいじめていた。  幼いころ、父親―香佑からしたら曽祖父―が心中をした際の目に、香佑が同じだと、にくったらしいガキだとよく蹴られた。  だから、香佑も、祖父を蹴りつけ、そして殴った。  そもそも、こんな祖父と離婚をせずにいた祖母も悪い。だから、同じく殴った。  家にはあと二人いる。  香佑を馬鹿と呼び、一度も遊んでくれなかった兄(たすく)。  二階へ上がる。呼んでも聞こえないのは、大音量でヘッドフォンをつけているからだろう。 「ばかはそっちだ」  香佑は金属バットを振り下ろした。  木製から金属バットに換えたのは、父親が珍しく買ってきた金属バットで、先に佑が香佑を殴ったからだ。  その時焦げ臭いにおいに気づき台所へ行く。何かを煮ていたらしい鍋から煙が上がっていた。火を止める。側に包丁が見えた。 「スタンプキラーだ」  香佑は包丁を持って母親に馬乗りになり「5」と彫った。その時母親が動いたような気がしたので、包丁で背中を刺した。  祖父母に、「6」「7」、兄に「8」、妹に「4」と彫ってから、どうやって移動したのだろうか? 学校に来ていた。  真っ暗で静かな学校の焼却炉は道からも遠く、更に闇が深かったが、目的の田丸はすぐに見つかった。  「1」「2」と付け、ホームレスの田村に「3」と付けると、家に戻った。  包丁が血で滑り落ちた。拾い上げようとした時、父親の車の音がした。  香佑は駐車場に行くと、父親は驚き、香佑の姿を見て驚いた。 「なんだ、その格好」 「そうじゃないよ、」  香佑はそういうと金属バットを振り被っていた。  父親の佑介は倒れる。 「お父さん、そこは、大丈夫か? だよ」  そういって辺りを見回す。包丁がない。仕方がないので、佑介の血で「9」と書く。佑介が呻いたので、もう一度殴ろうと振りかぶった時、見たことも感じたこともない光がさしてきて、 ―面白いことをさせてやる。こちらなら、罪には問われないぞ―  という声に導かれた―。 
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