絶望と決意

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絶望と決意

 蛍は出会ってしまった。会ってはいけない奴らの1匹、いや、1頭に蛍は出会ってしまった。  全身が灰色の毛に覆われており、所々に薄い青色の線が、血管のように全身に張り巡ってていた。そして時々、呼吸をしているみたいに光ったり、暗くなったりしている。 「う、うそ……だろ?」  目の前にいる化け物に恐れ、1歩2歩と後ろ向きに足が動く。だが、あまりの恐怖に蛍の足はもつれ尻もちを着いた。  それでも逃げ場を探そうと辺りを見回して見るが、あるのは首が痛くなるほど高い木々、そして大樹の周りに付着している湿った苔、水と土で構成させれているぐちゃぐちゃの大地。しかし、そんな中でも希望は残っていた。 「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁあ!!」  希望はわずか1m先にあった円。だが、それも時間が経つに連れて淡い色に変色し、光の粒となって弾けて消えた。蛍に残されたのは、目の前の絶望のみになった。  狼に似ている魔獣は、蛍を睨んでいる。ただ睨んでいるだけで、動かない。 「あ、え、……あぁ……うっ、に、に、逃げ……逃げなきゃ!」  魔獣は睨んでいるだけだったが、蛍にはそれが死神が首に鎌を掛けているのと同じ状態に等しかった。勇気を振り絞った1歩。  ただ、立ち上がるためだけに前に出した1歩が、魔獣を睨みから殺気へと変わらした。  そのあまりの恐怖に蛍は耐えられず、立ち上がろうとした力が抜け、地べたへと再び尻をつかせる。 「グゥルルルル……」  魔獣の殺気に蛍の心は完全に負けた。次の瞬間、股間が妙に温かい。  蛍は失禁した。高校生になって、20歳近くになろうというのにやってしまった。それを見た魔獣が少し殺気を緩め、立ち上がろうとした。免れぬ死を回避したのは、蛍の本能だった。 (逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ──────じゃないと死ぬ!!!!)  死にたくない思いが蛍の体を無意識に動かし、意識がふらつく中、無我夢中で、全力で、死ぬ気で後ろを振り向かずに走った。 「う、うわぁぁぁぉぁあ!!!」  蛍は走った。走りに走った。今までこれ以上無いくらに走り、無我夢中になって走った。体力が続く限り走った。体力が尽きたら休み、また走り出す。それを何日も繰り返した。  理由はただ1つ、生きるため。何度休んでも走っても、拭えない恐怖。いつでも殺せると宣言されているような「気」が、蛍を休ませることを許さなかった。  何度目かの休憩でようやく魔獣の禍々しい殺気という名の恐怖は感じなくなっていることに気がついた。 「がっ!……はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……は、はは、情けねぇ……」  魔獣の殺気だけで失禁し、本能の思うがままに走り、安心したと思った瞬間に立てなくなった。蛍は自分の弱さ、卑屈さ、惨めさ、そして自分がこの程度の人間なんだと思い知った。 「くそっ! くそくそくそ……くそがぁ!! なにが勇者だ! なにが技能だ! なんで俺が……俺だけがこんな目あわなきゃなんねんだ! ふざけんな! 神は力を与えたんじゃねーのかよ! なんで……なんで、なんでなんでなんでなんでっ! なんで……俺だけがこんな目に……」  情けなさの次に込み上げて来たのは、理不尽に対する怒りだけだった。 「…………決めた。こんな世界、こっちから願い下げだ。必ず出ていってやる……必ずだ! 嘲笑ったクラスの連中を、騎士を、貴族を! 何よりこの世界に送り込んだクソジジイに土下座と屈辱と惨めさを味あわせてやる! もし、俺を邪魔する奴がいるというのなら……容赦なく殺してやる!」  この日、蛍は『邪魔する者は殺す』と誓った。
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