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逝かざりける者
えも言われぬ甘くやわらかく透き通るかぐわしい香りに包まれて、目を覚ました。
一面に咲き乱れ揺れている、季節を無視した色とりどりの花々。
ただしそれらを揺らす風の音も感触も無いことに非現実感を覚えながらも、しかしなぜかそれが当たり前なのだという不可思議な確信もあり、そこで、はたと、ここは一体どこなのだろうかという疑問に気が付いた。
半身を起こし周囲を見回しても、四方八方地平線の彼方まで続く閑なる花畑に、もしかするとここはどこか現世ならぬ別の世界なのでは無いかと漠然と感じた。
そもそも私は。
しかし飲み過ぎた翌朝のひどい寝起きのように、ぼんやりとして何も思い出せない。
私は、ここで一体何をしているのだろうか。
どうやってここへ来たのだろうか。
思い出せない。
それともまだ夢の中なのか。
私は……。
「あぁ、おっさん、ここにいたのか!
悪ぃな、イレギュラーな穴が開いちまったんで、変なとこに落っこっちまったみてぇだな!」
「おぉっ……っと……!?
き……君は……誰だ……?」
突然背後で若い男の声がして驚いて振り返ると、そこにはぼさぼさの金髪にピアス、ジーパンにTシャツ、そして腕には真っ赤な鳥居をくぐる激しい青炎のタトゥーの入った、いかにも今時な感じの二十前と見える男子が立ち、地面に座る私を見下ろしていた。
「え?あぁ、そうか、正規ルートじゃねぇから誰にも会わずにこっち来ちまったんだよな。
俺はアレ、閻魔代行ナンバー六千九十ニ号だよ」
「…………は?えんまだいこう……?」
何らかの若者言葉だろうか。
それとも最近流行りのアイドルグループか何かの名前なのか。
それにしても六千とは数が多過ぎる。
いや、四十八人もいるグループが何十個も連携活動している時代だ、無くは無い。
聞き慣れぬ言葉に思わずそんなようなことをしばらくぼんやりと考えてしまったが、
「閻魔大王っつったら昔は一人だったんだけどさぁ、そっち人口増え過ぎただろ。
だから一人じゃ全然追いつかねぇってなって、髪の毛とかその他諸々の毛とかを引っこ抜いて疑似魂入れた代理体に代行させてんの。
おかげであいつ完全に全身ハゲてやんの、ぷーっ、くすくす」
私の様子など気にも留めず、男子はさもおかしそうに口を押さえた。
「閻魔大王……?
ハゲ……?
……って、君、いくら今時の若者だからってちょっと失礼じゃないか?
私だって昔は君みたいにふっさふさだったんだぞ?
そんな髪型にもしたことがある。
だがその代償がこの有様だ。
要するに君も他人事なんかじゃないということだからな!」
「ぶはっ!なんだよ、笑わせんなよ、おっさん!
俺はそんなことにゃならねぇよ!
実体なんか無いただの疑似体なんだから。
ぶははは、でも面白そうだから試しにその髪型やってみよっかなぁ!
なんての?それ。
今時いねぇよなぁ、その……あぁ、そう、バーコード?
なんでそんなことすんの?
昔から謎だったんだけど、なんつーか必死だな!しがみついてんな!
あははははは!」
私の頭を指差して笑い転げる男子にさすがに怒りを抑え切れず、立ち上がると男子の胸ぐらを掴みにかかった。
腕には自信がある、柔道だって昔は三段まで上ったのだ。
こんな若造ぐらいひとひねりに……!?
腹を抱えて息が止まりそうなほどに大笑いしている男子に、目にも留まらぬ華麗な腕さばきで、ちょうど良く着ている何のコスプレだかコスプレイだかオスプレイだかわからぬ道着風の和装の襟元を掴んだ、と思ったが、私の腕は男子に触れることも無く服も体もすり抜けて、その勢いで私は前のめりに派手に転んでしまった。
「うぐぉっ……!?
な……なんだ、なんでだ……!?」
「だから実体なんか無ぇっつってんじゃん。
もうー、正規ルート通ってねぇやつって察しが悪ぃから面倒臭ぇなぁ。
ってか、ねぇ、もしかして閻魔大王知らねぇの?
