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王都アエトスは、イグニシア王国の版図の中でも、最南端に近い。
内陸湖であるペルデル湖へ突き出た岬の先端部にあるため、三方を断崖に囲まれた天然の要塞となっている。
王都へ通じる街道を進んでいる途中、前方から兵士が一人、駆け戻ってきた。
「アルマナセル閣下! 竜王宮からのご使者が、前方でお待ちです」
その知らせに、少しばかり驚く。隊を一旦停止させ、急いでアルマは馬を走らせた。
街道の先に、赤い聖服を纏い、儀礼的な剣を佩いた竜王兵が五名、馬に乗って待っていた。
アルマは手綱を引き、彼らの前で止まった。傍らにいたテナークスに視線を向ける。
「任務、ご苦労様です。大公子アルマナセル殿。水竜王の姫巫女を引き受けに参りました」
竜王兵の口上を遮ることなく、テナークスが手にした巻紙をアルマへ示す。
「竜王宮まではお送りするよう、指令を受けている筈だ」
疑問を口にしながら、巻紙に視線を落とす。水竜王の姫巫女の護衛を彼らに交代するように、とのグラナティスの直筆の命令書だ。
「事情が変わりました。火竜王の高位の巫子は、ここまでのご尽力に感謝と賞賛を示しておられます」
不備はない。小さく吐息を漏らし、アルマは姿勢を正した。
「姫巫女は馬車で移動されているのだが」
彼らは、自らの乗る馬しか連れていない。
「竜王宮まではお借りできればありがたい。到着後、直ちに返却致しましょう。大公家の方へ……?」
テナークスとアルマは顔を見合わせた。あの馬車は大公家の持ち物ではないし、実務を司っているのはテナークスだ。
「いや、王国軍の方がいい。駐屯地の場所は判るか?」
「存じております」
竜王兵が即答するのに頷く。
「では、姫巫女をお連れしよう。少々お待ち頂きたい」
再び馬の向きを変え、馬車のところまで戻る。悪態が口を衝くのを、必死に堪えた。
「ペルル様」
窓越しに声をかける。不思議そうに、姫巫女が顔を覗かせた。
「竜王兵が参りました。彼らが、竜王宮までお連れ致します。私はここで失礼致しますので……」
「アルマナセル様……」
不安に駆られる少女を落ち着かせるために、穏やかに微笑む。
「すぐにまたお伺いしますよ」
少女が、小さく頷いた。
「では姫巫女。私は多分二度とお目もじできないとは思いますが。どうぞお元気で」
近くにいた吟遊詩人の青年が、馬上で優雅に一礼する。
「ノウマード。今まで本当にありがとう。貴方がいてくれて、どれほど気持ちが安らいだことか」
ペルルの言葉に、嬉しげに笑う。
「我が人生の誉れです。貴女に、全ての竜王の加護があらんことを」
ノウマードが深々と頭を下げる。
別れを惜しむ時間はない。馬車が街道を進み、竜王兵と合流する。
簡単に挨拶を交わし、竜王兵が一人、御者台に座った。
そのまま、街道を真っ直ぐ進んでいく。
「……あれ」
アルマの近くで見送っていたノウマードが、小さく呟く。
「何だ?」
「あの馬車、街道から逸れていっていないか?」
細い脇道へと進路を変える様を見て、疑問に思ったらしい。
「ああ、火竜王宮の本宮は王都の、西側の街壁のすぐ内側にあるんだ。街の中は人通りも多いし、道も広いところばかりじゃないからな。西門へ向かった方が早いと見たんだろう」
「ふぅん。西側か……」
小さく呟いて、青年は何となくその方向へと視線を向けた。
二百名を越える兵を、護衛対象もいないのに王都の奥まで引き連れていっても仕方がない。
テナークスの仕える、マノリア伯爵の別邸は都市の中にあるが、それは普通の館だ。この人数は収容できない。
北門の近くに、直轄地の軍が居留する場所があり、そこを間借りすることで話がついている。アルマやテナークスを含む士官たちは、それから王宮に設けられた王国軍の本部へ報告に行くことになる。
