Episode16

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Episode16

 帰ったとき玄関に、宅配の荷物が置かれていた。  ラベルに『クール』とあったので、何でこんなところに放置しているんだ、と一瞬カッとなったが、日向は風呂に入っているところだった。  宛先を見ると、樹宛になっている。まだ届いて間もないようだったし、受け取っていてもらっただけ有り難く思うべきか、と、気持ちを落ち着ける。日向のことだからロクに品目も確認せずに、受け取ってそのまま、そこに置いたんだろう。……にしたって冷たいな、とか、分かるだろう普通。  どうも宅配とは、相性が悪い。  以前、受け取っておいてくれと頼んだものを忘れられたときがあった。何で受け取っておいてくれなかったんだと言ったら、「お前の荷物を受け取るために家にいるわけじゃない」と逆ギレされた。何にキレたのか分からないが、できないんだったら初めから断るべきじゃないか。間違ったことを言ったとは思っていない。でも日向の、いつもとは違う異様な勢いに圧されて、それ以来宅配に関しては立場が弱くなってしまった。それ以来、自分で頼んだものはできるだけコンビニで受け取るようにしているが、勝手に送られるものはどうしようもない。……実家からの荷物とか。  書道の先生をしていた母の、非の打ち所のない字。  メールと電話、どっちにするか悩んだ結果、電話を選択。遅い時間だし、そんなに長引くこともないだろう。さくっと礼だけ言って終わろう。向こうが勝手に送ってきているんだからと無視していたこともあったが、結局、「届いた?」とどこまでも追いかけこられるのは学習済みだった。届いたも何も、追跡を見たら分かるだろうに。面倒なタスクはとっとと片付けてしまうに限る。日向が風呂から上がってくる前に。  コール音を聞きながら、掛けるまでは憂鬱でしかたなかったくせに、五回六回と待たされると、何で早く出ないんだといらいらしてくる。 『はいはい、樹?』 「荷物届いた。有り難う」 『あー、もう届いたん。意外と早かったねえ。ちょっと奮発したんやから、感謝しなさいよ』  中身は鰻だった。 『冷凍やけどね。鹿児島のおじさんに、お中元に貰ったんが美味しかったんよ。あんた帰ってきたら一緒に食べよう思うて待っとったんやけど、なかなか帰ってこんから……。しようがないから同じの取り寄せてみたんよ。今まで本番は愛知や思っとったけど、養殖は鹿児島が一位やねんて。送ったんも養殖やけど、意外と天然より美味しい気ぃするわ。庶民には味の違いなんて分からんもん。それでも結構な値段したんやけど』 「有り難う。でも別にそんな気ぃ遣わんでええから。働いとるとなかなか家で自炊せえへんし」 『そうや思うて送ったんよ。自炊ゆうてもご飯炊いてボイルするだけやないの。そんくらいできるやろ。食はすべての基本やねんから。どんなに難しい仕事しとってもな、そこを手抜きしたらあかんよ。また身体壊したら元も子もないやないの』  うんうんと相槌を打ちながら、話が徐々に核心に迫ってきたのを感じていた。  母の話し方はいつもこうだ。  薄ぼんやりとした世間話だと侮っていると、いつのまにかキュッと狭まった円周の中に閉じ込められていたりする。 『食べるもんが身体を作るって、身を以て実感したんよ。実はちょっと前まで、脚が攣るのが気になっとったんよ。冷えとるしなあとか、歳やからしようがないんかなあとか思っとったんやけど、あるとき、あれっ、そういえば最近攣ってへんなあ、って。で、思い返したら、そのとき大量に冬瓜をもろて、毎日せっせと消費しとったんよ。どうもカリウムがええらしいね。おかげで血圧も下がって。やけど食べんくなったらまた元に戻ってまうね』  食べるものが身体を作る……  なら今の自分の身体の約半分は、日向が作ったものでできていることになる。  ……おぞましいことを考えてしまった。  