魔の章

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 主にアルマとクセロの活躍で、早々に馬の世話を終わらせ、彼らは砦の内部へと足を踏み入れた。  通用門近辺は、元々は貯蔵庫や厨房、そこで働く者たちの居住区に当てられていた。  オーリは細い道を辿り、砦の中心へと一行を導く。  もう、この辺りには外部の光が入ってこない。アルマが創り出した光球が、ぼんやりと周囲を照らしている。  やがて岩に穿たれた通路が終わる。岩山の中心を貫くように、巨大な空洞が出現していた。だが、彼らの回り三メートルほどの範囲には、背後の壁しか見えない。  アルマが光量を強める。広がった光の中に対面の壁が現れて、そこは直径が十メートルほどの空間だと知れた。  しかし、頭上はただ暗い闇に沈んでいる。 「本宮というか、祭壇があるのはこの真上だ。大体、地上五十メートルぐらいかな」  オーリがさらりと説明する。 「五十って……」 「どれぐらいの高さなんだよ」  想像できなくて、呆然として呟く。 「どうやって上がるのですか?」  ペルルが尋ねると、オーリはふらりと足を進めた。その先には、広間の壁面に設けられた螺旋階段が姿を現している。 「……無理、だ……!」  もう何度目か、クセロが踊り場に辿りついて膝をついた。 「お前はまだ軽いだろ、お前は!」  八つ当たり気味にアルマが怒鳴る。  この五十メートルの高さを自力で登り切ることを早々に諦めて、グランはアルマの背に負われている。同様に、プリムラはクセロの背中で既に寝息を立てていた。  まあ体力や腕力などは、〈魔王〉の血筋である分、アルマの方が強い。だが、決して背中でおとなしくしていない巫子に対する苛立ちが金髪の男へと向けられている。  ペルルはオーリに手を引かれていた。それでも、やはり疲れているのか数歩先で立ち止まっている。 「毎日これを登り降りしていたのですか、ノウマード?」  アルマの光球でも、もう最下層の床は闇に飲まれてしまっている。勿論、天井などまだうっすらとも見えてこない。 「下位の巫子だった頃は、下層部で働いていましたので。砦内部は、身分によって何層か毎で区切られていたんです。荷を運ぶ者たちは大変そうでしたが、滑車を使ってもいましたしね」  懐かしそうに、周囲を見渡す。踊り場は小さなテラスに繋がり、その更に奥へと向かう入口が闇を湛えて開いている。 「それに、高位の巫子になったら、大体ここを飛び降りたり跳び上がったりしていましたから」 「ずるいなお前!」  微笑んで告げた言葉に、アルマが怒声を上げる。  そもそも、この青年がペルルをエスコートしていることが気に入らない。尤も、だからといってグランを彼に預けることができる訳がないことは判っているが。 「あの、さ、オーリ。その要領で、おれたちを連れて飛んでいけないのか?」  息を切らせたまま、クセロが提案する。この優男は、長時間の労働には向いていない。 「あのね、クセロ。私は鳥のように飛べる訳じゃないんだ。普通の人間よりも、少しばかり跳躍力が増大しているに過ぎない。大体、人間一人分の重量を持って飛び上がるなんて、腕力を考えても無理だよ」  しかしあっさりと否定されて、肩を落とす。 「じゃあ、おれとプリムラはここに残ってお前らの帰りを待ってるよ」 「駄目だ」  半ば捨て鉢になってそう言うが、グランが即座に拒否した。 「お前達も来い。封印を解く場に、当事者以外もいた方がいい」  あからさまに情けない表情を浮かべたクセロに、とりなすようにオーリは口を開いた。 「まあ、そろそろ半分は超えた筈だ。クレプスクルム山脈越えを思えば、楽なものだろう」 「あれに比べたら大概のことは楽だと思うぜ」  さらりと告げられて、アルマが毒づく。 「そもそも、おれはその行軍に参加してないんだけどな……」  弱々しくクセロが呟いた。  上層へ進むに従い、吹き抜け部の経が大きくなっていく。  それと呼応するように、岩山の外部の形は細くなっていくため、時折開口部から外が見えるようになる。  