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もう1つの望み、それは、
「僕をこの世界に置いてはくれませんか?」
閻魔様のいるこの空間、時の狭間、裁きの間。ここでただ盆栽のように風景に溶け込み佇んでいるだけでいい。あわよくば閻魔様のお姿をずっと眺めていられれば尚いい。お寺や神社の軒下に住み着いている野良猫のような扱いでも構わない。
誰かと接する事。それを何としても避けたかった。
「……ここは裁きの間じゃ。日によって差はあれど死人の魂が常に流れて来よる。御主は人と関わりとうないと言うておるが───」
「その時は何処かしらに隠れておきます。お屋敷の軒下でも木の裏側でも穴を掘ってでも」
「───そうか」
閻魔様の言葉を遮り僕は必死に食らいついた。少々がめつかっただろうか、閻魔様は呆れたように一言零しまた思案し始めた。
でも僕だって引き下がる訳にはいかない。
「ここに留まる為には色々と条件があってのう。死人のままではいずれ輪廻転生の輪に強制送還されてしまうのじゃ」
「一体、どうすればいいんですか?」
「───妾に仕えよ、小野 司」
「………え……?」
仕える? 召使い的なものになれと、そう言う事なのか?
呆気にとられて言葉が続かなかった。
「ここには既に御主以外に1人、妾の従者がおる。その者と手を取り合い、妾を支える従者になれると言うのであれば、傍に置いてやってもよいぞ」
何となく、閻魔様の意図が読めた。閻魔様は僕を試している。ピクリと上がった眉と笏では隠しきれていない妖艶な笑みが、この考えを確証じみたものに変える。
言葉の意味を噛み砕くと、居させてあげる代わりに身の回りのお世話をしてね、あと仕事仲間がいるからその人とは仲良くやること、OK? ってところだろう。世話焼きなおばあちゃんの性格を受け継いでいる僕にとって、誰かの面倒を見るのは特に苦にはならない。問題は仕事仲間、もう1人の“従者”の方だ。他人と関わるのが嫌な僕にとって、この場合の仕事仲間とは一生付き合う事になる相手。いや、この空間が時の狭間と呼ばれるところから考えるに、永遠と一緒に居続けなければいけない可能性が高い。もし、僕の嫌いなタイプの人間だったら……
閻魔様が傍に置く人間だ、きっと悪い人じゃない。他人との関わりを断てるならその1人とだけ上手くやっていければいい訳だし。大丈夫。
「……なります、閻魔様の従者に。お仕えさせて頂きたく存じます」
僕は正座で痺れかけた足をあげ片膝をつき、お姫様に礼を尽くす騎士のように頭を垂れた。享年24歳フリーターの知りうる限り最大の敬いと忠義を示した。
それを見た閻魔様はコツコツと足音たてながら2歩3歩とこちらにゆっくり近づき、手に持った笏の先端を僕の額に触れさせた。
「気に入ったぞ」
一言呟きが聞こえたと思うと、次の瞬間に笏が添えられた額からほわんと暖かい何かが僕の中に流れ込んできた。ほんの一瞬の出来事だったが、全く不快感はなかった。
「面を上げよ、司」
「……はい」
額から笏が離れた後、閻魔様は僕にそう促した。言われるがまま僕は伏せていた顔を上げ閻魔様と再び視線を合わせる。
「御主に妾の力の一部を授けた。これで御主の存在がこの場所で維持出来るようになったはずじゃ。それと同時に、妾の従者としての契約も結ばれたと言う訳じゃが……この場所で妾に仕える御主に新たな名を授ける。これも契約の1つじゃ」
「……はい」
「とは言っても、御主の名は良き名じゃ。妾が付け直す必要もなかろう。家名の小野だけ取り払い、“司”と名乗るが良い」
閻魔様の微笑みはとても綺麗だ。誰もが抱く理想の美しい女性のそれなのだから。どことなく、新しい玩具を買ってもらった純粋な少女のようなあどけなさも垣間見える。
そんな閻魔様が“良き名”だと言うのだ。どんなに僕がその名前が嫌いだからといって、否定する事は出来ない。転生を拒否した上に頂いた名前まで拒否する事がどうして出来ようか。
僕は承認の意を示した後、今一度静かに頭を垂れた。
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