火の章

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火の章

 大公家の本邸に辿りついた頃には、すっかり陽が暮れていた。 「お帰りなさいませ、アルマナセル様」  大扉の下で、家令以下主だった使用人がずらりと待ち構えている。 「……揃って待っていなくていい」  乗ってきた馬の手綱を、駆け寄ってきた下男に渡す。僅かにうんざりした顔で、アルマが告げた。 「アルマナセル様のお戻りに、左様な無礼はできません」  きっぱりと返された言葉に片手を振る。 「そういうことは、親父だけにやってやれよ。……親父の、様子は?」  後半を、声を低くして尋ねる。 「随分とご快復されました。館の中であれば、お歩きになられても支障はございません」  真面目な顔で、家令が返す。頷いて、大扉へ向けて階段を登りだした。 「ちょっと顔を出してくる」  屋敷の一階にある部屋の扉を、開く。  暖炉には火が入れてあり、その傍に置かれた安楽椅子の上で、一人の男が本を膝に乗せていた。  髪には所々白いものが混じっているが、体つきはがっしりしている。反面、肌はやや青白く見えた。 「暗くないのか?」  アルマの声に、男は静かに顔を上げた。 「悪くなったのは目ではないからな。……帰ったか」  その視線を受けて、アルマは無言で頷いた。  彼が、現在のレヴァンダル大公。アルマの父親だ。  本来ならばカタラクタ侵攻には彼が従軍する予定だった。しかし一年ほど前、狩りの途中で落馬し、腰の骨を折ってしまっている。  そのため、僅か十六歳だったアルマが名代として従軍していたのだ。 「どうだった、軍は」  重厚な声音で尋ねられて、記憶を整理するように視線を上方に向けた。 「……色々だったな」 「色々か」  喉の奥で、低く笑う。 「まあいい、疲れただろう。話はおいおい聞く。どうせ、しばらくは待機で暇になる筈だ」 「暇かぁ」  うんざりしたように繰り返す。ふと気がついて、剣帯に手をかけた。 「そうだ、返しておくよ、これ」  腰に佩いた剣を外しかけるが、父親は首を振った。 「いや、いい。持っておけ。そろそろお前も責任を負うことを覚えるべきだ」  この剣は、代々大公家に伝わっている剣だ。父親の意図するところを思って、アルマは少々気が重くなった。 「そんな顔をするな。儂も、もういつまで生きるか判らんのだから」 「快復してきてるって聞いてるぜ」 「本当か? それは驚いた」  目を見開いた顔で返されて、少年は思わず苦笑した。  その日の深夜、当主の部屋の扉は再び叩かれた。 「本日戻りましてございます。参上が遅れまして申し訳ありません、旦那様」 「よい。ご苦労だった、エスタ」  戸口で深々と頭を下げていた青年が、ゆっくりと顔を上げる。そのまま、レヴァンダル大公へと足を向けた。  長い毛足の絨毯は、足音を全く響かせない。  エスタは、恭しく、手にしていた物を両手に乗せて差しだした。  それは、二センチほどの厚みの紙を綴じたものだ。 「詳しいことは、こちらの報告書に」 「うむ。何か、目に見えて変わったところはあったか?」  受け取ったその表紙に視線を落とすが、中を見ようとはせずに男は尋ねる。 「特にはございません。……が、幾つか、不確定要素が関わって参りました」 「不確定要素、か」  ふぅ、と、疲れたように大公が溜め息を落とす。 「倅を頼む。エスタ」 「この生命(いのち)に代えましても、旦那様」  慣れた動作で、エスタは足元に跪き、頭を垂れた。  二日後、アルマは王宮で催された舞踏会に参加していた。  勝利に対する祝いと水竜王の姫巫女を歓迎するためのものなので、帰還してきた当人が招待を断ることはできなかった。  が、反面、姫巫女自身の招待は火竜王宮からきっぱりと断られてしまっていたために、事実上最も重要な主賓は存在しない。  アルマも、始まってから小一時間ほどは周囲に合わせて談笑していたが、今は解放されている。  この拘束時間は、主賓の一人という扱いのためにいつもよりも少々長いぐらいだ。王国軍の機密に触れるという理由で、従軍中のことはあまり話すことができず、近づいてきた貴族たちは不満を抱いているようだったが。  舞踏会の開かれている大広間は、その広さと人々のざわめきとで、奏でられている音楽は聞こえにくい。