風の章

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 夕食は一階の食堂で摂ることになった。  酒場も兼ねているのだろう、ざわざわと騒がしいが、人でいっぱいと言うほどではない。 「ある程度は徴兵されているからな。男手が全員、というほどではないが」 「それに秋だからね。農夫とかはここに来られないぐらいには忙しいだろう」  小さく漏らした疑問に、グランとノウマードが説明する。  彼らは隅のテーブルについた。酒を飲んでいる者たちと少し離れているのは、女将が気を利かしてくれたらしい。  その女将は大皿をどん、と置いて、珍しげに一行を見渡した。 「どこから来たんだね?」 「ガルデニアだよ。カタラクタとの国境に近い街だ。おれの主人はそこで商売をしてるんだが、大奥様がご病気でね。故郷のグラーティアまで、御子様がたをお連れするところさ」  すらすらとクセロが話をでっち上げる。  グラーティアは、イグニシアの北西に位置する都市だ。一方、フルトゥナへ向かう道は、南西へ続く。ここからならまだ真っ直ぐ西へ行くだけだから、偽の情報としてはちょうどいい。  おやまあ、と呟きながら、女将がじっと見つめてくる。 「兄弟にしちゃ、似てないねぇ」  御子様がた、とはグラン、ペルル、アルマの三人だ。どうしても、彼らの仕草には育ちの良さが滲み出ていて、庶民に偽装はできない。 「従兄弟なのさ。主人は兄弟で仕事をしてるんだ」  あまり視線を上げず、食事に没頭する振りをする。この年頃の少年なら、食欲が旺盛でも不思議ではない。  アルマはどうしても頭に巻く布を外すことはできない。しかも、瞳の色に気づかれれば、致命的だ。できるだけ、目立たないことを心がけるしかなかった。  幸い、というべきか、女将の注意はノウマードに移った。 「ロマが同行しているのも珍しいね」  にこり、と小さく笑みを向けるノウマードの髪は、黒い。  手配書にはっきり髪の色が書かれていたため、昨夜竜王宮を出る前に、その栗色の髪を染めてきたのだ。 「カタラクタでは、ある程度地位のある方がロマを雇うということもよくあるのですよ。主人はカタラクタとも仕事をしていましたし、ガルデニアでも時々そのような方はいらっしゃいます」  こちらも遜色なく、ノウマードが嘘をつく。  こんな大人たちに囲まれていたら、『御子様がた』は早々に捻くれそうだよな、とアルマが思う。  そのうち厨房から声が飛んで、女将はゆっくりしておくれ、と言い残してテーブルを離れた。  温かい食事を摂って、ようやく人心地ついた辺りで、テーブルの傍に男が一人立った。  地味な服装の、これと言って特徴のない男だ。 「失礼。カタラクタと取引があると先ほど言われていたのが聞こえたのだが。私もこの先カタラクタとの商売を考えていてね。今、あちらがどうなっているか、教えては頂けないか」  ペルルが、緊張に唇を引き結ぶ。  隣に座るアルマが、テーブルの下でそっとその手に触れた。視線を向けてくる少女に、小さく頷く。 「ああ、いいとも。椅子を持って来いよ」  あっさりとクセロが承諾する。  まだ心配そうな表情をしていたが、ペルルは一応警戒を解いたらしい。アルマとは反対側の隣で、こっくりこっくりと舟を漕いでいるプリムラの肩に手をかける。 「この子を寝かせてきますね」 「私も行きましょう」  ちらりとグランに視線を向ける。クセロと話しこんでいる商人は、合間合間にグランの表情を観察していた。  酒場の奥にある階段を登る。ふらふらと歩くプリムラを支え、踊り場で折り返したところで、ペルルが口を開いた。 「あの方は?」 「王都の竜王宮にいた、巫子の一人です。私とも顔なじみでした。おそらく、近辺の情報を集めてきたのでしょう」  低い声で囁く。少しほっとしたように、少女は吐息を漏らした。 「何と言いますか、その、……気疲れしますね」 「大丈夫です。貴女は私がお護りしますよ、ペルル」  その言葉に、小さく、嬉しげな笑みを見せる。  ペルルたちを部屋に送り届け、廊下から一部吹き抜けになった酒場を見下ろした。  グランは、既に『商人』と直接言葉を交わしている。  あそこに戻る気にもなれなくて、アルマは自室へ引き返すことにした。  鋭く息を吸って、身を起こした。  部屋が暗いのは、鎧戸までしっかりと閉め切っているせいだ。  咄嗟に悲鳴を上げなかったことに安堵して、隣の寝台に横たわる青年の気配を探る。  幸い彼はこちらの様子には気づかなかったようで、規則正しい寝息を立てていた。  再び布団の間に潜りこむ。だが、汗に濡れた背中が冷えて眠ることができず、やがて彼は静かに寝台から出た。