5-②.綻び ※

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 沙保が黙っていると、燈子はくしゃりと顔をゆがめて苦笑いを浮かべた。 「わたしはもういい大人だし、このままでもいいの。でも沙保はだめ」 「……なんでわたしだけ」 「言うとおりにして。愛してるの、愛してないの」  答える代わりに強引に唇を寄せると、仕方なさそうに燈子は受け入れた。沙保が自分から唇を離すことなんか出来るわけもなかったけれど、予想に反して燈子もまた躊躇しているようだった。そのまま永遠にも思える時間が過ぎて、結局燈子は顔を背けて沙保を振り切った。  正面に向き直った燈子の目の濡れたような光は何を訴えかけているのだろう――。早く終わらせて? キスが長すぎ? それともこうだろうか。優柔不断、意気地なし、臆病者。  どうしてこんな風に思ってしまうのか、理由は分かり切っていた。  燈子の澄んだ目に映る自分がそう言っていた。別れを告げられるのが怖くていつまでも逃げていると。  ごっこじゃない本気だよ、そう言ってしまいたいのに、たった一言が喉の奥につかえて出て来ない。こんな自分がなお甘えたいなんてお門違いなのは分かっていたけれど、沙保はぎゅっと華奢な身体に抱きついた。燈子はもう恋人ごっこなんかどこかに忘れてきたように、沙保の背中をさすりながら呆れて言った。 「あのね、わたしは沙保の恋人でも母親でもないのよ?」 「……まだ恋人だもん」 「恋人なら愛してるって言えるでしょ?」 「わかったよ」  そうごにょごにょとつぶやいて、沙保は声を絞り出した。迫真の演技、なんていう逃げ道を残したまま。 「……愛してる。燈子さんが大好き」  燈子はふふっと小さく笑ったかと思うと、その儚げな表情はたちまちいつもの混沌の鎧に呑み込まれた。それからはすっかり普段通りだった。 「ほんとに昨日はどうしたの」 「……ひとつくらいこんな思い出があったっていいじゃない」 「どこかに行っちゃうみたい……、燈子さん」 「それはお互い様でしょ」 「……何かあったの?」 「何があってもいいようによ」  探りを入れるたびにかわされ続ける、こんな会話をいつまで繰り返すのだろう。本音を隠してこんなことをしているのでは、ごっこ遊びと何も違わない。心の中のもう一人の自分はそう叫んでいるのに、どっぷりと身を浸したこの生ぬるい虚しさがこの期に及んでもまだ心地よかった。
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