6.染み

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 高校時代と変わらないテンポで話ははずむのに、沙保の心の奥ではかすかな劣等感がうずいていた。  燈子に対しては、年上の相手への甘えと、プライベートに踏み込まない関係を続けてきたこともあってか、そんなふうに思ったことはなかった。それが燈子といて居心地がいい理由のひとつだなんて、この時の沙保には思いも寄らないことだったけれど。  かつて奈緒に抱いていた想いは、性別という足かせ以外は純粋で自由だった。だが今となっては、沙保の心に空いたいびつな穴に嵌めこむには、それは美しすぎてどう考えても不似合いだった。    ふと話が途切れた隙に、沙保はお互い何となく触れられずにいた話題を切り出した。これを話さない限りは、今日のこの時間は何の意味もないと心に決めて。 「あの……今さら弁解するのもおかしいかもしれないけど、勝手に消えたこと謝りたくて」  奈緒がごくりと息を呑み、やはり彼女もまたこの話をしに来たのだと分かる。 「どうしてって聞いてもいい? 同窓会があるたびに、わたし達沙保に何かしちゃったかなって話してたから」 「違うんだ。ただ高校までの自分と決別したかったんだ。だけどそれまでのわたしを知ってる人には知られたくないこともあるし、みんなに囲まれてたらいつまでも変われないと思った。勝手な理由でごめん……」 「沙保が変わったのは見たら分かるよ」 「理想形じゃないけどね。だからみんなには悪いけど後悔はしてない」 「そんなこと言われたら納得するしかないじゃない。もっと文句言ってやろうと思ってたのに」  奈緒は仕方ないなあと眉尻を下げ、それから少し姿勢を正した。 「でも一個だけ言わせて。さっつんのことみんな心配してたけど、これはわたし個人の感想。六年間も同じ学校で一緒に過ごしたのに、あの時間は嘘だったの? 親友だと思ってたのはわたしだけだったの? って思って……つまりね、寂しかった」  急にこぼれ出たかつてのあだ名に、思わず沙保の顔はほころんだ。とたんに奈緒はハッとして、顔の前で両手を振った。 「もう昔のあだ名なんて子どもっぽいよね」  慌ててそう言った奈緒もまた緊張しているのが伝わってくる。人一倍周囲に気を遣って、それでも言うべき事は言う、そんな記憶の中の奈緒と何も変わっていなかった。  けれど、「どっちでも好きなほうで呼んで」と返した沙保に、奈緒は少しだけ表情を陰らせた。  二人が通っていたのは中堅クラスの中高一貫女子校だった。一学年二百名ほどの生徒が六年間同じメンバーで、同じ校舎で学ぶ。母の勧めで進学したこの学校は、伝統校ということもあって校則が厳しく、入学した時にバラバラだった個性はだんだんと均一的な集団へと集約していった。周りと違うことはそれだけで罪だった。胸のうちに秘めたものを守るため、踏み込ませないために、誰にも踏み込まない。それが沙保が六年間かけて身につけた処世術だった。  奈緒に対しても同じだった。奈緒の笑顔をたまらなく懐かしく感じるのに、彼女が何を好きで何を嫌いだったか、そんな基本的なことさえぼんやりとしか思い出せなかった。言ってみれば、知っていたつもりになっていたのかもしれない。唯一はっきりと覚えているのは、中学生の時奈緒が一瞬ハマっていたビジュアル系のバンド名くらいだ。  窮屈な学校生活の中でも、奈緒の隣にいるのは何となく居心地がよかった。「さっつん」というあだ名で沙保を呼んだのは結局奈緒だけだったけれど、それに引っ張られる形で名前を呼ばれることが増え、教室で遠巻きにされがちだった沙保にも多少の居場所ができた。  だからだろうか、奈緒の好みや趣味はほとんど忘れたのに彼女の好きだった所ならいくらでも思い出せた。穏やかで、沙保のような一匹狼とも気にせず接する所。白い頬に浮いたそばかすが可愛い所。程よい筆圧の字が驚くほど美しく、選ぶ言葉に独特のセンスがあった。
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