全然そっちに食い付いて来なかったけど。
なんか特別な教育とか受けてたり特殊な隔離集団に所属してたりした人?」
呆れた様子で地に伏す私を振り返り見下ろす男子の足は、その目線で見て始めて気が付いたが、わずかに地よりも宙に浮き、そして影も無かった。
「い……いや……そんなことは無い……ただの……しがない地方公務員、課長止まりで定年を迎えた……何でも無いただの熟年男だ……」
混乱しながら答えつつも、この非現実的な空間と状況に、ここはそういうものなのだと納得せざるを得ないような、納得するのが当然のような気もしてきていた。
「……定年後には子供たちも独立して、残った妻と二人で日本中の城を巡る旅行をして回ろうと思っていたら、子供たちは三十を過ぎても実家から出もせずに仕事に就いては辞めを繰り返し、妻も何のドラマの影響か『城なんて地味でオタク臭い、私は韓国か台湾以外には絶対に行かない』などと言って一人で勝手に貯金を使いまくって旅行三昧……。
一体今まで私は何のために頑張ってきたのかと途方に暮れていたら、気が付けば私の体を病魔が貪り……。
……!
そうだ……思い出した……!
私は病室にいたはずなんだ……!
それがこんな所にいるってことは……やはり……つまりここは……死後の世界……か……?」
一面の荘厳華麗なる種々様々の花々、宙に浮き影の無い実体も無い幽霊のような男子、閻魔大王。
そして病床に伏していた私。
これだけ揃えばこの結論に至るには充分だった。
が、男子は何とも言えない若干蔑んだような表情で私を見下ろしながらため息をついた。
「そこへ行く途中の、何も無い何でも無い場所だよ。
普通のやつはこんなとこ、あっちに行く前の観光みたいなもんで見るだけで通り過ぎるんだけどさぁ、お前本来今こっちに来る予定無かったからこういう中途半端なとこに落っこちたんだよ。
たまにいるんだよなぁ、入院したショックで勝手に大病だと思い込んで、思い込みで死んじまうトリッキーなやつが。
イボ痔で死ぬやつがいるかよ、このイボ痔バーコードが」
「な……なんだと……!?
いいや、違う……あれは……大腸ガンだったんだ!!
ちゃんとネットでも調べて症状が一致してたんだ……!」
「……医者は何て言ってた?」
「イ……イボ痔だが……違う!
あれはドラマとかでもよく聞く、本人には本当のことを言わないパターンで、本当は……」
「いやいや、そういう時の嘘でイボ痔とか言う医者がいるかよ!
医者の言うこと普通に信じろっての、お前こそ変なドラマの見過ぎなんじゃねぇのか?
ほらぁ、お前がそんなわけわかんねぇショック死するからみんな困ってんじゃねぇか」
狼狽する私の前で男子が軽く手を振ると、目の前の景色、いや、空間が、ぐにゃりと歪み、そこに何かを映し出し始めた。
「わ……私だ……私が病室で寝て……いや、死んで……いる……そして……ト……トミコ……ユウキ……サチ……。
こんな急に死んだりしてしまってすまなかったなぁ……さぞかし悲しんで……って……あれ……誰も泣いて無いような……」
「だから、わけわかんねぇし恥ずかしいんじゃねぇの?
医者も最初医療ミスじゃねぇかとか責められて、でもまだ何の処置もしてねぇし、病室に入れたら勝手にショックで死んだりされて、わけわかんねぇよな、なんかもう名探偵でも呼ぶしかねぇよな、この状況、あははは」
「く……なんてことだ……なおさらすまない……みんな……。
……ん……?
あれは……私の……遺書じゃないか……?」
音声の無いその映像の中で、妻のトミコが私の書斎の引き出しから見つけ出してきてくれたのであろう、私が少し早めの終活と小さな自伝のつもりで書き記してきた遺書を取り出し、封を切っていた。
「お?気が利くじゃねぇか、遺書ってやっぱ大事だよな、財産とかで家族がモメんのっていちばん見苦しいもんな……って……おいおい、お前遺書の書き方知らねぇのか?
こんなもんただの詩人気取りの想い出日記、うぜぇ独り言お手紙じゃねぇかよ。
役所勤めだったならこういうの詳しいはずだろ?
なんでもっとちゃんとしたの書いてねぇんだよ」
「い、いや、公務員と言っても色々あるわけで……どちらかというと現場的な技術的なアレだったし、法律とかあんまりよくわからなかったから……」
「この税金泥棒がっ……って……お前マジか?
あの遺書、馬鹿みてぇな文章だけど内容は全部事実なのか?」
「あぁ、そうだが……?
あれは私の贖罪をしたためた反省文、人生の始末書だ……。
家族にずっと秘密にしていた罪を、せめて最期にすべて伝えてから逝こうという懺悔の告白なんだよ……。
今までずっと隠してきてすまなかった……本当に……。
しかしそれももう良かろう……ついに私は死んであの世へ行くのだからな……」
大きくため息をついた。
それにしても、それはともかく、こんなことになってしまって、私の死因は何となるのだろうか。
イボ痔性ショック死とかそんなことか?
葬式でも列席一同にそう発表されるのか?
