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飽きっぽい、すぐにポイ、『MUGO・ん…色っぽい』
僕は飽きっぽい性格です。
しかもかなり。
健康のためにマラソンをしようと思えば雨が降ったという理由でそのまま止めたり、日記を書こうと思って良いノートを買えば三日以降は白紙。
上げればキリがないし、自分のことが嫌いになりそうなのでやめますが、大体そんな人間です。
けれど、なぜか文章を書くことだけはやめたことがありません。エブリスタでの更新はなかなかないですが、ノートやスマホのメモなんかにはちょこちょことアイディアや文章を書き進めていたりします。
前にも書きましたが、たしか六歳くらいのときから物語的な何かを書いていたはずなので、よくもまあここまで続いたものだなあ、と感慨深いです。
こうやって書きながら最初に小説を書こうと思い立った動機を必死に思い出してるんですが、根っこの部分が全くもって思い出せずにいます。
みなさんが最初に小説を書こうとしたきっかけはなんですか?
☆☆☆☆☆☆★★★☆☆☆☆☆☆
僕自身の情熱の根っこについては分からないんですが、「こういう文章を書きたい」という方向性みたいなのが定まった始まりはスピッツの『ルキンフォー』を聴いたときでした。
いまでもはっきりと覚えてます。
この曲のなかで、こんな歌詞があります。
〝思い出で 散らかった部屋を
出てゆくよ
言ってたより 少し早く〟
草野マサムネさんの歌詞は本当に色々と好きなんですが、この歌詞を超える感動は未だにないです。
この短い文章のなかに詰まってる情報の密度ってすごくないですか? 地下鉄の電車に揺られていても、都会の雑踏のなかに揉まれていても、映像がありありと浮かんで、匂いや音までもが立ち昇ってきそうな文章だな、といま眺めていても震えます。
もちろん、メロディやリズム隊のまとまりも素晴らしいんですが、この曲に対してこの歌詞を書くっていうのはやっぱり言葉を失います。
帽子脱ぎます。
草野マサムネさんの歌詞は色っぽいですよね。
☆☆☆☆☆☆★★★☆☆☆☆☆☆
なんだかスピッツの話ばっかりですね。
話を変えます。
もう一つ、色っぽいなあと感じる文章は、僕の場合、スペイン人の作家さんの小説を読んでいるとそうなります。
僕が書くお話に一番影響を与えたのは、まず間違いなくカルロス・ルイス・サフォンです。
物語のテーマや全体的な雰囲気は、かなり影響されていると自覚します。
特に『風の影』を読んだとき、「いまは無理だけど、いつかこういう小説を書きたい」と思ったのは現在でも色褪せずに残ってます。
どういう小説か、を語るとまたすごく長くなってしまうので割愛しますが、個人的に感じたざっくりした感想は、「伝える者と受け継ぐ者」がテーマになっているなということ。
過去があり、思い出がある者たち。
忘れ去られようとしている彼らの足跡を聞き、受け継いでいく者たち。
彼らの灯した火を絶やさない防人たちの物語。
僕にはそういう風に読めて、とても面白かったし、僕が書きたいものにもなりました。こういう話って、すごく小説的ですよね。比喩とかではなく、この物語が「小説」という媒体の本質を捉えているように感じます。
小説を書くということをテーマに色々な人が色々な比喩で伝えています。それは「走ること」であったり、「彫刻」であったりと様々ですが、僕は小説は「花瓶」だと考えています。
小説は書き手がいるだけでは成立しないですよね?
「小説」が「小説」である所以は読み手がいるから。ビジネス的な側面の話だけではなく、読み手がいてこそ「空想」が「小説」に変わっていくものだという実感があります。
だからこその「花瓶」。
「花瓶」は一つの作品として完結しているけれど、その「花瓶」を見た人それぞれが自分なりの花を生けた時、別の意味が生まれる。
小説の在り方っていうのは、本来そういうものなんじゃないかなあ、と思います。
話が逸れましたが、
『風の影』は一読の価値があるのでオススメです。興味が湧いたなら是非。
☆☆☆☆☆☆★★★☆☆☆☆☆☆
あまりにも長くなってしまったんですが、最後に告知めいたものを一つ。
おそらく年内に長編小説を上げようかなあ、と考えてます。飽き性なので、実現するかは分からないです。
今度は完結させたいなあ。
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