Episode11

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Episode11

「うわ~うわ~うわ~……」  銀行の紹介で訪問したM美容品。  流石、『美』を売り物にしている企業だけあって、社屋から洗練されていた。  後ろにいる滝本は、小声で「うわ~」を連呼している。  清潔感のある白を基調とした流線形のエントランス。壁にあしらわれたデザインには、さりげにコーポレートカラーのコバルトブルー。突き当たりの全面ガラス張りの窓からは、立派な桜の木が覗いて見える。春にはきっと見事な光景が見られるのだろう。仕事じゃなかったら滝本なんかそれこそ「映える」と、スマホでパシャパシャやり出しそうだ。 「あ~こんなオフィスで働きたかったな~、何かいいにおいもするし~! これだったら仕事の能率も上がりますよ~。ねえ?」  樹に対して言ったのか、同行していた宮下課長(銀行の渉外担当)に対して言ったのか……。「ねえ?」の引き取り先は見つからずじまいだったが、それでも滝本のテンションは変わらなかった。 「あれ、一本五千円以上するんですよ!」案内された応接室で、壁面にディスプレイされていたシャンプーのボトルを指して言った。「美容室で買わされそうになったことありますもん」 「美容室でしか買えないやつなんだってな」 「通販とかやってないんですか」と宮下課長が、滝本と同じようにディスプレイの方に身を乗り出し、それに対して滝本が「やってないんですよ!」と即座に反応している。「ブランドイメージを保つためなんですかね。通販サイトとかで見かけるんですけど、それって全部転売なんですって。あと手に入れるとしたら、株主優待くらいしかないんですよ。だからここの株って人気なのかも。女性とかに特に。私だって一回優待貰ったらたぶん、手放さないですもん。あ~、株、買おっかな~」  インサイダーに引っかかりそうな恐ろしいことを言う。  先方がやって来たのはその直後で、聞かれていなかっただろうかとひやひやした。しかしこの案件にアサインしたときはあまり乗り気でなかったようなのに、一週間足らずでちゃんと企業について(些か偏っているようだが)調べてきているのは流石と言ったところか。 「いや、すみませんお待たせいたしました。ご足労いただき有り難うございます」  先方は副社長と経理部長の二名だった。宮下課長は副社長と会うのは初めてらしく、慌てて名刺入れを取り出している。  会社の屋台骨を陰ながら支える職人、的な経理部長とは正反対に、コーポレートイメージを地で行くような副社長からは、会社の顔を長年勤めてきたという自負が見える。おそらくまだ四十代前半。若くしてこの座にいるのは、オーナー社長の息子だからだ。  交換した名刺の紙は厚く、でこぼこと凝った模様が施されている。こちらが取り出したぺらぺらの名刺と比べたらコストが段違いだ。変な話、こんなところからも会社の状態を窺い知ることができる。  名前の字体も、よく見る明朝やゴシックとは違う。けれどアーティスティックに偏りすぎることなく、ちゃんと読みやすい文字になっている。  日向だったらこれはこういったデザインで……といったことが分かるんだろうか。  頂いた名刺を名刺入れの上に置いたとき、照明に反射して角がきらりと光った。
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