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私は、今でもあの日のことを覚えています。なぜなら、この世の終わりだとおもったからです。 意外だったのは静けさでした。この世の終わりとは、天が割れ地が砕けるような荒々しい様を想像していたのに、目の前に現れた終末は紙と文字だけで、砂の城を崩すように音もなく私の世界を壊していったからです。 たった一通の手紙が私の世界を滅ぼしていきました。 もしかしたら、私のせいかもしれません。 それは私が落ちこぼれだからです。私は生まれつき体が弱く、痛みと苦しみのために一日のほとんどを部屋の中で過ごすような人間です。誰かに守ってもらわなければ生きられない人間なのです。 私は幸運でした。私の家は老舗の紙問屋で、父の代になってからは海外から輸入される洋紙の卸しで大きな財をなしていました。そのおかげで吹けば飛ばされそうな体でも捨てられるようなことはありませんでした。むしろ、一家を背負って立つはずの長男が部屋から一歩も出られぬ青瓢箪(あおびょうたん)だなんて認めたくなかったのでしょう。私が物心つく前から両親は私に様々な手を尽くしてくれました。 北の山村に万病に効く霊薬があると聞けばそれを取り寄せ、南に悪霊を払うと評判の祈祷師がいれば、言い値で呼びつけました。東にも西にも使いの者を走らせました。でも、何をやっても私の体はうんともすんとも言わず、頑なに体の奥にある病巣を守り続けました。それでも両親は諦めずに妙な薬や胡散臭い法術使いを私の元に寄こしました。でも、私の体は私と両親の思いとは裏腹に快方の兆しを見せることはありませんでした。 『商売ハ牛ノ(よだれ)ナリ』という教えを地でいく粘り強い父の顔にもだんだんと諦めが見え、母の笑顔の裏には私を支えることに疲れているような表情が垣間見えました。私は二人の顔を見るのが辛かった。 いっそのこと『どうしてこんな子が生まれてきてしまったのだろう』とでも言ってくれれば、二人を憎むこともできたのですが、二人は私の前で恨み言一つこぼしませんでした。その理由は私が長男で、なおかつ、次の子が生まれなかったためでしょう。両親は私の体が治ることに一縷の望みを託していました。 誰も私に罰を与えてくれないのなら自分自身で罪を背負わなくてはならない。私は悲劇の主人公になるのが嫌でした。父も母も我慢しているのだから、私だって我慢しなければならないと幼心に思っていました。泣かず、ねだらず、騒がず。でも、私が泣き言を言わなくなると二人は曖昧な表情をするのでした。 何もかもが裏目に出てしまうと知った私は自ら世界を狭めていきました。なるべく、他人と顔を合わせないよう心がけました。それが私にできる最善手だったのです。食事は自室で摂るようになり、用を足そうと部屋を出るときには誰にも出会わない時間を選んでいました。 私は寝台から動かず、吸飲みで唇を濡らし、暇をつぶすために本を読む。それにも飽きると、ただただ、八畳の部屋の窓から見える四角く切り取られた景色を見るだけの生活を送っていました。 時が止まったような日々を変える出来事が突然起こりました。彼に出会った日のことは今でも覚えています。 私が数えで十になった冬のことです。私は毎朝、部屋の扉を叩く音で目を覚まします。部屋の中にある火鉢の炭を変えるために奉公人が叩くのです。 その日の朝も私は扉を叩く音で目を覚ましました。でも、私は前の晩、なかなか寝付けず、夜通し本を読んでいたため、窓の外が東雲(しののめ)に染まるころ眠りに落ちました。つまり、まだ眠っていたかったのです。 奉公人たちは私が入室を許すまで絶対に扉を開けません。だから、私は狸寝入りをして、扉の外にいる奉公人をやり過ごそうとしました。 間隔を開けて、何度か扉が叩かれます。大体三回ほど扉を叩くと奉公人は去っていきます。遠ざかっていく足音がそれを教えてくれます。でも、その日は違いました。三回ほど扉を叩いたあと、私の耳が捉えた音は床を踏む音ではなく、扉の取っ手が回る『カチャリ』という金属音でした。 中の様子をうかがうようにゆっくりと扉が開きます。