遅すぎた手紙

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遅すぎた手紙

 高速で、飛ばせば2時間の距離だった。 深夜の3時少し前。 私が病室に入ると、父と、他の兄弟達が揃っていた。 皆、一様に押し黙っていた。 私は全員の顔を見渡し、軽く会釈をしたのみで邪魔にならぬよう部屋の隅に立った。 部屋の真中に据えられたベッドの上には、母が横たわっていた。 顔を見るのは一年ぶりだったが、特に感慨はなかった。  口が空いたままになっている。 あの口は、もう閉じないのだろうか? もう息のない母を見て、そう思った。  既にいろんな機材は取り外されていて、彼女の枕元はサッパリしたものだった。 しばらくすると、2人の看護師がやって来て、父に話し掛けた。 父は、話し終えると徐に立ち上がり、身振りで私達に退出を促した。  私達は何れも無言のまま、薄暗い廊下に出た。 「今、看護師さんが、綺麗にして下さるらしい」 と、父は小声で言い、手近な椅子に座った。  「お医者さんに家族が全員揃うまで待つかと聞かれたけど『もういい』って言ったよ」 父が、私に言った。 「うん、それでよかったわ」 一番上の兄が私の向かいに座って、「苦しんでたから…」と言い訳のように言った。 「うん、早く楽になってくれた方が良かった」 「それでいいのよ」 「お前が、あの声を聞かなくてよかった」と兄は言った。 「うん」 「俺は、今も耳に残ってる」 「うん、そうね」  兄弟の中では、私が最も遠方に住んでいた。 高速を走り通して大体3時間の距離。 父の電話を受けて、予め喪服を詰めておいたスーツケースを車に積むと、すぐに家を出た。 真夜中だったこともあり、思いの外スムーズに来れたが、私が着いた時には、すでに粗方のことが終わっていた。  母は長い間、悪性のリンパ腫を患っていた。 三年前に余命半年を宣告され、そこからの三年。 何時になるやもわからない、何時であってもおかしくはないという状態の三年だった。 全身に転移して、今日の医療では為すすべもなく、苦しみぬいた上での最期だった。  私はただ、母は漸くあの苦しみから開放されたのだ、と思った。 「今日、もう家に?」 私が訊くと、父は、「これから、葬儀屋さんが来て運んでくれる」と言った。  それから私達は、互いに黙したまま、葬儀屋が来るのを待った。 しばらくして父が思い出したように、手持ちのセカンドバッグから4通の封筒を出した。 それらには、兄2人、私、そして弟、其々の名が書かれていた。 母が最後に認めた、私達兄弟に向けた手紙だった。  最初に受け取った一番上の兄が開封し、さっと目を通した後、直ぐに手を返して私に差し出し『見る?』と訊いた。 兄が何故そうしたのかわからなかったが、手渡されるままに私は受け取り、さして興味はなかったが、兄同様に軽く目を通した。 中には、『兄の伴侶、子供達と仲良くね…』等といった、短い別れの文言が母の字で書かれている他は、これといって特別なものではなかった。 他の兄弟達も、其々自分宛ての手紙を開封し、目を通してから一番上の兄に渡した。 兄はそれに目を通すと、私にまた『見るか?』という様に差し出したが、私は手を挙げて辞退した。 「開けないの?」 一番上の兄が訊いたが、私は「後で読むわ」とだけ言って、自分宛ての手紙を鞄にしまった。 兄弟達は、それ以上の追求はしなかった。 互いに手紙をぐるっと一周させると、其々が其々に仕舞った。  通夜、葬儀は簡単なものだった。 家族だけで、それも父と私達兄弟だけ。 他人に病身を見られたくないという母の希望で、親戚も、私や兄弟の伴侶、子供達も含めて、あえて人を呼ばなかった。  読経もなく、細やかに祭壇を設け、火葬場へ送っただけの、ごく小さなもので、それは何事においても形式、様式を重んじない私達家族に於いては非常に”私達らしい”ものだった。  医療従事者であった母の、元職場の同僚や友人達が、どこからともなく現れて参列し、私達家族ですら流さなかった涙を盛大に流していった他は、これと言って印象もない。  