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物は何の為に
世の中にあるものは結果だけ存在しているのだろうか?
道路にある信号機はどうして存在しているのであろうか?毎日食事する時の箸や茶碗は何故存在しているのだろう!
誰がなにを思ってここに信号機をつけたのだろうか、医者や教師は何故存在しているのだろうか?
農家はどうして田んぼの草を暑い日差しのなかで抜いているのだろうか?
信号機は怪我をせずに向う側に渡る為に存在し箸や茶碗は手を汚さす美味しく食べる為に存在する、全てのものがこれから起きる不都合な事を今現在の少し先を見越して存在する、人の世界はほとんどものやサービスは次々に起こる社会で暮らす人達の少し未来を不都合な事が起きない様に存在している、人の世界は目の前にはまだ現れていない誰かの為にこの世の誰かの為に物は存在している、道路を渡ろうとする人の少し先を見越して信号機は機能しているし、箸や茶碗は手を汚さず雑菌から身を守るために存在する。
そして物はどうしてうまれてのかを考えて見ると信号機は今世紀最大の発明品自動車から子供やお年寄りが向う側に安全に渡りきれる様にと生まれた、誰が作ったか分からない目にする、信号機は誰かの思いやりから出来ているのです。昭和になって日本で生まれたものも忙しい母親の為に生まれた商品が多い、そして今現在生まれてくる商品の多くはママさんの思いやりから生まれているらしい、多くの物はだれが使うかわからないけど何処かの誰かが怪我をしないように疲れないように思いやりが姿を変えて市場に生まれているのが本当の所ではないだろうか?
物の方は思いやりが姿を変えているのだが
私達、人の方は社会に出れば結果が全てだと教えられる、不思議な事に物は思いやりでできているのに会社に勤めると人には結果を求められる。プロセスなんかどうでもいいとまで言わざるを得ない人までいるのです。不思議な者です、物と人の関係は、
昭和の発明は力仕事から人を解放する為に
発明されてるいました、手洗いを楽にする、洗濯機、農作業を楽にする耕運機、ダンプカーも重たい砂利をなるべく楽に運べるようにする為だったように思われます。
家の中を明るくする蛍光灯、縫い物を楽に綺麗に仕上げるミシンに編み機、まだ各家庭に自動車がなかった、昭和30年代、学校までは歩いて通っていました。その頃はカマボコ板で船を作ったり糸巻きにゴムをとうして車を作っていたような気がします、30年代はまだ手作りのゴム動力の船で楽しめていたのですがテレビがカラーになってからは既製品の魅力的なCMに魅了されて手作りのおもちゃは見向きもされなくなっていきました。
どの家がカラーテレビを持っているかは屋根のアンテナで判断します、そして屋根のアンテナが殆どカラーテレビのアンテナになってからのカラーテレビの影響力は凄まじく昨日まで楽しめていたおもちゃが楽しめなくなって来たのです。
戦後出版社の人達がアイデアを駆使した小学一年生や月刊誌の紙のおもちゃや付録も段々となくなっていったのです。
白黒からカラーになった事は物たちにとっては大事件だったのです。
色のついたテレビ映像は出来上がった商品を魅力的にして白黒テレビの時代よりも早いスピードで家庭に受け容れられる様になリました。
昭和30年代の発明は役に立つ物を商品にして僕達の生活は少しずつ時間に余裕が持てる様になりましたが昭和も40年頃からは生活に便利な物を皆で発明する様になりました、
少し前の日本の発明家ドクター中松はこの頃石油ポンプを家族の為に発明しました、
そう日本は石炭から石油にエネルギー転換をして石油ストーブが豆炭の掘り炬燵の代わりに登場したのです。
実は昔からある様に思ってしまう焼き鳥もこの頃登場したのです。そして意外にもラーメンのチャーシューと支那竹も最初の具ほうれん草とまき模様のカマボコにゆで卵の代わりに登場したのです。ラーメンにマヨネーズは当時栄養が不足気味で青い鼻水を垂らした子供達が服の袖をその鼻水でテカテカに光らせていました、そのような子供達の為に具材は考慮されこの2つ商品は生れたのです。
そんな商品の中でも冷蔵庫と自動車程私達の生活を変えてしまった商品はないでしょう。
冷蔵庫は欧米の様な食生活を可能にしていったのです。冷蔵庫に拠ってバターやマーガリン、牛乳を保存できる様になり乾物中心にある日本食から洋食へと夕食のメニューは変わったのです!