こんな生活をしていると耳ばかりよくなっていくので、私の発達した耳は忍び足で近づいてくる足音をしっかりと捉えていました。 私は起きているのがバレてしまうのではないかと心配で仕方ありませんでした。私の方がこの部屋に忍び込んだのではないかと思うくらいに緊張して、脇から汗がどっと吹き出しました。布団の中は蒸れて暑いくらいでした。 すると、窓から差し込む朝陽が急に遮られました。まぶたの裏に感じる気配は暖かな朝陽から、闖入者の息遣いに変わりました。浅く小さい気配は大人のものではなく、私と同じくらいの子供のようでした。闖入者は私の顔に自分の顔を近づけて、覗き込むように私の顔を見ていました。 私は相変わらず布団の中で汗まみれになっています。こうなってくると、寝返りをうつこともできません。私は針で留められた虫のように身動きが取れなくなってしまいました。 私はしばらくの間、じっと見つめられていました。その時間は不思議と気味の悪い時間ではありませんでした。むずむずとしたこそばゆい恥じらいがむくむくと胸のうちから盛り上がってきました。 私が自分の顔が赤くなっていないか気にしていたその時、彼はこう言いました。 「死んでるみてぇだ」 その一言は私と私の周りにいる全ての人間が思っていることを代弁していました。 ぱきん、と炭が弾ける音を合図にして、彼は慌てて私の寝台から離れて部屋を出ていきました。 さっきまで火照っていた体は急激に熱を失っていきました。私はこのとき、いつも以上に寂しさに 苛まれました。窓から飛び降りて頭から落ちれば死ねるだろうか、なんてことも考えました。自殺なんて恐ろしすぎて私には到底できないのですが・・・・・・ 闖入者の名前は利助といいました。 私の家にいた奉公人の中では最年少で、私と同い年の男の子でした。でも、同じなのは年齢だけで、それ以外は全くもって正反対でした。 利助は素直な子でした。また努力家でもありました。照れ屋でもありました。正義感の強い男の子でもありました。初対面の人にも、はきはきと挨拶を返すことができました。人からからかわれる愛嬌を持っていました。冗談を真に受ける馬鹿正直な面を持っていました。失敗をした時に言い訳をしたことがないと、使用人が言っていました。私は丈夫な体を持っているだけで、こうも人生が違う事実に嫉妬しました。 利助が父と一緒に屋敷をでる姿を私は部屋の窓からいつも見下ろしていました。私だって、まともな体さえあれば利助のようになっていたはずだと思いました。私は頭の中で利助と自分を入れ替えて想像します。父の隣には私がいて、私は父のキリッとした顔を見上げます。鞄を持ってついていくだけなのに父の隣にいるだけで私も立派な人間だと思うことができました。 ぱきん、という炭の弾ける音がすると私は目を開けて空想をやめました。窓の外にはもう二人の姿は無くて馬車が残していった薄い轍だけが残っていました。 利助は私への気遣いも怠りませんでした。 毎朝、私の部屋に来ては(私は利助が部屋に入ってくるときはほとんど狸寝入りをしていましたが)火鉢の火を起こし、布団がずれていれば、私の体を覆うように掛け直してくれました。そして、部屋を出るときには一言、はやく良くなってください、と小さくつぶやくのでした。 私は小さいことにも気がつく利助が嫌いになりました。怪物みたいな劣等感がそうさせていました。皆に慕われ、自分が手に入れるはずだったものを代わりに手に入れた利助を恨みました。 私はどんどん卑屈になっていきました。 味の薄い食事にも、雲ひとつない晴れた空にも苛立ちました。私にとってこの世の善がこの世の悪に姿を変えていきました。空っぽの体には痛みと苦しみと嫌味が灰のように積もっていきました。 それらが爆発する日が訪れました。 きっかけは利助の贈り物でした。 私は時々深い眠りについてしまい、利助が部屋に入ってくることに気づかないことがありました。その日も私が目を覚ますと部屋は火鉢によって暖められていました。重い体を起こした時、部屋の机の上に赤い実をたくさんつけた南天の枝と一枚の紙片が置いてあることに気がつきました。私はなんだろうと思って机に近づいて枝と紙を手に取りました。 