簡単に身繕いをすると、するりと廊下に忍び出る。  半ば予測していたが、二階の廊下の端、壁にもたれかかるようにしてクセロが座っていた。 「よぅ、旦那」  驚いた様子もなく、静かに声をかけてくる。 「眠らないのか?」  アルマの言葉に、マントにくるまれた肩を竦めた。 「誰かがここを見張ってないとな」 「巫子は?」  夕食の席にいた男の動向を尋ねる。 「外を見張ってる」  簡潔に答えられた。彼と交代はできないらしい。 「仕方ないな。俺が代わるよ」 「駄目だ。大将にどやされるぜ」  予測していたのだろう、すぐに拒絶された。  が、アルマも退かない。 「あんた、昨夜も寝てないだろう。仕事柄、普通の人間よりは慣れてるとでも言いたいんだろうが、眠らずに一体何日体が持つんだ? 何かあった時に、あんたがぼろぼろだったら困る」  クセロがそれを考えていない訳がない。ばつが悪そうに黙りこむ。 「俺なら、もう、何時間か寝てる。朝まで起きてたって、さほど支障はないさ」  溜め息をついて、男は立ち上がった。 「何かあったら、一人で片づけようとするなよ。大声でも出して、人を呼べ。まずおれが駆けつけるから」 「大丈夫だよ」  苦笑してそう告げる。にやりと笑みを残して、クセロは一つの部屋へ消えていった。彼は名目上はグランと同室だ。  静かに、クセロが座っていた場所に腰を下ろす。  朝まではまだ遠い。  夜明け前に、階下で人が動き出す気配がした。  様子を伺っていたが、どうやら宿の人間らしい。がちゃがちゃと厨房が騒がしくなってくる。  夜の闇に紛れての襲撃は、そろそろ警戒しなくてもよさそうだ。アルマは、立ち上がって長く伸びをした。  そして数時間後には、彼らはまた馬に乗っていた。  流石に夜通し進んだ昨日とは違い、体力は回復している。  ふと思いついて、アルマは馬をノウマードに寄せた。 「昨夜、酒場で巫子は何を言ってきたんだ?」 「周辺の状況かな。今のところ、まだ手配書は回っていない。だけど、それも時間の問題だ。ある程度の数が模写できたら、一気に出回るだろう。それに、この先、二、三日の間に通り抜ける地域はかなり柄が悪い。宿屋にも、山賊紛いがよく出入りしているらしい。まだ王都が近いし、昼日中から旅人を襲うことはないだろうけど、問題は夜だね」 「じゃあ野宿になりそうなのか」  それを見越してか、先ほど出発した宿屋で、水や食料は多めに積んでいた。 「グランはそう決めてた。天気が保てばいいんだけど」  この先、追手がかかることを考えると、国民に名が知れているアルマナセルとグラナティスは、その呼称のままでは不都合だ。  その為、彼らは互いに愛称で呼ぶことを決めていた。  ノウマードはちらりと空を見上げる。  その顔がやや不安そうなのは、呼び名のせいばかりではないのだろう。  ここしばらくは雨も降ってはいないが、いつ天候が悪化するかしれない。  あの、クレプスクルム山脈越えを思いだして、アルマは身震いした。  夕方になって、彼らはクセロの先導で街道を離れた。  林の中に幾らか入り、街道から見えない辺りの空地で止まる。  馬車に積んであった天幕は、小型のものが二張だ。 「片方は女性たちに使って貰うとして、これで男四人は厳しくないか?」  一張を建てたところで呟く。アルマは自分の手を使って天幕を建てるのは初めてだ。クセロと、そして主にノウマードの指示があってのことだった。 「お前たちは最低一人は不寝番だからな」 「鬼か」  さらりと、見ているだけだったグランが告げる。アルマの反論に、肩を竦めた。 「交代で勤めればどうということはない。そのつもりだったんだろう?」 「諦めろよ、旦那」  にやりと笑みを見せて、クセロが囁く。昨夜、彼の任務を肩代わりしたことを半分後悔しかける。 「ほら、早く建ててしまうよ。天幕が倒れそうな間は火が熾せない」  ノウマードはさっさと次の行動に移っている。  二張の天幕が立つ間では、プリムラが火を熾す準備を始めていた。浅く、地面に穴を掘っている。どうやらペルルが手伝おうとしては断られているようだ。  天幕を建て終わり、ノウマードは休む間もなく馬車へと近寄った。荷台を覗きこんで眉を寄せている。 「アルマ。クセロ。この先を考えると、薪がこれじゃ足りない。馬の世話と薪を集めるのと手分けした方がいい」  クセロが迷うような気配を見せた。彼の任務には、おそらくまだノウマードの見張りが入っている。この吟遊詩人を目の届かないところへやりたくはないのだろう。  しかも、そろそろ陽は翳ってきている。 「俺が薪を集めてくるよ。暗くなってきても、俺なら視界が利く」  気を利かせ、アルマが志願する。