Episode08

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Episode08

 心配。 『やからほら、お母さんの心配したとおりになったやない』  心配、という言葉の重み。それに反して、占いの結果が当たった、というときのような、反応の軽さ。  そんなに心配してくれていたのなら、何故今、まさに今、その『心配』とやらをしてくれないのか。もうこれ以上はない、というところまでえぐられた心を、さらにえぐるようなことを言うのか。  院卒で入った外資系投資銀行。一年と保たずに退職することになったとき、母に言われた。「そういう激しい世界はあんたに向いとらんて」  激務で身体を壊した。激務、という言葉は便利すぎて、ああ、激務だったらしかたないよね、と、他人も、自分も、あっさりと納得させてしまう。本当は以前から力不足を痛感していたのに、引退の理由を怪我にするスポーツ選手みたいなものだ。確かに世間一般から見たらハードワークだったかもしれないが、でも、同僚は皆、普通にそれをこなしていたのだ。できる奴がいるのにどうして、自分は『できない奴』になってしまったのか。何が自分とその他のひとたちとを分ける要因になったのか。  結局一年のブランクののち、第二新卒として日系のしらゆり証券に入社した。入社が決まったあと母から「伯父さんにお礼言うときよ」と言われたとき、同じしらゆりグループの、子会社とはいえ役員にまで昇りつめていた伯父の力が少なからず働いていたことを知った。「初めからそうしとればよかったんよ。しらゆりはあんたに合うとると思うわ」  コネ入社なんてお断りだ、何が何でも自力で這い上がってやる、という反骨心もなければ、かといって、お願いです力を貸してくださいと頭を下げられる人間力もない。どう処理していいか分からない不良債権みたいなプライドばかり溜め込んできた。  ちょっと夜遅くなると、『大変だね、お疲れさま』と眉をハの字にしながら日向は声をかけてくれる。そう言われることで自分は『大変』で、とても高度なことをしているのだと錯覚できる。単純に、気分がよかった。  でもこんなの、大変でも何でもない、と、もうひとりの自分は冷静に分析している。働き方改革とやらで(抜け道があるとは言えど)残業時間は厳しく制限されているし、有給消化も目標のうちに入っている。『部門別研修』『キャリアアップ研修』『リーダー層研修』『グローバルコーポレートバンカー研修』……と、役に立ってるんだか立ってないんだか分からない研修が目白押しなのも、『己の成長を他人に委ねてどうする』な外銀と違って手厚く育成している……わけではなく、真の目的は社員の息抜きなのだと二年目くらいでようやく気づいたときには、そのヌルさでも回っている日系企業の体力に変に感心すらした。だから大変でもないし、単に拘束時間が長いだけで、特別難しいことをやっているわけでもない。どんな仕事でもたいていそうだと思う。ノーベル賞級の研究だって、ひとの命がかかっている手術だって、経験を積めば自然とプロフェッショナルになるし、慣れる。でもまったく門外漢の人間から見たら、すごいこと、になる。  自分は全然すごくなんてないのだ。  でも、日向の勘違いをただすことなく、『すごいね』『難しいことをしているんだね』と尊敬のまなざしで見られることをいやらしく待ち望んでいる。それこそが、一緒に暮らすメリットだとすら思っている。  これは果たして愛情か。  カウンセラーに相談しようものなら認知行動療法を薦められるのが目に見えているが、認知が歪んでいようが何だろうが、自分は愛される資格なんてない人間だ、という思いが、人格形成されていく年代からずっと鬱陶しくへばりついていて、どれだけきれいな愛情を注がれても、心をきたなくよごしてしまう。愛される資格がない。でもそれ以前に自分は、愛し方を知らないんじゃないか。マウンティングするような形でしかひとと関わってこなかった自分は。愛されない愛されないって、愛することもできないくせに。  そんなことに、恋人と呼べる存在ができ、あまつさえ一緒に暮らすようになってから気づくなんて。
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