日向も、ちらりとでも思ったことがあるんだろうか。自分の作ったもので相手の身体ができていると。  味の違いが分からないように、たとえば日向に毒を盛られていたとしても、たぶん自分は、気づけない。毒……ではないが、一緒に暮らすことによって日向に盛られた『何か』が、蓄積していっている実感はある。  いよいよ日向が自分のことを愛せなくなったとき……殺したい、と思ったとき……殺すなら、毒を盛って殺してほしいと、突拍子もないが、一方でかなり真剣な考えが頭をかすめた。ナイフで刺すとか鈍器で殴るとかベランダから突き落とすとかそういうんじゃなく、じわじわ、蓄積させられたもので息絶えたい。 『健全な精神は健全な肉体に宿る、って言うしね』  不健全な考えを見透かすようなタイミングだった。しかし格言の使い方が間違っている……と思ったが、ただしたところで意味がないので諦めた。 「しかし有り難いんやけど、こんなに一気に食べれんよ」 『やから冷凍にしたんやないの』  鰻は四尾。ファミリーサイズだ。ひとり暮らしの息子に鰻四尾って……  一尾がでかいから、一回に食べるのは半分ずつになる。またヨーグルトと同じ道を辿るのか。贅沢な話だけれども。  たぶん、母の中で樹は、家を出た高校生のときで止まっているのだ。何かあったら母はいつも、大量に同じものを送りつけてくる。前は淡路産のたまねぎだったし、その前は千枚漬け、その前はシャインマスカット、さらにその前は何故か手作りパンキット……。贅沢なのは分かっているが流石になまものはやめてくれと言ったら、今度は冷凍に切り替えてきた。しかし冷凍でも、これは何か違う。でもときどき、米とか鯖缶とか『分かってる』ものを送ってきてくれるから、何が何でも絶対送ってくるなと突っぱねることもできずにいる。  あまりに趣味の合わないものを送りつけられると途方に暮れると同時に、このひとは一体息子の何を見てきたんだ、と思う。そんなんだから、今の今まで息子がゲイで、しかも同居までしてるってことに気づけていないんじゃないか。それとも……  それとも、と、こうやって大量のものや、二個一セットになっているものを送りつけられたとき、ちらり、と思う。それとももしかして、気づいているんじゃないか。これを分け合う相方がいることに。 『ほんまはねえ、一緒に食べてくれるひとがおったらええんやけどねえ』  下手な役者のようにぎこちない「そうやね」になった。  ブオオオ、と洗面所からドライヤーの音が聞こえてきて、日向が風呂から上がっていたことに気づいた。こっちは急に寒くなったけど、そっちは……と、切っても切っても絡みついてくる糸みたいな会話を断ち切るのは至難の業だった。「そっちよりは暮らしやすいし、あんまり心配せんでええから。何かあったらすぐ言うけん」物理的な距離は離れているのに、粘着力は面と向かい合っているときより、強かった。「俺のことはええから、母さんこそ気ぃつけてよ。もう若ないんやし」  最後は何とか一矢報いる形で終えられたと思う。電話を切ったのと同じタイミングで、ドライヤーの音も聞こえなくなった。がちゃがちゃばったん、と、洗面所下の戸棚を開閉する音。ちょっと気をつければいいだけのことなのに、どうして静かに閉められないのか不思議だ。おかげで蝶番が馬鹿になってしまったことがあった。  扉は静かに閉めろ、宅配受け取ってくれて有り難う、冷凍庫に入れておいてほしかった、今日はめずらしく仕事が早く終わった、ただいま……  何をどれからどう言うべきか……  口はあいているけれど声が出ない。 「おかえり」  先に言われてしまうと、今まで考えていたことがサッと消し飛んだ。  日向の横を通り過ぎながら、ただいま、と言うべきだったと思ったそのとき、 「心配せんでええから」  奇妙なイントネーションで、自分の言葉を再生された。
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