ほっとしたように、クセロが頷いた。 「あまり遠くまで行くなよ」 「できるだけ湿気を含んでいない枝を選んできてくれ」 「……注文が多いな」  呟いた言葉に、笑みを向けられる。アルマは暗がりが濃くなっていく林に足を踏み入れた。  夕食も済み、男たちは焚火にあたっていた。  女性たちとグランは、夜気の冷たさに早々に天幕に入っている。 「あの食事、本当にプリムラが一人で作ったのか?」  アルマが薪を集めて戻って来た時には、夕食は煮込みの段階だった。 「ああ。まあまあだろ?」 「美味かったよ」  珍しくクセロが謙遜じみたことを言うのに、あっさりとアルマは返す。 「貴族にそう言われてもなぁ」  お世辞だと思われたのか、苦笑される。 「火竜王宮はあれで質素倹約なんだってこと、知ってるだろ。金がない訳じゃないんだが、修身を重要視してる。俺は一年のうち三分の一ぐらいは竜王宮にいるから、そういう生活は慣れてるんだ。グランが文句を言わないレベルなら俺も充分だよ」 「そう言えば、君、意外と一人で自分のことできてるよね。従軍中はお付きの人がいたけど」  ふと、思いついたようにノウマードが口を挟んできた。 「まあな。下位の巫子たちは修行の一環みたいなもんで、それなりに世話は焼いてくれる。けど、着替えも一人でできないような貴族と一緒にされたらちょっと困るな」  エスタはどうしているだろうか。  もう随分と会っていない青年を思い、微かな寂しさがこみ上げる。  だが、アルマナセルはそれを振り払った。 「でもまあ、王都から出たのは従軍以外だと初めてなんだ。お手柔らかに頼むぜ」  集めてきた薪に対し、ちくちくと文句を言ってきた吟遊詩人に向けて告げる。 「プリムラは旅慣れてるって言ってたけど、クセロはどうなんだ?」  ノウマードは、出会って間もない男へと話を向けた。 「おれも旦那と似たようなもんだよ。王都で産まれ育って、殆ど外には出てない。都会っ子なんだ」  田舎に行っても、牛泥棒じゃ稼ぎが今ひとつだしな、と肩を竦める。  僅かに怯んだアルマを、にやにや笑いながら見つめた。 「おれは悪党だよ、旦那。不愉快だろうが、そういう人間がいることは認めて貰わないと」 「それでどうしてグランのところで仕事をしてるんだい?」 「いやそれは訊くな」  一見無邪気に尋ねた青年を、金髪の男は一転して表情を曇らせて拒絶した。  くすくすと笑いながら、ノウマードは傍に積んでいた枝を手に取り、折った。ぽい、と焚火の中へ放りこむ。  その横顔を眺めて、ふいに気づく。 「ノウマード」 「ん?」 「お前、その頭の布、外さないのか?」  彼の服装は、王都を出てきた時とは大きく変わっている。手配書に細かく記載されている場合を考慮したのだ。  だが、額を覆う布だけは変わらなかった。  アルマも同様に布で頭を包んでいるが、それは角を隠すためだ。絶対に外せない。 「外したらエメラルドが目立つだろう」  呆れたようにノウマードが返してくる。 「いや、グランもペルルも、サークレットは外してるだろ」  少年の言葉に、ああ、と相手は呟いた。あっさりと結び目を解き始める。 「私は彼らのようにサークレットをつけてる訳じゃないんだよ」  前髪を片手で上げて、顔を寄せてくる。訝しげに視線を向けたアルマが目を見開いた。  エメラルドが嵌められている台座は、その下部を皮膚の下に食いこませていた。 「お前……、それ」  アルマの言葉に、横からひょい、とクセロが覗きこむ。同じ物を認めて、眉を寄せた。 「大したことじゃない。皮膚を切開して、台座の足を頭蓋に固定させているんだ。三百年前の高位の巫子は、大体こういう形で石をつけていた」 「い……痛くないか?」  おそるおそる問いかけるが、風竜王の巫子は苦笑した。 「さほどでもなかった、と思うよ。ああ、でも、頭蓋に台座を打ち込む時は流石に衝撃が激しくて」 「いや悪かったもういい」  ノウマードの言葉を、僅かに顔色を青褪めさせてアルマが遮る。 「君、意外と痛い話とかに弱いよねぇ」 「うるせぇな……」  視線を逸らし、ごまかすように呟く。ノウマードはそれ以上追求はしなかった。 「でも、こういう時は特にサークレットの方が楽だし、姫巫女なら顔に傷がつくのも気の毒だしね。変わったのはいいことなんじゃないかな」 「三百年前、か。……グランはいつサークレットにしたんだろうな」  その問いに答えられる人物はここにはいない。  はるか昔、彼には手の届かない地点に思いを馳せる。  月が、暗い雲の間から光を零していた。
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