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落し物
道を歩いていると、けっこう色んなものが落ちてたりしますよね。
今まで僕が見つけた落し物は、
長ネギ、財布、パスケース、片方だけの軍手、人揃いの手袋、ベビーシューズ(右足)、スカーフ、マフラー、サンバイザー、1セント硬貨、ボルト、(おそらく)小物箱用の鍵、南京錠(鍵とは全然別の日)、ボタン、Tシャツ、クリスマスプレゼントの小箱、わかめ混ぜご飯のおにぎり。
思い出せるだけでこんなものが道に落ちていました。
つい先日、地元の某大型スーパーマーケットに行ったとき。
用を足したあと洗面器の前に向かうと、鏡の近くに何かがあることに気づいた。鏡が掛かっている下にある小物とかが置かれている棚(?)のところに「それ」はあった。
キウイだった。
当たり前だけど、果物のキウイだ。
しかも、青果コーナーでバラ売りされている、企業名が印字された丸いシールが貼ってあるやつが一個だけ、ふてくされたようにころんと転がっていた。
手を洗ってからエアタオルで乾かすまでの間、どうするべきかかなり悩んだが、結局警備員が巡回に来てそいつを見つけたので僕の出番はなかった。
少し、ホッとした。
長ネギだったり、財布だったり、それから軍手だったりを落とすことは分かる。
実際に僕も落とした経験があるし、落とさなかったとしても事情を想像することができる。
けど、キウイを、しかもたった一個だけ忘れるっていうのはいくら考えても情景が浮かばなかった。世の中はかくも不思議なことで溢れかえっているなあ、とそんなとき思ってしまう。
あのキウイはちゃんと持ち主と再会できただろうか。
☆☆☆☆☆☆★★★☆☆☆☆☆☆
『俯いていてばかりではダメだよ。星空を見てごらん』
本だったか、映画だったか、マンガだったか、誰かの名言だったか。物心ついたときにそんな言葉を知った。
なるほど、と思った。
十三歳のとき、夕暮れの迫った荒川の土手を僕は歩いていた。友達の家から帰る途中で道に迷い、なぜだか分からないけど土手に辿り着き、右も左も分からないけどなぜだか右手の方向を歩き続けていた。
今となっては季節感はまったく覚えていないけど、とにかく足が痛かったし、全然知らない土地を果ても分からず歩いていたから不安で胸がいっぱいだった。夕陽はどんどん傾き、夜の気配が茜色の空に溶け始めていた。
僕は泣きそうになった。
そんなときに『俯いてばかりではダメだよ』という言葉を思い出した。
たしかにそうだ。俯いていてはダメだ。
僕はそう思い、空を見上げた。近くに遮るような背の高い建物がない土手から見る空は高くて広かった。ずっと眺めていると落っこちてしまうのではないかと錯覚するくらいにどこまでも深かった。
実際、僕は落っこちた。
土手から足を踏み外したからだ。
そういうわけで、僕は『空を見上げなさい』系の勇気が出る言葉が嫌いだ。
☆☆☆☆☆☆★★★☆☆☆☆☆☆
上を見続けることがいい事ばかりではない。
足元が疎かになるし、だいいち首が疲れる。
失わなくていいものを、もしかしたら失ってしまうことだってある。
たしかに俯いてばかりいると暗い気持ちになる。それは事実だ。背中が曲がって肺や器官を圧迫し、呼吸が浅くなる。呼吸が浅くなると脳への酸素供給量が足りなくなって集中力や決断力が低下する。
俯いてばかりいることの弊害はたしかに存在する。
けれど、足元には色々なものが転がっている。
ベビーシューズや、マフラーや、一揃の手袋。ボタンや外国のコインも。そしてクリスマスプレゼントだって。
僕らにとって、それらは一瞬を切り取ったただの品物に過ぎない。けれど、それにはちゃんと前後関係があって、意味が存在する。そこには奥行きがちゃんとある。
そういうものに想いを馳せて、物語を想像することでだって世界と繋がることができると僕は思う。キウイ一つで、もしかしたら僕はまったく別の世界にだって行けるかもしれない。
昨日、公園に散歩に行った。
秋の落し物が咲いていた。
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