第一章 神様は無垢な少女の姿をしている

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 ヒイロから課せられた使命を、翌朝から早速実行に移した。  そのうちの一つは陽向町全体を散策すること。これから土地神の信徒(下僕はあまりにも乱暴なので訂正した)として行動するにあたり、雰囲気を掴んでおく必要があるだろうとの神の仰せだ。  純二さんに確認したところ、町に幾つかある見所なら一日でも充分に回りきれるという。ただし原付バイクでは通れない場所もあり、また停められる所がほとんどないらしい。  民宿で一泊した翌朝、純二さんの助言に従い徒歩で町を回ることにした。民宿マキノから比較的整備された林道に沿って進むと、数分で三叉路に行き当たった。道筋はあらかじめ地図で調べて頭に入れておいたので、住宅地に繋がる道を迷いなく選ぶ。そこから更に十数分歩いたところが、陽向町で最も民家が密集している地区だ。  信徒を務めるにあたって、僕は旅のさなかに封印してきた計画性を発揮することにした。神様に頼られて、無自覚のうちに張り切っていたのかもしれない。十日間の予定をすべて、というわけにはいかないが、今日向かう場所は綿密に決めていた。  散策にあたっての前提として、僕はこの町に観光のために立ち寄ったのではない、ということがある。だから純二さんから聞かされた町の観光場所を巡るつもりも毛頭ない。あくまで目的は、ヒイロが司るこの町がどういった場所で、どのような人が住んでいるかを確かめることだ。ゆえに、民家の集まる地区を最初に目指した。  だが、結果的にこの判断は数奇な出会いを招くことになる。下手をすれば神との出会いよりも意地の悪い巡り合わせ。  きっと、もう僕には運命を選ぶ権利なんて残されてはいないのだろう。  彼女との再会は、それを知らせるためのものだったに違いない。  田舎というより故郷と呼んだほうがぴったりくる町並みだった。  古い家屋が多い。その一軒一軒が大きい。どこも庭があけっぴろげになっており、車が三台以上停まっているなんてざらだ。二世帯、いや三世帯は住んでいるだろうというほどの屋敷もあった。地図で民家が多くあるように見えていたのは、敷地の中に離れが幾つも建っていたからなのだ。  僕はすっかり異界に迷い込んだように感じていた。これまで生活圏にしていた場所とは様子が違いすぎる。様子が違えば勝手も違う。具体的には、公道だと思って通った砂利道が敷地内の私道だったり、とか。  ヒイロが雰囲気を掴んでおいてと言った理由を痛感する。これは多少慣れておかないと気が滅入る。  無駄になった頭の中の地図を消し、慎重に標高の高い方へと続く道を選ぶ。迷わないための苦肉の策だったが、意外にも上手くはまった。門戸の数が減り、道も分かりやすくなっていく。  やがて辿り着いたのが、貴族でも住んでいるのかというくらいに大きな屋敷だった。試みにぐるっと敷地の周りを壁づたいに歩いたら十分以上かかった。おそらくこの辺りでは最も広大な屋敷だろう。  ここが純二さんも言っていた、大地主の庄屋屋敷。江戸時代よりも更に昔から続く名家の邸宅というわけだ。  これだけ大きければ、町の観光資源になっているというのも納得がいく。見たところ他の観光客もいるようだし、不審には思われずに済みそうだ。  僕は当初の目的を果たすべく、どんな人がここに住んでいるのかを確かめることにした。勝手口から入るのは流石にまずいと思い、観光のふりをして誰かが内側から現れるのを待った。  三十分ほどして、門の前にトラックが停車した。機を見計らったかのように木造の門扉が重々しく開く。それから作業服の男性が数人現れて、屋敷の中へ搬入を始めた。何を運んでいるのかは、トラックが邪魔で見ることができない。  ここで何かやるのだろうか、と思った。冠婚葬祭のいずれかが行われると聞いても不思議ではない屋敷だ。何らかの式のために準備をしているようだった。  トラックの積み荷を降ろし終え、作業員は去っていった。その直後、見つける。  