そこから覗く空には、既に星が光っていた。  吹き抜ける風が、岩の間で奇妙な音を立てている。 「……昔は、この上に鐘楼が幾つもあったんだ。風の流れや岩山の反響を計算して、何十年もかけて作り上げた。決められた順に鐘を鳴らすと、互いに共鳴しあって、素晴らしい響きが周囲一帯に広がった」  ぼんやりと、オーリが呟く。 「今は鳴らないのか?」  確かに、岩山の外部に時折見える尖塔は、幾つか崩壊したシルエットを晒している。 「〈魔王〉たちが乗りこんできて、呪いが発動した時の騒ぎでこの砦は多少崩れたからね。もう反響も変わってしまっただろうし、鐘を鳴らす手順を覚えているものもいない」  人手がいるから一人では無理だし、と小さくつけ加える。  ペルルが、空いた手でそっとオーリの腕に触れた。我に返ったように、青年は小さく笑みを浮かべた。 「さあ、あと一層だ。行こうか」  彼らが虚を昇ってきた階段は、そのフロアで終わっている。見上げる先には、ドーム状の岩盤が天井を形成しており、その隅に、更なる階段が続いていた。  その先が、風竜王の祭壇だ。  階段を登り切ると、そこはほぼ外部だった。  外径では細い柱が円を描くように屹立し、複雑なアーチが高い屋根を支えている。その間に壁は一切ない。  最上段に立ったオーリは、そこでそっと同行者を制した。 「アルマ。光球はあまり上に出さないでくれ。私が蝋燭を点けるから、その後で消して欲しい」  告げながら、オーリが最下層の貯蔵庫から持ってきた革袋を開く。長い、混じりけのない白い蝋燭を手に、柱に掲げられた燭台に近づいた。  一本をまず丁寧に取りつけ、火口から火を灯す。小さな灯りは、すぐに焦げるような音を立ててぼんやりと大きくなった。  その炎を手にした蝋燭に移し、次の燭台へと移動する。  一人きりの丁寧な作業は時間がかかったが、グランは急かそうとはしなかった。  やがてぐるりと広間を一周して青年が戻ってくる。  祭壇の間の外では風の音が高く吹いているが、蝋燭の炎はゆらゆらと揺らめくだけで消えることはなかった。その場にいる者たちには、吹きつける風も寒さも全く感じられない。  アルマが階段の下の方に追いやっていた光球を消滅させる。  そして、ゆっくりと一行は階段を登り切った。  床は複雑な幾何学模様を描いたモザイクで覆われている。その中心に、直径五メートルほどの大きさの祭壇が据えつけられている。  仲間達を一瞥もせず、オリヴィニスはその前に立った。 「戻って来ましたよ。ニネミア」  そして片手を胸に当て、囁くように告げた。  次の瞬間。  風竜王ニネミア、そのものが祭壇の上に出現していた。  息を飲む音が幾つも漏れる。それが全員分であったとしても、不思議はない。  もっと、長い儀式が必要なのかと漠然と思っていたのだ。いや、それはそもそも呪いを解くためであって、竜王がここに顕現することなど思いもしなかった。  少なくとも高位の巫子以外の民にとって、竜王は遙か遠い存在だ。  それを、あっさりと、たった一つの言葉で呼び出すなど、考えもしなかった。  現れた竜王は巨大であるとも、小柄であるとも言えた。  全体的な形は、蛇に似ている。胴回りは、長身のオーリが両手を回して足りないほどだ。自然界の生物では、勿論ない。だが、この世界を統べる〈竜王〉という存在にしては、思いがけないほど小さい。  鱗は薄い黄緑色だ。しかし首に近い背には、白から薄い青、黄緑、黄色にかけての淡い色彩を散らした羽根が一対生えている。他には襟飾りのような形でぐるりと首回りに、そして身体のそこここから鱗の合間にひとかたまりほどの羽毛が見えた。蛇であれば蛇腹である筈の腹部には、純白の羽毛がふわふわと柔らかな風に揺れている。  瞳は見事なまでのエメラルドグリーンだ。それは、オーリの額に光るエメラルドと限りなく近い色だった。  しかし、竜王の瞳は、明らかに憤怒を抱いて一行を()めつけていた。  人に悪意を向けられたことは、何度もある。  それは王族であったり、貴族であったり、農夫であったり、ロマであったりした。  具体的に暴力を振るわれたこともある。  