比奈の悩み

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比奈の悩み

 夜。黎明はいつものように、庭先から比奈の家に侵入する。普段であれば縁側に座り、黎明を出迎える比奈だが、今日は困った顔をしながら、部屋の中の火を灯した行灯のそばで、文を読んでいた。 (ふむ。神流の推測は、あながち間違いじゃなさそうだな)  黎明は手紙に原因があるとわかり、声をかけるために近づく。 「こんばんは。比奈」 「っ!? れ、黎明様。申し訳ありません。出迎えもせず」 「別にいいさ」  黎明が縁側に座ると、文を片付けた比奈が横に並ぶ。 「すみません。兄様は今日、宿直で」 「あぁ、本人から聞いてるよ。それより、またなんか、悩みを抱えているだろ?」 「……い、いえ。その、たいしたことでは、ありませんから」  黎明に指摘されて比奈は動揺したが、すぐに作り笑いを浮かべる。  それを見て、黎明は彼女の頭に手を伸ばし、そっと撫でた。 「黎明様?」  神流によく撫でられるからか、比奈は抵抗することなく、されるままになる。 「無理に、笑わなくていい。俺は比奈の本当の、笑顔が見たい。それに神流も、心配していたぞ」  黎明にまっすぐ見つめられ、比奈は観念したように、小さく息をついた。 「……わかりました。実際に見ていただいた方が、よいと思います。どうぞ、部屋の中に」 (そう簡単に、男を部屋の中にいれるべきではないと思うんだが)  内心でそう思いつつも、比奈に促され、黎明は彼女の部屋に上がる。  比奈の部屋は女性のわりに、ひどく殺風景だった。夜桜の柄の衝立に、小さな化粧台と鏡。その他、赤い衣装箱と文机程度しか物がない。  比奈は行灯の火で灯された文机の前まで黎明を誘導すると、先ほどまで見ていた文を、彼に差し出す。 「ありがとな」  黎明は礼を言って受け取り、読み進める。そのうち、だんだんと自分で眉間に皺が寄っていくのを自覚した。 「これはひでぇな」  送り主は江戸で評判の日本橋に店を構える、呉服屋の若旦那からだった。比奈に好意を抱いているという旨が書かれたものだったが、一通目からとても執着じみた内容となっている。  一通目。きみのような美しい女性がいるなんて、思っていなかった。  二通目。きみに会いたくてたまらない。でもまた怪我をしたら、きみを悲しませてしまう。  三通目。僕がこんなにも恋い焦がれているというのに、どうして返事をくれないんだい?  四通目。今日は花を添えてみたよ。赤い菊だ。珍しいだろう? 花言葉はあなたを愛していますだよ。返事を待っている。  五通目。恥ずかしいのかな? なにも恥じることはない。だって僕たちは愛し合っているのだから!  六通目。なぜ、なぜ返事をくれないんだ! 僕は身が裂かれるほど、きみを愛しているのに!!  あまりにも不快な文に、黎明は比奈からも自分からも遠ざけた。 「これ、いつから?」 「二週間ほど前からです。彼の怪我を治療した翌日から、送られてくるようになりまして。ざっと十三通ほど」 「十三通!? 毎日じゃねぇか! なんで今まで黙っていたんだよ。こいつ、異常だぞ」  すると、比奈が困ったように眉尻を下げる。 「実は、昔も似たようなことがありまして、その時は兄様が少々……」 「あー」  昼間に、神流本人から聞いていたこともあって、黎明は天井を仰いだ。 「相手の方から言われたわけではありませんが、兄様が清々しい笑顔で『もう大丈夫だ』と言ってきたことがあったんです。それ以降、文も来なくなったので、兄様がなにかしたとしか」 「少しは隠せよと言いたい」  黎明の正論に、比奈は苦笑する。だがやはり、いつものような柔らかい雰囲気はない。  気疲れしている比奈を元気づけるため、黎明は思考を巡らせる。そこでふと、あることを思い出した。 (たしか、あの河原はあれが見事だって、兄上が言っていたな)  黎明の言う河原とは、神流から比奈のことを聞いた場所のこと。  思い立ったが吉日と言わんばかりに、黎明は近くにあった比奈の羽織を手に取った。 「比奈って、幼い頃以降、外に出たことがないって、言ってたよな?」 「あ、はい。お守りがあっても、外は、怖くて……」  比奈は黎明の質問に、戸惑いながらも答える。すると黎明は、羽織を比奈の肩にかけた。 「そうか。でも大丈夫だ。今日は俺がいるからな」 「え?」  黎明は比奈の手を取って、立ち上がる。 「部屋に籠っているから嫌な方向に、深く考えちまうんだよ。その文の相手は、俺がどうにかしてみるからさ。というか、しないと不味い。そういう奴は、何をしでかすか、わかんねぇからよ。夜に忍び込んでくるかも」 「……黎明様が言われると、説得力がありますね」 「……確かに。俺、いつも夜に来てるもんな」  自分の言動を振り返り、黎明は納得を示す。そんな彼に比奈は苦笑をこぼした。 「それより、気分転換に行こう」 「で、でも、外に出たらっ」 「俺が一緒だから、大丈夫だって。俺も、刀を使えるし」  慌てる比奈を他所に、黎明は縁側に出て自分の草履を履くと、沓脱石の上に揃えて置いてあった、漆塗りで赤い鼻緒の下駄に目を向ける。 「これ、比奈の?」 「そう、です。兄様が下さったものなんですが、履く機会は全くなくて」 「なら今こそ、使い時だな」  比奈を縁側に座らせ、下駄を履かせる。 「へぇ。かわいいじゃん。比奈に似合う」 「あ、ありがとう、ございます」  黎明に褒められ、比奈は照れながらも、礼を述べる。  彼はそのまま彼女の手を引き、塀の前まで来た。 「あの、黎明様。まさか、ここから出るのですか?」 「おう。ちょっとごめんな」 「きゃ」  黎明は一応の断りを入れて、比奈を横抱きにした。 「掴まってろよ」  そう言って、黎明は比奈を抱えたまま、軽い身のこなしで、塀を飛び越える。 「ひゃあ!」 「わりぃ。驚いたよな」  黎明は軽く笑って、比奈を下ろす。 「そんなに、遠くないから」 「どこに向かわれるのですか?」 「ついてからのお楽しみ。夏だからな。見ごろだぜ、きっと」  黎明は比奈を導くように、そっと手を握って歩きだした。
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