門の前に女性が立っていた。歳は二十代くらいで髪型はショートボブ。左目の下にある黒子が特徴的な、洗練された都会の女性といった容貌。ただ、周囲の和風な背景とは噛み合わずに浮いているような印象も見受けられる。  柄にもなく僕は、その女性に話しかけようと考えた。ここまで一時間弱、誰とも接触を図れていなかったことで焦っていたのかもしれない。この機会を逃せば屋敷の中の人と接触できるのはいつになるか分からないと思ったのだ。  できるだけ偶然を装ってその女性に接近する。向こうはなかなか僕の存在に気づかなかった。緊張した面持ちで、口紅を塗った唇をきゅっと閉めている。 「すみません。あの、」  用意していた台詞はあった。でも、その続きが声になることはなかった。  門前の女性は僕に気づくなり、幽霊でも見たように顔を真っ青に染めた。口元に手を当て、明らかに動揺している様子だ。  僕はそれ以上彼女に近づくことはできなかった。今にも叫び出しそうな彼女を見て、刺激するような行動は取れない。それが原因不明であるなら尚更。  棒立ちになった僕と、だんだんと冷静さを取り戻していく女性。彼女は一度だけ小さく身震いをすると、僕を憎々しげに睨んでこう言った。 「そっか、そうだよね。現れるとしたら、きみ以上はいないもの」  その言葉の意味を問うよりも早く、女性は踵を返して屋敷へと戻っていった。門が開いたままだったので追うこともできたが、どうしても足は前に進んでくれなかった。そしてとうとう視線を地面に落としたまま、重い門の閉じる音を聞いた。  心当たりはまったくなかった、わけではない。  ただ、どこかでまだ信じていたかったのだと思う。僕の中で僅かな灯火になっていた記憶が、完全に輝きを失ってしまうのをおそれていた。だからすぐには思い出せないふりをして、彼女の背中を追うこともせずに、決定的な失望を回避しようとした。  そう遠くない未来、僕はそのすべてが無駄だったと思い知る。  誰も彼も、過去の清算からは逃れることができないのだ、と。    * 「うーん、そのような女性には見覚えがありませんね」  ヒイロは炊き込みご飯のおにぎりを頬張る合間にそう言った。 「夜高さんの見立てどおり、都会から来た人なのでしょう。庄屋屋敷に居たというなら相応の事情がおありなんだと思われますが」 「余所者は皆ここに挨拶しに来るんじゃないのか?」 「強制ではありませんからね。霊験あらたかとはいえ、若い女性がお参りするには少し(いわ)くがつきすぎるところもありますし……うぐっ」 「そんなに急いで食わなくても」  緑茶の入ったペットボトルを手渡すと、ヒイロは慌ててキャップをひねり喉に詰まった米を流し込もうとする。ごきゅごきゅと音を立てて緑茶がなくなっていく。 「ぷはぁ、死ぬかと思いました」 「神様が喉を詰まらせて死ぬか」 「比喩表現ですよ。神は死にません」  えっへん、と胸を張るヒイロ。まるで威厳というものがなかった。  事の発端は昨日の契約成立後。仰せつかった使命のうち、二つ目がヒイロへの『お供え物』の献上だった。とりあえず食べ物がいいとのことで、僕はたまたま通りがかった私営のスーパーで幾つか惣菜と飲み物を買い、境内まで持ってきたのだ。  それがまさか恥も外聞もないような食いっぷりに発展するとは。ますます神様らしからぬ行いが目立っていく。  それからわずか数分と待たないうちに、ヒイロは買ってきた食料をきっちり平らげてしまった。 「ご馳走様でしたー。久しぶりに文明的なお食事ができましたよ、ありがとうございます」 「文明的って……。毎日お供え物はあるんだろ?」 「それはそうなんですが、そういうのってだいたい野菜がそのままどんって感じで置かれているんですよね。特に冬の時期は根菜が多くって、それだけじゃあつらいものがありまして」  炊き込みおにぎりを包んでいたラップを丸めて、空いた左手で拝殿前の古ぼけた箱を指差すヒイロ。 「あそこにお金を放り込んでもらえたら、また違ってくるんですけどね」 「お賽銭はいらないんじゃなかったのか」 「そ、そんなこと言いましたっけ」  目が尋常でなく泳いでいる。