私は紙に書いてある文字を読んだ瞬間、「馬鹿にするな」と小さくつぶやき、紙を握りつぶしました。 怒りで頭が沸騰したようにカーっと熱くなって行くのがわかりました。文面にはこう書かれていました。 『旦那様と出かけたときのお土産です。南天は難転ともいって、病気に効くおまじないだそうです。この枝がぼっちゃんの力になりますように』 短い文は子供っぽい字で書かれていたので、一目見ただけで利助が書いたものだとわかりました。私は利助の思いやりを嫌味としか捉えられませんでした。 南天の意味だって知っているし、私の体を気遣うなんて余計なお世話だと思いました。さらに父と一緒に出かけた時のお土産という一言が私のどうしようもない卑屈な心に火をつけました。私は南天の枝を折ろうとしましたが、頭に血がのぼっていたせいか、急にめまいがしたので寝台にもどりました。 次の日の朝、扉を叩く音がしました。私は初めて「どうぞ」と扉の向こうにいる利助に入室の許可を与えました。 利助が扉の向こうで驚いているのがわかりました。私はそれだけで小さな優越感に浸りました。 「失礼します」 戸惑いの声が混じった挨拶をとともに、利助はゆっくりと扉を開け、おずおずと部屋の中に入ってきました。 「おはようございます。ぼっちゃん」 面と向かって利助を見るのは初めてでした。利助は私にカラッとした笑顔を見せながら挨拶をしてきました。そんな顔を見せつけられると、私はなおさら利助と自分の違いを認めたくなくなってしまいました。背格好だって同じくらいだし、栗のようにつんつんとした焦げ茶色の髪の毛は子供っぽいし、顔の作りだって私の方が繊細で大人びている。私は自分に無くて、利助が持っている部分を見下しました。そうしないと、自分の惨めさを認めてしまうような気がしていたからです。私は利助を無視することにしました。 「今日もいい天気ですね」 そんなことわかってるよ、と心の中で毒を吐きます。 「空気を入れ替えますね」 そんなこといちいち言わなくてもいいんだよ、とまた心の中で毒を吐きます。 利助が窓を開けると、冷たい風が部屋の中に入り込んできました。熱を失った氷のような空気は私たちの体をシンと凍らせました。 「寒いですね」 私は利助の言葉に舌打ちをしました。 言わなくてもわかってることは口に出せるのに、どうして私のことは誰もわかってくれないんだろう。私は苛立ちが抑えられなくて舌打ちをしました。私が苛立っていると知らしめるために舌打ちをしました。 でも、利助は何事もなかったかのように火鉢に火をつける作業をしていました。 私はもう我慢ができなくなっていました。 本当は外で遊びたいし、食事だって皆としたいし、苦しいときは体をさすってもらいたいし、痛いときは泣きわめきたかった。愛に飢えていました。私はこの気持ちを抑えられないとわかっていたからこそ、自ら遠ざかることを選びました。父も母も奉公人達も私との間に一本の線を引いてその線より内側には決して踏み込んでくることはありませんでした。 それなのに目の前にいる利助はあんなことをいってその境界を壊していきました。壊しただけじゃありません。私が欲しいものを私の目の前でちらつかせたり、私のことを気遣ったり、贈り物をもらったのだって初めてでした。 それなのに、どうして、今、この場で私のことを無視するんだ。たしかに、私はお前のことを無視していた。でも、今、私は舌打ちをしたじゃないか。ここで、お前に向かって舌打ちをしたんだ。気付いて。 つまり、私は構って欲しかったのです。無茶苦茶なことを言っているということはわかっていました。冷静になって振り返ると顔から火が出るほど恥ずかしいのですが、あの時の私は利助に構ってもらいたい一心でした。だって、私は憧れていた利助と仲良くしたかったのですから。 私は泣き出してしまいました。さすがに利助も放っておけないと思ったようで、寝台のそばまで近づいてきました。 「どうしました?」 「僕にだってできる」 「何がですか?」 私は火鉢を指さしました。利助は私の言わんとすることを理解したようでした。だから、優しい声で「一人じゃ危ないですよ。