1

5/5
228人が本棚に入れています
本棚に追加
/93ページ
 母は山梨県北東部に位置する小さな町、三橋町で育った。 過疎化の波に飲み込まれた町は右肩下がりに人口を減少させ、やがてうら寂しい温泉街だけの秘境になった。三橋町には材木加工の他にとりとめて産業はなく、また農業も年々衰退していた。  母の両親は平成3年頃まで三橋町に住み、やがて山梨市内に転居した。 ひとつは病院までの距離が遠く、なにかと不便だったこと。 もうひとつは祖父が勤務していた町役場を定年になったこと。 人口減少で町として段々機能しなくなっていた三橋の町は、斜陽のただなかで息も絶え絶えだった。そんな三橋町に鉄道など必要なはずはなく、米富軌道は平成の時代まで存続することなく、消えていった。
/93ページ

最初のコメントを投稿しよう!