Episode05

2/2
194人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
 小学一年生のとき、ランドセルのフタをこっそりあけるというドッキリが流行ったことがあった。熱中していたのはクラスでも『やんちゃ』なグループだったから、自分たちのグループでは関係ないと思っていたし、『やんちゃ』な子の幼稚さを馬鹿にしてすらいた。しかしあるとき、家に帰ってランドセルを下ろした途端、中身がドサドサッ、と一気に床に散らばった。しばらく一体、何が起こったのか分からなかった。中身を戻し、フタを閉めようとしたときようやく、『いたずら』をされていたのだと気がついた。血の気が引いた。指先が今にも凍りそうになった次の瞬間、頭がカッカと燃えるように熱くなり、その次に震えが来た。恥ずかしさで震えたのは初めてだった。そう、恥ずかしかったのだ。それを誤魔化すように、怒りに薪をくべた。そのとき一緒に帰っていたのはふたりだった。どっちだ。どっちがやった。どっちもか。ふたりして自分をハメたのか。ふたりして自分を嘲笑っていたのか。  靴も脱がず玄関で立ち尽くしていたことに、母親がやって来て初めて気づいた。母親に「どうしたの」と声をかけられるより先に玄関を飛び出していた。そしてまずひとりの家に乗り込み、またもそいつの母親に「高崎くんどうしたの」と声をかけられるより先に、「おまえらさいていだな!」と玄関先で怒鳴り散らしていた。そいつはいっこうに出てくる気配がなかった。「ひとをおとしいれるのがそんなにたのしいか! ていぞくだな!」  陥れる。低俗。  そんな言葉を知っている小学一年生は滅多にいないだろう。相手が理解できないと分かって難しい言葉を叩きつけてやること。それがそのとき樹にできた、唯一の復讐方法だった。 「おれのいってることまちがってんなら、でてきていいかえしてみろよ! できねえんだろ。しょせんひとりじゃなにもできないひきょうもののくせに!」  言いたいことを言って、ふたり目の家に向かった。しかし家に向かうまでの道で、丁度塾に向かおうとしていたそいつを捕まえることができた。ひとり目をこてんぱんにしてやった勢いでそいつにも食ってかかったが、しかしそいつの反応は期待していたものと違っていた。そいつは樹がどれだけ厳しい言葉をぶつけてもずっと、へらへらしていた。そして言ったのだ。「何そんなに怒ってんの。こっわー」  今だったらそれこそ「空気を読めない」と言われていたに違いないないけれど、そのときまだそんな鋭利な表現はなかった。けれど神経を逆撫でするには十分な挑発だった。  どんな状況でも手を出してはいけないと戒められる。でもこの瞬間は手が出そうになった。暴力は嫌いだ。でもその衝動は理屈じゃなかった。この武器じゃ通じないと分かったら他の武器を使いたくなる。それと同じだ。無敵と思っていた『言葉』を封じられたらもう、暴力しか残っていない。  それでもかろうじて『暴力少年』にならずに済んだのは、理性が勝ったからじゃない。 「皆よくやってんじゃん、冗談じゃん。ったく、樹って冗談通じないよなあ。てか家帰るまで気づかなかったの? マジ?」  もうどうやっても敵わないと気づいたからだ。  それでも一矢報いてやろうと、冗談だったら何やってもいいのかとか、やられた方が嫌だと感じたらそれはやっちゃいけないんだとか、また小学一年生にしては小難しいことを、唾を飛ばしながらまくし立てたのを覚えている。 「ふーん、別に俺は全然嫌じゃないけど。何だったらお前もあけてみりゃいいじゃん。ほら、あけさせてやるよ……って、ごめーん、俺今ランドセルじゃなかったわ」  塾のリュックを見せつけながらケラケラ笑うそいつを前に、そのときは拳を握りしめるしかできなかったが、でも次の日樹はちゃんと、実行した。次の日も、そしてその次の日も……  一ヶ月近くに渡って毎日、ランドセルのフタをあけ続けてやったのだ。登下校中だけじゃない。教室の後ろのロッカーに入れられているときも。  次第に友だちも近づかなくなり、初めは擁護してくれていた先生にも見限られた。「やられたらやり返す、というのはよくないわ」  その理屈が、分からなかった。やり返されるのが嫌なら、やらなかったらいいのではないか。やり返すのがよくない、なんて、じゃあ先にやったもん勝ちか。  今となっては流石に狂気だと思う。先生の言っていたことも分かる。でもそれは『学習して』身につけた善悪観念で、自分の中にはまだ確実に『狂気』な部分が潜んでいるのが分かる。ドッキリが不快なのはつまり、仕掛けられたとき、今まで抑え込んでいたものが弾け飛んでしまうような気がするからだ。一度弾け飛んでしまったらもう、自分自身では制御できないような気がするからだ。  日向はきっと、「冗談じゃーん」とドッキリをしかけていたタイプだろうな、と思う。仮に同じクラスだったら、絶対に交わることのないグループにいただろう。大人になってから、あのときああいう形で出会わなければ、こういう関係にはなっていなかった。それはとても奇妙なことだと思う。  そして……日向だったら『奇妙』ではなく、『奇跡』と形容するんだろうな、ふと思った。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!