Episode07

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Episode07

 睡眠が細切れのせいでやはり目覚めは最悪だった。  ストックしてある栄養ドリンクに手を伸ばしたとき、ふと、日向と目が合った。 「最近毎日飲んでない? それ」 「んー……そうか?」 「そうだよ」 「よく見てんな」 「空き瓶のゴミ捨てしてるから気づく。最近超重いもん」 「そりゃ悪かったな。次からは俺がやるよ」 「そういう意味で言ってんじゃないよ。何かもうほとんど無意識みたいに手に取ってんじゃん。中毒になるからやめた方がいいよ」  やめた方がいい……規則正しい生活をして……最低七時間は寝て……適度な運動をして……油モノは控えて野菜を多く取って深酒はしないで……  そんな分かりきったことをわざわざ聞きたくなかった。やれるならとうにやっている。それでもやれないから、こうなっているんじゃないか。じゃあお前が代わりにクライアントのところに足を運んで資金調達方法について話すことができるのか。もういっそイチから作り直した方が早いんじゃないか、という提案書に赤を入れて、部下を指導することができるのか。  分かってる、と言いながら栄養ドリンクのキャップをひねる。思った以上に固くて変な風に力を入れてしまったせいで、指先を少し、切った。  これ以上は入ってくるな、と結界を張るみたいに新聞を広げる。その結界のぎりぎり外に、日向が食パンとゆで卵とコーヒーを置く。コーヒーは粉ではなくドリップしたものだが、正直違いがよく分からないし、ポタポタ落ちるのなんて待ってられない。日向はこだわりがあるらしく、そのうち自分で豆を挽くとまで言い出しそうな勢いだ。それが単純に日向が好きでやっていることなら、否定も肯定もしない勝手にやってくれ、なのだが、俺と一緒に暮らすことでほら、淹れたてのコーヒーが飲めるだろ、とか、健康状態に気を遣うようになるだろ、とか、どうも好意的な反応を期待されているように思えてならない。日向もひとりで暮らしていたときは、こんなことはやらなかったんじゃないか。日向のズボラな生活だったら、朝食もちゃんと取っていたかどうか分からない。  コップを置き、いやにゆっくりと離れていく指先。疑似餌に惑わされる魚のように、その動きにつられて一瞬日向の方を見上げてしまい、気まずい。また新聞に目を落とす。 「それに最近、鼾かいてるしさあ」 「は?」  そんなわけはない。ていうか、何でこれから仕事ってときにそんなことを聞かされなきゃいけないのか分からない。見ているもの(FRBの資産購入)と聞いているもの(鼾かいてる)にギャップがありすぎてテンションが変になる。百歩譲って鼾をかいているのは認めたとして、やっぱり何でこんなときに言われないといけないんだ。バサッと派手に音を立てて新聞をめくる。 「かいてないし」 「ムキになんなよ。俺だってめっちゃ疲れてるときとかはかくからさあ。別に変じゃないとは思うんだけど、それにしたって最近ひどいからさあ」 「ひどい?」 「いや……時々ものすごい音量差があるから。ほらあれ……スイミンジムコキュウ、とかじゃないの」  確かに最近寝ても寝ても疲れが取れない。でも三十を超えたらそういうこともあるだろうと思っていた。多忙、というのは便利で、ありとあらゆる不調の言い訳にできる。多忙、さえなくなれば、何とかなるだろうと期待が持てる。でももしそうじゃなかったら……? いやいやでも、睡眠時無呼吸って、中年太りのおっさんじゃあるまいし……  そう鼻で笑おうとした矢先だった。 「太ってなくても、骨格とかでなるんだってさ。要は気道が狭くなるのが問題だから。特に樹、アレルギー持ちじゃん。それで炎症して狭くなっちゃう場合もあるらしいし」 「……いい機会だから、寝室別にする?」 「えっ……何でそんなことになんの」 「だってうるさいだろ。お前だってそれで途中で起こされたんじゃないの。てかもっと早く言ってくれたらよかったのに。今まで我慢されてたと思うと何か……」 「いや別に我慢してたわけじゃないけど……ただ、気になっただけで……」  何にせよ気になってたんじゃないか。無言のままパンをかじる。  すると日向は、はあ、と、些か芝居くさくため息をついた。 「樹って……」  言葉にしかけたものを一旦仕舞いこみ、何度か推敲し、満足いく仕上がりではないけれどこれくらいで妥協するしかない、という風に口をひらいたのが分かった。 「樹って何でそうかなあ……」 「何でそう、って、何がだよ」  持って回った言い回しは嫌いだった。言いたいことがあるならはっきり言え。何なら結論から言え。5W1Hが分かるように。口に出した言葉にも赤線が入れられたらすっきりするのに。仕事だったらもうちょっとしっかり詰めてこい、と言って終わる。もし日向と仕事を通じて知り合っていたら、きっとこんな風に関係を続けていなかった。学生時代に出会っても駄目、職場で出会っても駄目……それでも続いているこの関係は、やっぱり奇妙、だと思う。職場の人間が、日向の要領の得ない話し方にじっと付き合っている樹のこの様子を見たら、同一人物だとは思わないんじゃないか。 「何でそう、何でも非難されてる……みたいにとるかなぁ」 「非難?」  予測していなかった言葉で、どう打ち返していいか分からなかった。  非難? そういう言い方がまさしく非難めいているじゃないか。非難されてるみたいにとる……って、どうとろうが勝手だろ。誤解されたくないのなら、されないような言い方をすればいいじゃないか。 「心配なんだよ」  心配。  何故かその言葉は、非難、以上に胸をえぐった。
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