しかし、竜王の怒りは、それら人の行為をはるかに超えていた。  びりびりと、空気が痺れる。呼吸が苦しい。指先がすぅっと冷える。嫌な汗が全身に噴き出た。身体が小刻みに震えている。  まだ、アルマは悪意には慣れている。  だが、ペルルたちはどうか。 「…………う……」  救いを求め、闇雲に剣を抜きかけたときに。  無造作に、グランが一歩彼らの前に出た。  それ以上の行動は取らない。完全に無言だ。  しかし、風竜王の注意の大部分が彼に向いたせいなのか、他の者たちへの圧力はかなり減る。  ふぅ、と大きく息を吐いた。安堵からか目の前が暗くなって、膝が崩れそうになるが、何とか持ちこたえる。  幼い巫子は、一見平然とその場に立っていた。  宥めるように、オーリが手を中空にいる風竜王へ差しのべる。 「ほらニネミア、そういきり立たないで。久しぶりの来客じゃないですか」  柔らかな声が告げる。風竜王はその顔を自らの巫子へ向けた。顔を寄せると、ちろり、と細い舌を出す。  オーリの頬に残った、誰も気づかないほどの小さな血飛沫を舐める。 「……あ」  青年は、僅かに、悪戯が見つかった子供のような、ばつの悪い表情を浮かべた。 「ああ、ええと、それはちょっとへまをしたのは認めますけど。……いや、別に彼らのせいだという訳じゃ……そりゃ、急いで運んできたから防御がおろそかになったのは確かですよ、でも……そういうことを言われたら、どうもにできないじゃないですか」  言い訳のような言葉を次々に並べていく。  そろそろと、アルマが身を屈めた。 「なあ。竜王の言葉って、高位の巫子ならお前でも聞こえるのか?」  少なくとも、オーリには風竜王の意思が通じているようだ。だが、囁きかけられたグランは小さく首を振った。 「いや。竜王と意思を交わすことができるのは、選ばれた高位の巫子のみだ。僕には風竜王の御言葉に触れることはできない」  では、竜王の怒りを静めるには、オーリに任せるしかないのか。尤も、他の者がもっと上手くできるとも思えなかったが。  そのオーリが、一際声を大きくした。 「あなたを自由にしたいんです。そのために私は三百年の生き恥を晒してきたのだし、これからもそれを続けることになっても何も後悔なんて、しない」  びくり、とグランが肩を震わせた。彼があからさまに動揺を見せるのは、珍しい。  数分、無言で風竜王とオーリが睨みあう。  先に視線を外したのは巫子だった。 「グラン。ペルル。アルマ。こっちへ来て。ニネミアが直接君たちから聞きたいらしい」  こちらを向いて呼ぶ青年に一つ頷いて、グランは簡単に足を進めた。少しばかり迷うが、促すようにペルルが腕を取ってきたので、彼女と共に歩き出す。  オーリの隣に並ぶ。風竜王の視線からは憎悪は薄れていたものの、やや冷淡さが増しているように思えた。 「なあ、話すって……」  戸惑って、アルマが囁く。 「大丈夫。ここにいれば、ニネミアが自分で君たちから知りたい情報を読みとっていくよ。巫子はともかくとして、竜王自身はニネミアと敵対はしていないし、二人はさほど心配ない。ニネミアは真実を知りたいから、複数の事実を集めたいだけなんだ。まあ君は色々あるだろうけど、(やま)しい行動がなければ大丈夫じゃないかな」 「ありがとうよ」  げんなりと呟いて、竜王に向き直る。  三百年前に、この場で、彼の先祖である〈魔王〉アルマナセルが呪いをかけたのだ。  とてもじゃないが楽観的ではいられない。  ぎゅ、とペルルが、絡めた手で腕を軽く握ってきた。安心させるような微笑みを向けられて、腹を括る。  ふわり、と周囲の空気が変わった。  身構えていたほどの圧迫感も、万が一と警戒していた苦痛もない。ただ、注意深く探ってくるような、そんな感覚だけが身体に残る。  やがてそれは、始まった時と同じく静かに消えた。  オーリが小さく笑みを浮かべる。 「ありがとう、ニネミア」  そして、その手をグランの肩へ乗せた。 「さあ、始めようか」
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