ほんの数時間の後に母は灰になった。 ただ、それだけだった。  葬儀が終わったその日の内に、父に短く挨拶を済ませると、私はそのまま車で現在の自宅への道を急いだ。 途中、高速のサービスエリアに車を止め、ふと思い出して、鞄の底にあった母からの手紙を開封した。 母が好きだった、熊のキャラクターが控え目に印刷された、淡い黄色のメルヘンチックな封筒と揃いの便箋。 いつの頃に書いたのだろう、比較的しっかりした筆致だった。  『彩ちゃんへ』 『もっと、褒めて育ててあげれば良かった』 『あなたはなんでも出来たのに』 母の手紙は、そんな書き出しで始まっていた。  そう言われれば、母から褒められたことなんて、思い出す限り記憶にない。 だけど、言われなければ、気付かなかったほどだった。 死を前にして、人が何を思うかは其々だとは思うが、『もっと』だなんて、この期に及んで見栄を張っている。 そういう人だ。(あなた)という人は。 『0』にどんな大きな数字を掛けたって、答えは『0』だなんて考えは、きっと思い当たりもしなかったのだろう。 『いつも人の先回りして、自分だけ黙って答えを用意してる、あなたはそういうイヤラシイ、本当に嫌な子だった』 『いつも上辺だけでしか話さない、何を考えているのかもわからない気味の悪い子』 『あなたの言うことには、いつも全然心が籠もっていなかった』 『上辺だけの気遣い、綺麗事ばかり、いつだって白々しい』  そんな恨み言が綴られていた。  最後の行は、 『私は、あなたが大嫌い』 手紙はそこで終わっていた。  知ってるわ。ママ。 ずっと前から知ってた。  一通り読み終えると、私は母の手紙を施設脇の【燃えるゴミ】と書かれた投入口に放り込んだ。  ずっと言いたかった。 『無理に私を好きにならなくていいんだよ』って。 でも、7歳の私がそれを言ったら、母が私に罪悪感を持ってしまうんじゃないかと思えて、言えなかった。 だけど、こんなことならもっと早く言ってあげればよかった。  ママ、 きっと、自分の人生がもうすぐ終わることを知って、焦ったんでしょうね。 自分が何処に行き着くのかわからなくて、恐ろしかったんでしょうね。 この先も、ママなしでも生き続けていける私が妬ましかったんでしょう。  母は私を嫌ってた。 それはずっと昔から。 喧嘩も、言い争ったこともない、何か母なりに切欠があったのか、単に相性の問題なのか知らないし興味もないけれど、確かに母は私を嫌っていた。  母は、彼女の眼の届かないどこかで、私が独りでに居なくなることを望んでいた。 母は、彼女の正しさを証明するために、私が周囲の人々から蔑まれることを望んでいた。 母は、私という存在を、ずっと疎んでいた。 それはもう、私が物心が付いたばかりの子供の時から。  母は、一矢報いたかったのだろう。 彼女の腹を利用して産まれ出で、母の人生を、罪悪感と失望と後悔と、嫌悪と苛立ち塗れにした醜く小賢しい、抜け目のないこの私に。 だけど、それでも私は母の私に対する愛情が、まったく無かったとは思わない。 彼女なりに、それでも、私を娘だと思っていたことも。 私は知っている。  スタンドでコーヒーを買うと、車に乗り込みエンジンを掛けた。  ママ、 わかってた。ママが何を思って私を見ていたか。 知ってた。ママがどんなに私を疎んでいたか。 だって、あなたは私の母親。 私は産まれた時から、あなたを見ていた。  ママ、 ママが救われて良かった。 今は心からそう思う。 ママ、 あの手紙ひとつで、ママの苦痛が少しでも和らいだなら、私はそれで十分だよ。 ひとつ息を吐いて、私はハンドルを握った。  終わった。 ただその一言だけが、私の頭の中で静かに浮かんでいた。 もうこれ以上、私と母の関係は、更新されることはない。 永遠に。終わったのだ。全て。  気分はおそろしく澄んでいた。  私は、晴々とした心持ちで夕日の燃える美しい茜色の空を前に車を走らせ続けた。     ― おわり ― ありがとうございました。
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