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第四話 毒姫様は魔王の城へ到着しました
誂えられた道行の衣装は、それはそれは豪華なものだった。白い布に白い糸で刺しゅうが施され、極上の布を使っているのが手触りで分かる。金糸や銀糸が使われていないだけましだけど、それでもこの布一枚でどれだけの税が使われたのだろう。
(民の血税をこんなものに使うなんて)
贅の限りが尽くされた品が、私は嫌いだ。毒よりも嫌いだ。
それに何の価値も見いだせないからに他ならない。私は、着られる服があればいいのでドレスだって要らないし、もちろん宝飾品だって必要ないと思っている。
布一枚みたいなワンピースで裸足で森の中を走っていたあの頃に、最近特に戻りたいと思うことが増えている。
もう10年も前のことなのに、今もその記憶は新しく、色あせない。
「姫様」
そして私の道行に、大変気の毒かつ可哀想なことに一人の侍女が供として付くことになった。
普通の王族の嫁入りであれば、十数人単位で供がつくとのことだったが、希望者だけにしてくれと頼んだのだ。で、結果がこれだ。
「アンネ」
アンネリース・ファン・ハーレンはハーレン男爵家の娘の一人だ。ハーレン家は一代男爵で、継ぐようなものはないので子どもたちは皆自立するためにそれぞれの手で職を得るように言われていたらしい。そして、何故か私についていくことを彼女は選んだのだ。
「本当にいいの? 貴女、こちらに戻ってこられるか分からないのよ?」
「いいんです。姫様はわたしによくしてくださったし、一人ぐらい味方がいてもいいじゃないですか」
「私が毒姫と知っていて、そんなことを言うのは物好きな貴女くらいよ」
溜息をつきながら、私は彼女の気配をたどる。
母の毒を受けてから、私の眼は見えない。見えない代わりに、気配を感じる力が強くなった気がする。人の形も分かる、その人がどんな姿をしているのかも感覚で、感じる。
アンネは明るい夕焼けのようなオレンジ色の髪をしているというが、その色がまるで気配の形となって見えるように感じる。
彼女の姿を見るのは好きだ。なんだか、きれいな花を集めたように見えるから。
「さて、旅支度を手伝ってちょうだい。ちゃんと防毒の備えはしてね?」
「はい! 姫様」
そして二人で魔国へ向かうための仕度をした。衣装だけは誂えてもらえたけれど、それ以外の補助はほとんどない。馬車で連れて行ってもらえるだけ、ありがたいとは思う。そうでなければ徒歩で向かうしかないのだもの。私の毒は、どの生き物にも平等に働く。
魔国には私の毒にも耐えられるものはあるのだろうか。そうして、私たちは旅立ちの日を迎えたのだ。
魔王陛下へとお目通りが叶い、謁見したその時、私は全身が強い衝撃に包まれるのを感じた。
なんという、圧倒的な気配。
魔王陛下は黄金の一つ目で、歪なふたつの黒い角を持ち、金毛巨躯であるとは聞いていた。謁見のための大広間の扉が大きく作られていたのもそのせいなのは分かってはいたが、金色の気配だった。強く大きな金色のその気配が、私のことをじっと見つめているのが分かった。
そして、もうひとつ。
(……甘い)
私には、味覚があまりない。人よりもかなり鈍い。これは多分、毒狼の母を啜ったあの時に失ったもののもう一つだ。代わりに、毒を甘く感じるのだ。強い毒であればあるほど、甘く。
(魔王陛下は瘴気を纏っているとも聞いた)
強すぎる力が溢れているのだろう。それが、瘴気の形をして金色の渦を巻いている。渦が、見える。
(ああ、なんて)
私の眼には、もうそれしか映らない。他の魔族の方々が向けてくる嫌悪の視線さえ気にならない。私を、興味深そうに見ている金色の気配だけがすべてだ。
(なんて、美味しそうなの)
「うむ。我こそが、魔王エドムンド・アグアド・フィゲーラスである」
自分が何を話したのかなんて、忘れてしまった。威圧の魔力も、苦ではない。私の身の内に燻っている、この毒に比べたら何てことはない。
だから、私は微笑んで魔王陛下を見つめた。見えぬ目で、見える感覚で。
この方に嫁ぐことが許されたというのであれば、私にとってはこの上のない僥倖。
「王の命により、魔王陛下の元に嫁ぐために参りました」
私の意思で来たという話は、今はしなくていい。きっと、いつか話せる時が来る。
頭を垂れ指示を待つと、メイド長と呼ばれた方が私の手をとって部屋へと案内してくれた。
ああ、なんてこと。なんて幸せ。
私が味わったことのない毒が、まだこの世にあるなんて。
いえいえ、そうよ。この魔国では環境そのものが人国のものとは違うのであるから、新しい毒はもっと他にもあるのかもしれない。
でも、あれほどに強烈な毒は、おそらくない。
「カンタレラ様」
「はい?」
「貴女様の侍女が、さきほどの大広間で昏倒したそうです。侍女の部屋は用意していないのですが……」
「私の部屋へ一緒に連れてきてくださるかしら」
「かしこまりました」
カンタレラと呼ばれるのは本当は嫌い。ああ、でも楽しみが増えた。
先ほどのやり取りで昏倒してしまったアンネはかわいそうだから、部屋に戻ったらちゃんと介抱してあげなくてはならない。
私はあの時感じた予感は嘘ではなかったと感じ、そして、これからの生活のことに対して胸躍らせるのであった。
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