7.出会い ※

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 二軒目か三軒目に入った居酒屋で、十数人の社会人の団体と相席になった。漏れ聞こえる会話から、彼らは大学時代のサークルの同期で、その中の実花という女性が結婚することになり集まったらしいことが分かった。  ふとしたことで隣にいるのが学生劇団だと知れると、興味を持った様子の男性数人が声をかけてきた。視線の先にいたのは、おそらくよく主役を張っていた同期の瑠璃――目鼻立ちがくっきりした存在感のある美人だ――だったけれど。  お互いもう酔いが回っていたせいか、世代の違う二つの一行が入り乱れて無礼講となるのにそう時間はかからなかった。  酒を飲まない沙保は、いつもどおり介抱役に回って潰れそうな面々に気を配っていた。どちらのグループかはすでに意味をなさず、とりあえず顔の赤い出来上がった人にお冷やのグラスを手渡して回った。  その中の一人が燈子だった。とは言っても、彼女は酔っているようには全く見えなかったけれど。顔色一つ変えずに涼しい顔で次々とグラスを空けていく、その清々しいほどのハイペースぶりを見てさすがに心配になったのだ。  誰と話すでもなく猫背気味に座卓に肘をつき、グラスを空にするごとに小さくため息をつく姿は、どことなく浮世離れして見えた。 「あの、大丈夫ですか?」 「……大丈夫よ。ありがとう」  お冷やのグラスをコトリと置いて思わず声をかけると、燈子は儚げな笑みを浮かべ、すぐに視線を遠いところにやった。その視線の先を追うと、彼女らのグループの主役、金色の紙製の冠をかぶった、実花と呼ばれている女性が赤い顔でふわふわと笑っていた。 「学生さんかな。失礼だけど女の子……だよね?」  燈子はまたも小さくため息をついてから、我に返ったようにこちらを向いた。  艶のある長い髪がさらりと揺れ、一瞬目を奪われる。見た目から予想したよりはハスキーな声だった。 「はは、よく男に間違われます。でもこんなんでも、腰の曲がったおばあちゃんとか色っぽい役とかもやるんですよ」  実際年配の同業者の中には、短く切った髪とパンツルックの沙保を見てあからさまに眉をひそめる人もいたから、燈子の反応はだいぶマシなほうだった。  場の雰囲気に合わせ沙保がおどけて言うと、燈子はくしゃりと相好を崩した。色素の薄い目が間接照明の光でとろんと潤んで見える。白い頬の輪郭は今にも消えてしまいそうで、妖精みたいな人だと思った。口には出さなかったけれど。 「……自分以外の人になれるのって楽しいだろうな」  ふいに燈子は独り言のようにつぶやいた。  この人は何者になりたいのだろう。そしてそれはどうしてなのだろう。  気になるけれど、興味本位で聞いていいとも思えなかった。だから沙保は燈子の「ね、ちょっとだけ抜けようよ」という言葉にもただ頷いた。  燈子は沙保の手を引いて、お手洗いに行くふうを装ってさりげなく外に連れ出した。 ひんやりした指先につかまれた手のひらが、心なしか熱かった。  お手洗いへと続く外階段に出ると、広めの踊り場からはネオンの輝く夜の街が見渡せた。街の喧騒の中、お互いの気配だけが不思議に取り残され、時々漏れ聞こえる居酒屋のにぎやかな声が耳に心地良かった。  熱く湿った風が二人の頬を撫で、店内から一歩出た瞬間にふき出した汗の粒はどんどん大きくなっていく。  黙っている燈子の意図も、何を話していいかも分からなかったけれど、沙保は恐る恐る口を開いた。 「ごめんなさい、なんかうちのがお邪魔しちゃって……」 「ううん、皆楽しそうだし」 「……あなたは楽しくない?」  言ってすぐに後悔した。さっき知り合ったばかりなのに深入りしすぎてしまったと。 「……すいません。初対面なのになれなれしかったですよね」 「私、そんなに分かりやすいかな」  そう自嘲気味に笑うと、燈子は静かに続けた。 「……失恋したの、本日の主役に」  でも結婚すると言っていたのは女性だったような――。  そう頭を巡らせていたら、燈子は乾いた笑いを漏らした。 「驚いた? 何でこんなこと知り合ったばかりの子に話してるんだろ」  燈子は階段に座っている沙保に背を向けて、踊り場の柵に寄りかかって夜の街を眺めていた。その背中は乾いた口調とは裏腹に寂しそうで、沙保は思わず手を伸ばした。
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