体が良くなってからやりましょう」と言いました。 私は首をぶんぶんと振って嫌だと言いました。 「それじゃあ、いつまでたっても何もできない。何もできないまま本当に死んじゃうかもしれないじゃないか」 私は体が良くなる未来なんて想像できませんでした。今、この場で、あの火鉢に火をつけられなければ、この先何一つできないぞ、と何者かに脅迫されているようでした。 利助は困ったような顔をした後、何か思いついたように声をあげました。 「じゃあ、一緒にやろうぜ」 驚くほど簡単に利助は言いました。目をぱちくりとさせる私に、また、あのカラッとした笑顔を向けてくれました。私は嬉しくなって応えるように笑顔を返しました。その瞬間、私の重苦しい悩みは埃のように吹き飛ばされていってしまいました。 私は寝台から降りて、利助に手を引かれながら火鉢に近寄りました。私が十能(火のついた炭を入れておく柄杓のような形をした道具)を両手でしっかりと持って、利助が火箸で炭を火鉢に入れていきます。炭が呼吸をするように赤く明滅を繰り返す様を私たち二人はしばらく見ていました。火がついたばかりで部屋の中は寒いのに私の体は喜びでぽかぽかしていました。 私と利助はその日から友達になりました。 利助は毎朝の火起こしはもちろん、仕事の合間を縫って私の部屋にきてくれるようになりました。 私は利助に謝りました。利助に対して逆恨みしていたことを。その理由は憧れから来ていると恥ずかしさを我慢して打ち明けました。すると、利助も以前から年の近い私のことが気になっていたと、カラッとした笑顔を赤くしながら話してくれました。 私たちは仲が良くなるにつれて、お互いのことをより深く理解していきました。 私は臆病で嫉妬深く、利助は大胆で社交的。正反対の私たちは正反対だからこそ、お互いを尊重することができたのかもしれません。自分が持ってないものは分け合えばいい。私たちの間にはそう言った暗黙の了解がありました。 信頼の絆は季節が巡るごとに強くなっていきました。 利助は十八歳の時に手代になりました。私の家でも歴代最年少で手代への昇進をはたしました。当然、利助は周りから嫉妬や羨望の眼差しで見られるようになりました。嫌味を言われることもしばしばだったのですが、利助は全く気にしておらず、「お前のやきもちには敵わない」なんて軽口を言って私を怒らせるのでした。 私と利助は私の部屋でちょっとした祝賀会をすることにしました。部屋に大量の菓子とラムネを用意して大人の飲み会の真似事のようなことをしました。 「雰囲気だけあればいい」 利助のカラッとした笑顔はいくつになっても変わりません。私は利助の笑顔を見ると胸のあたりが切なくなるようになりました。恋なんかではありません。私の体は、いったい、いつまでもつのだろうという不安を掻き立てられるのです。 私が暗い顔をしていると利助が心配するように私の顔を覗き込んできました。 「何でもないよ」と私は利助に言いました。昔はあれだけ自分のことをわかって欲しいと思っていたのに。私は自分自身の身勝手さに呆れました。 すると、利助は急に私の手を取り真剣な目つきでこう言いました。 「俺には夢がある。番頭になって旦那様から暖簾(のれん)分けのお許しをもらって店を持つことだ」 私は「利助の店はきっと繁盛するよ」と言いました。このままいけば暖簾分けどころか、本家を継ぐことだって夢ではないと思いました。この時ばかりは自分の体が病弱でよかったと思いました。私の体が弱く作られたのはこのためなのではないか、と思うほどでした。そういうことなら、私は構わないと思いました。 「馬鹿」 利助は急に私のことを馬鹿呼ばわりしました。 「俺一人の店じゃない。俺とお前で店を切り盛りするんだ」 私はいつぞやのように目をぱちくりとさせました。 「俺が外で、お前が中。俺は不器用だから、一つのことにしか集中できないんだ。お前が中を守ってくれれば安心なんだけど、どうだ?」 利助の目の奥にはもうすでに未来予想図が描かれているように輝いていました。私は嬉しくてしかたありませんでした。私の一歩も二歩も先を歩く憧れの人が私を必要としてくれている。そんな幸せ夢にも思いませんでした。