幼少から身内にすら「ちょくちょく残念なやつ」と言われ続けてきたが、まさか結局こんな……こんな最期だとは……最期までこんなことだとは……。
打ちひしがれて映像から目を離し手元の花を弄んでいると、
「いや、そうでもねぇんだけどさ……って……マジ?
お前そんな感じでこそこそ六回も浮気してんの?
しかも全員外人パブの女じゃん。
何?
日本の城巡りどころか国内にいながらにして世界旅行でもしようとしてたの?
それとも国際会議?
G6?
あぁ、嫁も入れたらG7か。
大したもんだな、この絶倫バーコードが」
さすが若者は言うことが違うな、キレがあるな、テレビやネットの影響で言葉の言い回しが上手くなったもんだよ、我々勢い任せの旧世代に比べたら、もはやお笑いの芸人のようだよ、何とでも言ってくれ、どうせ私はもう……もう……。
意味も無く花をむしりながらぼんやりと自暴自棄的なことを考えていたが、
……あれ……?
いや……今……何か……。
男子の言葉に違和感を覚え顔を上げた。
「あの……今もしかして……『そうでもねぇんだけどさ』とか言わなかった……?」
「あぁ、そうそう……うわぁー、結婚する前、暴走族なんかやってたの?
その顔で?」
「顔は関係無いだろうが……!
まぁ……悪い先輩に引きずり込まれて無理矢理バイクのケツに乗せられていただけだがな……。
っていうかそれよりも!!
どういうことだ!?
『そうでもねぇ』とは!?
私はこのままあの世へ行くんじゃ無いのか!?
それが『そうでもねぇ』のか!?
っていうかなんかさっきから聞いてれば、お前も閻魔大王的なもののクセして私のことなど何も知らないじゃないか!
おかしいぞ!
そんなんで正当な裁きなど下せるのか!?
そもそも本当にお前は……!?」
男子に再び掴みかかりそうになるが、掴めないことを思い出し行方を失った腕を苛々と無駄に振り回しながら詰め寄る。
「あぁ、いや、だから、お前は死ぬ予定が無いのに勝手にこっちに来たイレギュラーなイボ痔致死野郎だから、こっちも何も把握してねぇし、とにかく今すぐ戻ってもらうから別にいいんだよ」
「…………は……?」
「いや、だからこっちも色々都合があんだよ。
馬鹿みたいな死に方してあんな恥ずかしい遺書まで家族に見られて、なんかもうどうしようもねぇ状況だけど、知ったことじゃねぇしとりあえず帰ってもらうからな。
ほら、早くしないと……なんかお前のパソコンどうするかみてぇな話してるぜ。
業者呼んでパスワード解除して中身確認してから処分しようか的な……」
「な……!?
駄目だ駄目だ!!
あの中には絶対に誰にも見られてはならないファイルが大量に……!!」
「あははは、だろうな!
みんなそう言うんだよな!
お前の場合はどうせアレだろ?
浮気相手とのとんでもねぇエロ写真とかだろ?」
「く……こ……個人的な情報につきお答えすることはできません……!じゃない!
本当なんだな!?パスワード解除しようとしてるんだな!?
くそ、なんてえげつないやつらだ、とても家族とは思えん……!
一体何のためにそんな卑劣な真似をしようと言うのだ……!
普通そのまま捨てるとか売るとか大切に残しておくとか、そういうもんじゃないのか!?」
「浮気G7開催してたお前が人のことえげつないとか卑劣とか言うなよ」
「やむを得ん!
G7はもういい、昔のことだ!
だいたいしょせんあんな遺書もどき、全部妄想でした、夢の話でしたー、で済むだろ!
しかし証拠が出たら完全に終わりだ!
今すぐ戻せ!
戻ってあんなやつらとは縁を切ってパソコンも破壊してからでないと、死んでも死に切れるか!」
「あははは、お前なかなかのクズだな!
本当に死んでたらどの地獄行ってたかな!?
まぁいいや、あぁ、そう?
だったら話が早ぇ、助かるぜ。
本当に死ぬ時はちゃんと迎えが来るからさ、それまではもう二度と勝手に死ぬなよ、こっちもヒマじゃねぇんだからな。
じゃあな」
そう言うと男子はいつの間にか手にしていた錫杖を私に向かって振り下ろし何らかの陣を描くと強烈な気を送り込み、私の体は光に包まれ意識が吹き飛ぶような重圧を覚え、一瞬にして現世へと送り返された。
残された男子は錫杖を地面に打ち付け一仕事終わったと息をつくと一人笑い出し、
「行くも地獄、戻るも地獄とはこのことだな!
あははは!今日もなんか上手いこと言ったった!あはははは!」
大きな笑い声を残しながら、その姿を掻き消した。
後には、広大な空間で音も無く吹いてもいない風に揺れながら咲き乱れる花々だけがあった。
終
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