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Episode01
「確かにRフーズの買収は御社にとって魅力的な案件かとは思いますが、いくつか懸念材料もあります」
自分の発したひとことに会議室内の空気がピリついたのを感じたが、かまわず続けた。
「売上総利益率がこの五年間で7パーセント台から5パーセント台に悪化しています。有利子負債が月商の約四か月分。収益改善は容易ではないと思います。海外子会社の成長性には魅力がありますが、年によって変動が激しい」
空気が読めない。
そう言われることに慣れすぎてしまって、もはやそういった非難(もしくは忠告)は、少しも心に響かない。
大体にして、「あいつ空気読めない」とこれみよがしに言うこと自体、空気を読んでいない言動なんじゃないか。赤信号でもかまうもんか渡っちゃえ、と言い出す奴より、皆で渡れば怖くないよなと盛り上がっているときにやめた方がいいと言い出す奴の方がどういうわけか、空気を読んでいない、奴になる。そういう空気、にはいい加減うんざりしている。
さらに関係会社間の株式売買についてや、Rフーズ取締役の李氏が代表を務めている関係会社に対する仕入債務の不自然な増加について言及しようとしたところ、隣にいた部長が、「確かに高崎の申しましたとおり、性急に結論づけてしまうのは危険です。ここは今後、実際にDDに移った際、精査する必要があると思いますが、如何でしょう」と、樹が息を継いだほんの僅かなタイミングを見計らって口を挟んできた。決してこちらの提案の押しつけではないのだ、とクライアントの機嫌を取りつつ、高崎の申しました、と添えることで、扱いにくい部下のフォローも怠らない。
流石だな、と、戒められた立場であることも忘れて、他人事のように思う。
こういう振る舞いを見せつけられると、空気なんて読めるか、読むのは数字だけで十分だとひらき直っていた自分が恥ずかしくなる。けれど自分はどうやったって、部長のようにはなれないのだ、ということも分かっている。
「ずいぶん焦っていたなあ」
先方の社屋から出たとき部長に言われ、一瞬、自分のことかと思ったが、部長が言っていたのは先方の室長のことだった。
「大野さん」
「……そうですね。買収ありき、というのがあからさまで……。あの様子じゃお渡しした資料も社長のところまで行くかどうか分かりませんね」
「役員昇格がかかってるからね、彼は」
もともとこの案件は、先方の大野成長戦略室長兼経理部長と知り合いということで、部長が獲ってきた案件だった。獲ってきた、というより、先方に泣きつかれた、という方が正しい。年商4000億、東証一部上場の大企業の経理畑で十数年……という先方室長だが、ことM&Aに関してはズブの素人だった。先方の企業内で成長戦略室が正式に立ち上がる前、何でもいいからとにかく利益になる会社、と連呼されたときには、そんな都合のいい会社があるならとっくに皆買っている! と何度『かんたんM&A読本』を叩きつけてやりたくなったか分からない。初めから100パーセント満足にいくディールなんてありえない。買いたい、と言うのは簡単だが、会社は単なるモノではなく、究極、ひとの集合体だ。買われる方の抵抗だって当然ある。
アドバイザリー契約を結んで話が具体的に進み始めても彼のお花畑思考は抜けず、「年収が~学歴が~身長が~」とのらりくらりと見合いを断るがごとく、いたずらに買収候補先リストに取り消し線を増やしていくばかりだったのだが、今月に入って態度が一変、急に交渉に前のめりになった。ただ彼の関心が、「利益の出る会社」から、「早く買える会社」にシフトしただけで、「何でもいいからとにかく」思考は変わっておらず、宥めたり賺したり、暴れ馬を手懐けるような苦労は相変わらずつきまとった。彼が部長の、大学時代の先輩という間柄でなければ、ここまで辛抱強く相手などしていられなかったし、本来なら、しらゆり証券グローバル投資銀行部門投資銀行本部長にお出ましいただくような案件でもない。「高崎君の提案は信頼がおけるから」と部長は言ってくれたが、提案を信頼されてはいても、人間力を信頼されていないのは自覚していた。
「すみません。でしゃばりすぎました」
「いや、君がああ言ってくれて助かった。私が言ったところで彼は聞く耳をもたないからね」
なるほどそういうことか。なら心置きなく、『怖い物知らずの若手バンカー』を演じてやろう。
しかし、役員昇格、というなら、彼が成長戦略室の室長に抜擢されたときから分かっていたことなのに、何故今になって急に……
部長なら個別に何か聞いていることがあるのではないかと期待したが、巧みに話を逸らされてしまった。
「そうは言っても可能性を潰すことはないからね。事実、欧州子会社の伸びはすごいし。……ガバナンスがどこまで効いているかは少々疑問だけど。とりあえず大野さんには私の方からあっちの社内の方でも効果を検討してもらうように言っておくから。バリュエーションは……」
「一週間……五日……いただければ出せると思います」
正確には部下のアナリストに出させる、のだが。
「流石、早いね」
しかし何故かあまり、褒められているようには感じなかった。
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