私は泣いてしまいました。慌てる利助をしばらく眺めていました。 しかし、その夢は実現しませんでした。小さな祝賀会の何日か後、私たちの国は戦争を始めたからです。 その戦争は全世界を巻き込むほどの大きな戦争でした。 各国は世界平和や恒久的な安定という大義名分を旗印としていましたが、その実、あの戦争は未来の覇権を握るための戦争でした。でも、振り返ってみればそれは仕方のないことだったのかもしれません。世界はどうしようもない閉塞感に包まれていて、それを打破する方法は『争い』しかなかったのかもしれません。 勘違いして欲しくないのですが、私は戦争には反対です。私だって、街を焼かれ、人の死を肌で感じ、日常が混乱の渦に巻き込まれていく様をこの目で何度となく目の当たりにしました。 私たちが二十歳になったとき、あの手紙が屋敷に届きました。そうです。私の世界を滅ぼしていった手紙。召集令状です。 利助は戦地に駆り出されました。 私はというと病弱ということで「不適格」と大きく判が押された手紙が一通入っているだけでした。私は少しでも自分が病気でよかったなんて思ったことを後悔しました。病気でなければ、戦地に行って利助の助けになれたかもしれないのにと。 戦地に行く前日にまた二人きりで二人だけの壮行会をしました。軍服を着込んだ利助は当時人気だった俳優に似てすごくかっこ良くかったのを覚えています。 利助は私に向かってこう言いました。 「敵のことごとくを打ち滅ぼして、さっさと二人の店を開こう」 私は利助に南天の枝を渡しました。利助はカラッとした笑顔を私に向けてくれました。私は南天の枝に祈りを捧げました。どうかこの笑顔が曇りませんように、と。 利助からは度々手紙が届きました。文面はいつも明るく、楽しげなことしか書かれていませんでした。戦争の辛さや泣き言、腕がいたい、足がいたい、兵舎が臭い、虫がわいて体がかゆい、血まみれの同胞が担架に乗せられて横切っていく、砲撃で体が粉々になった、などは一切書かれていませんでした。しかし、戦況は日に日に悪化していっているようでした。父は商売仲間から情報を絶えず仕入れているらしく、新聞よりも最新で、正確な情報を持っていました。父は予言しました。 「負ける」 利助から手紙が届かなくなってから一年が経ちました。私には待つことしかできませんでした。私は今になって、両親の気持ちが理解できました。無力。あまりにも無力。出来ることなら変わってやりたい。でも、それはできない。自分に出来ることは限られていて、其れが何の役に立つのかもわからない。それでも信じなければいけないのは地獄でした。 父の予言通り、私たちの国は戦争に負けました。 私たちの国はあっという間に占領され、二度と反旗を翻さないように牙を抜かれ、口を縫われ、目を潰されました。 復員兵たちがちらほらと帰国し始めたのは、そういった混乱の最中でした。私は父に無理をいって、船が港に来るたびに連れて行って欲しいとせがみました。しかし、父は危ないからといって、聞く耳を持ってくれませんでした。 ある時、屋敷に大量の手紙が届きました。手のひらで鷲掴みに出来るほどの数があり、どれも泥や埃にまみれていました。しかし、その手紙は私にとって宝石と同じかそれ以上の価値を持っていました。その手紙は全て利助からのものでした。おそらく、混乱の最中、手紙の輸送が止まっていたのでしょう。私は一通一通、破れないように丁寧に手紙を読みました。 言葉遣いや荒い筆跡、誤字、脱字、利助の気配がびっしりと紙に刻まれていました。ここに利助がいるかのようでした。 私は最後の手紙を手にしました。私は比較的新しい手紙の消印を確認しました。一ヶ月前! 一ヶ月前のものでした。私は震えながら封筒を開きました。 そこには今日の日付と日時が書かれていました。 私は部屋を飛び出して、走り出しました。誰かが私を制止する声をあげました。でも、そんなことはどうでもいい。私はすぐに音を上げそうになる心臓を叱咤しました。行かなくちゃいけない。あの人のもとへ。
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