トーストにバターとマーガリンをぬってNESCAFEを飲む朝食は冷蔵庫無しでは普及しなかったでしょう!
そして自動車の威力は驚異的です、国の形を変えてしまったです。日本の驚異的な経済成長は自動車無しではあり得なかったかもしれません。
コンピューター付ブルドーザーと言われた小学校卒の政治家田中角栄は高速道路を縦横無尽に国土に張り巡らせ日本中に商品を流通させ高度成長を成し遂げたのです。
家庭の中はヤッパリ冷蔵庫とガス風呂、これで戦前の生活習慣まで変わって往きました、
そして昭和も50年頃になると戦後の社会で育った子供達は日本の土臭い文化が退屈でつまらなくなったのです!
フォークも演歌も何故か売れなくなり歌番組も消えていきました!
仕事や悩み、やるせなさを歌った歌詞が受けなくなリました。当時の若者は悲しくてやるせなかったのです。
日本人の憧れだったアメリカも終わる事のないベトナムと日本の商品に押されて元気がなくなってしまいました、このような日米の関係を小和田雅子さんは卒論のテーマになさったそうです。日本はアメリカを追いかけるだけでは立ちゆかなくなってしまったのです。
生活の役に立つ為に生まれてきた日本商品はこの頃から楽しむ為の商品にゆっくり市場で試されながら舵をきって行ったのでした。
そして最後にこれらの商品を工場で作る為には数学が必要になるのです。焼き鳥やラーメン屋だけで良いなら物を勘定する算数だけでも事足りるでしょうがそれでは発展途上国の様に明日の生活に追い立てられる生活を抜けないでしょう。機械を作って工場を動かし管理する為にはどうしても物を正確に動かす為の微分積分三角関数等が必要なのです。
しかし物を動かしたり管理する学問を駆使する物を作る側の立場に偏り過ぎると非常で理不尽な社会になるので注意したほうが良さそうです。
家族の内から生まれてきた商品達に追い立てられる事ににはならないバランスはこれからもとても大切にしなければならない事で家族の楽しみはとても大切です。人をいたわり方や慰め方も忘れてしまい、犬や猫等ペット達に寄り添って慰められている私達は家族の内が喜びで満たさるようにもう少し頑張った方が良いのかも知れません。
ここまで読んて世の中結果だと言う人の意味を噛み締めて見ると世の中は数えられる数字が動かしているんだと数字に翻弄されている人が見えて来ます、世の中の仕組みは数字が動かしている数字を出さなければならないと言う会社人間の叫びが見えて来るのです、それは悲鳴の様で世の中の大切な事を説明しているわけではないように思える訳です!
僕達の数字で作り上げた仕組みに私達自身が悲鳴上げている訳です、その過酷さは支え合うべき家族にまで及んで息子より家で飼っている愛犬しか信じられない人達まで出ている訳です、家に帰っでまで結果、数字に切り刻まれた心は感情は愛犬にしか向ける事が出来なくなってしまっている、息子も嫁も娘も結果が全てでは感情や愛情のはけ口がなくなってしまうのではないでしょうか?
私達が生み出したものは大切な人を大切する為に生まれていることにたまには気づく事が大事なのではないかと思ってしまうのです、
心がのびのびとすることはことさらに大切ではないかと私達を囲む物を考察してみると思うところである訳です!
専門学校でデザインを少しかじって以来物の形が気になって全ての商品を見てしまう癖が抜けない私ですがコロナが落ち着いて少し商品のあり方が変化しているように見えてしまうのです、世の中の市場が商品を生み出している側面もある訳ですが不思議な事に生まれて初めてテレビ売り場が以前程輝いて見えなくなったのが気になる所であります。
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