火竜王宮に行く行程だけを抜かして予定を組み直し、彼らは再び進み始めた。
城門は、王国軍であるということが証明できれば、他は全くノーチェックだ。
門衛から充分に離れたところで、ノウマードが口を開く。
「じゃあ、私もそろそろ失礼するよ、アルマ」
そう言えば、同行するのは王都までという約束だった。
「行くあてはあるのか?」
流石に三ヶ月近くも一緒にいると、それなりに情も湧く。が、尋ねられて、ノウマードが小さく笑った。
「私はロマだよ。身一つで、どこにでも行けるさ。ここまでありがとう。借りはなくなったものと思ってくれ」
「借り以上に返しただろうが」
憎まれ口を叩いて、軽く手を握る。ノウマードはあっさりと馬を早足で歩かせ、通り過ぎる兵士たちに大きく手を振った。彼と馴染みになっていた兵士たちも、それぞれ手を振っている。
そして、やがてその姿も人混みに紛れていった。
「……あれが厄介ごとの種にならないといいのですがね」
「やめてくれ」
エスタの呟きに、心底本気でアルマが答えた。
直轄地軍の門をくぐる。
奥の建物から、待ち構えていたように一人の男が姿を見せた。
「アルマナセル殿? 任務、ご苦労様です」
馴れ馴れしく声をかけてきたのは、王国軍の紋章を身につけた男だ。
「予定よりも遅れていらっしゃるようなので、こちらに伺っておりました。どうやら行き違ったようですな。姫巫女は、もう王宮へ?」
「王宮?」
相手の、尊大さが透けて見える態度に、ああ帰ってきたんだなぁと実感するところが少し哀しい。
だが、問いかけられた言葉が不審で、問い返す。
「水竜王の姫巫女です。馬車が見当たりませんが、王宮へ送り届けられたのですよね?」
「姫巫女でしたら、火竜王宮へ向かっておられますが」
戸惑いつつ返した言葉に、相手は息を飲んだ。
「何ですと!? 姫巫女は、王宮へ来られることになっている!」
「いえ、そもそも将軍から受けた命令書には竜王宮へと」
「その後、命令変更をお知らせしたはずだ! ガルデニアに向けて、使者を送り出していた!」
テナークスへと視線を向ける。全く心当たりがないらしく、無言で首を振った。
「何てことだ! では、姫巫女は竜王宮に?」
「ええ、先ほどからそのように」
「馬を!」
ヒステリックに怒鳴っていた男が、辛抱強く繰り返すアルマの声を遮った。
足音も荒く、門に近づいていくが、突然くるりとこちらを振り返る。
「このことに関しては、陛下に報告致しますからな! そのおつもりでいらして頂きたい!」
憤然と、急いで引かれてきた馬に跨り、男は街路へと駆け出して行った。
「……何だったのですか」
呆然として、テナークスが呟く。
「また王家と竜王宮で何か諍いがあったんだろう。よくあることだ」
「……よくあるのですか……」
あまり王都に滞在したことがないのか、テナークスは力なく繰り返した。
「使者、か」
グラナティスなら、王宮からの使者を足止めすることぐらい、簡単にやってのけるだろう。むしろ、それ以上のことをしていないと言い切れるだけの自信はない。
知らず、アルマは小さく笑みを浮かべていた。
火竜王宮は、石造りの頑健な建物だった。
夕暮れも近く、元々曇り空だった今日は、屋内も酷く暗い。
ペルルは、一人、小さな応接間に通されていた。部屋の中には他に誰もいないが、周辺にも人気はないようで、物音一つ聞こえてこない。
心細さに、膝の上でぎゅぅ、と服の生地を掴む。
どれほど待ったのか、重厚な扉が軋みを上げて開いた。
はっとして、慌てて立ち上がる。
「お待たせ致しました。グラナティスと申します」
落ち着いた声音で話しかけてきた相手を、水竜王の姫巫女はまじまじと見つめた。
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