とぼけるのが下手なやつだ。  もしやとは思うが、参拝者にも金を渡して食べ物を買いに行かせたりしているのではないだろうか。この読みが当たっていないことを切に願う。 「それで、庄屋屋敷に住んでいるのはどういう人たちなんだ?」 「一から十まで説明すると長くなりますね。あの屋敷の表札は見ましたか?」 「ああ。東田(ひがしだ)、って書いてあったな」 「それがこの辺一帯を取り仕切る一族の姓です。江戸以前には豪農と呼ばれ、この神社を建立したのも彼らです」 「つまりはきみを信奉する方々の代表ってことだな」 「そうですね。うふふふ」  含みのある笑み。ちょっと気味が悪い。 「夜高さんは受け取り手が嬉しくなる言い方というものを心得ていますね。わたしはとても気分が良いです」 「それは重畳なことで」  別に機嫌を取っているつもりではないのだけれど、適当に話を合わせるだけで何かと喜ばれるから僕にとっても気分は悪くない。それだけ僕は他者との会話に飢えていたのかもしれなかった。  ヒイロも似たようなものなのだろうか。こんな山中の社に独りきりで、ただ見守るだけが役割の彼女は、人との関わりが恋しいのだろうか。だからいつも、嬉しそうに笑っているのだろうか。  神様の心情を慮るなんて、馬鹿げていると自分でも思う。  だがそれは、彼女を未だに神様だと信じようとしない心の証左でもあった。  惣菜を入れていたパック等をごみ袋でひとまとめに片づけた後、ヒイロは大きな欠伸をしてみせた。 「ふわぁ……なんか幸せって感じですねえ」 「きみは人間味がありすぎるな」 「そういう成り立ちの神様ですからね。詳しいことは資料館にでも行けば調べられますよ」 「気が向いたら、調べておくよ」  正直言って、興味はない。目の前にいる相手のことを文献にあたるなんて非効率極まりないと思ったからだ。  十日間という事実上の制限時間は、少しでも神様の信頼を獲得するために費やすべきだ。遠回りをして不興を買い、最後の最後に気まぐれでも起こされて願いを叶えてもらえないのが、考え得るなかでは最も避けたい結末ではある。 「夜高さんは心配性ですね」  ふとヒイロが僕の顔を覗き込んでいることに気づく。どうやらまた心を読んでいたらしい。 「信頼ならもう充分しています。貴方という人がその願いのためなら何をしてもいいと思っていることを、わたしは既に知っていますから」 「それは僕を信頼しているわけじゃないだろう。僕の願いに対する熱量を信じているだけだ」 「同じことですよ」 「いや違う。たとえば僕がきみに頼らず願いを叶える方法を見つけたら、きみの信頼は裏切られることになる。その可能性を否定できない限り、僕が真にきみの信頼を得られているとはいえない」 「もー、理屈っぽい話をする人は嫌われますよ?」  ヒイロが憐憫の視線を僕に向けてくる。 「いいですか、わたしは神様なんです。そのわたしが言っていることなんだから間違いはないんです。夜高さんのいう理屈は人の理屈であって、神様の理屈とは別の物です」 「なるほど」  思わぬところで是非が決した。やはり理屈で神様を語るのは不合理らしい。 「だとすれば僕は、何に従ってきみの信頼を受け取れば――」 「あーもういいですからそういうの!」  両肩を正面からがっしりと掴まれる。少女の可憐な顔がすぐそこにあった。 「理屈がどうこうより、夜高さんがわたしの信頼を得るために頑張ってくれることのほうが、わたしにとっては重要なんです! 分かりましたか!」 「は、はい」 「もっと明るく!」 「はい!」 「よろしい!」  気圧された僕に、屈託なく笑いかけるヒイロ。  その様子が、故郷にいる姉の顔と重なって見えた。 「そんなわけで早速ですが、夜高さんには本題に移ってもらおうと思います」  ヒイロの表情が神妙なものへと変わる。  これからが、本当の使命だ。 「〈悲哀の子〉を探してください。そして、その子をどうか救ってほしいのです」
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