そのため、楽団は数組が距離を置いて配置されている。  歩くにつれて違う音楽が聞こえてくるのが好きで、アルマはふらふらと人ごみの間を進んでいた。  煌びやかに着飾った人々が集う王宮という場にいると、ほんの数日前まで土埃にまみれて街道を進んでいたことがまるで夢のようにも思えてくる。  途中、テナークスが十数人に囲まれていたところを遠目で見かけた。堅実かつ生真面目な彼がこの任務をどうこなすのか、僅かばかり心配ではある。しかし、まあこの場では少年は彼の上司ではない。頑張って貰うことにして、アルマはその場を離れた。  ある一角に、そこそこの人だかりができているのに、気を引かれる。  滑らかなリュートの音に足を向けた。  十数人の貴族たちに囲まれているのは、二十代半ば辺りの、一人の青年だった。  その甘い声に酷く聞き覚えがあって、アルマは硬直する。  少年が人ごみの外に立っていたのに気づいたのか、青年は、瞳だけで軽く笑いかけた。 「……ノウマ----------ド!」  アルマは、背後に厄介ごとの種をひっ掴んで廊下を幾度か折れていった。  幸い、王宮は幼い頃から出入りしている。どの辺りに人気が少ないか、彼はよく知っていた。  ある扉を開いて、中に入る。力任せに青年を押しこんで、扉を閉めた。 「全く、何のつもりなんだい、アルマ。無理矢理拉致した挙げ句にこんな暗闇の部屋に連れこむなんて」 「……戯れろ、光明」  軋むような声で命じる。彼らの頭上に、光が生じた。掌に包めるほどの大きさで宙に浮く光球の周囲を、幾つかの光の粒が楕円の軌跡を描いて廻っている。  暗闇から解放されて、青年は僅かに身体の力を抜いた。何とも言えない表情で、光球を見上げている。減らず口を叩いてはいたが、この状況がそれなりに不安ではあったらしい。  が、アルマは追求を緩めるつもりはない。 「何でお前がここにいるんだよ、ノウマード!」  怒声に、ひょいと肩を竦める。 「それはまあ、いろいろと、ねぇ?」 「色々じゃねぇ! いや色々でもいいけど、一つ残らず説明しろ! 何で王宮に入りこめた! どうして今まで摘み出されもしなかった! そもそもお前、その格好……!」  矢継ぎ早に疑問点を捲し立てる相手に、きょとん、と視線を向けてくる。  ノウマードの外見は一変していた。  栗色の髪は、あの長旅の間にかなりばさばさになっていたが、今はきちんと整えられている。いかにもロマといった風だった衣服は、緑を基調にした、異国風の、しかし明らかに上等なものに替わっている。以前にはなかった装身具も、やはり異国風で、どちらかと言えば派手に目を引くものをつけていた。そして手にしたリュートは、二日前まで持っていた素朴なものではない。流石に弓矢は携帯していないが。  変わらないのは、額を一周する奇妙な模様の布ぐらいなものだ。 「君も、軍服じゃないと一瞬判らなかったよ。見違えた」 「そんな返事を聞きたい訳じゃねぇ!」  怒鳴りつけたアルマは、勿論行軍中と同じ格好ではない。  黒の上下に、淡いクリーム色のサッシュベルト。頭に巻いている布は赤地に黒の模様を染め抜いている点では似ているが、生地は段違いにいい。それに金色の鎖を絡ませ、端にはやはり金の房が揺れている。ピアスはアメジストだが、石は前よりも大きい。指輪は、金の細いものを一つ。ここで自己主張できるほど、彼は歳をとっていない。  諦めたように、ノウマードは溜め息を落とした。 「まあ、これは借り物だよ。流石に自分で揃えられるものじゃない」 「お前、王都に伝手があったのか?」 「まさか。そんなものがあったら、よりによって軍に頼って旅なんてしないよ」  腑に落ちない様子のアルマに、更に告げた。 「王都に来てから知り合った人にここまで連れてきて貰ったんだ」 「二日でかよ!」  事実だとすれば、早すぎる。実際には何かしらの伝手があったと見るのが妥当だろう。しかも、王宮に出入りできるほど地位が高い者に。  だが、彼は行軍中ずっと外部との接触を禁じられていた。いつ王都に着くか判らない状況で、二日でここまで誂えるのはやはり無理がある。  それにしても、王宮に、事もあろうにロマを連れ込んだというのは、大ごとだ。 「一体誰に連れて来られたんだ?」  単刀直入に訊く少年に、ノウマードは謎めいた笑みを浮かべた。 「それは内緒にしておこう。迷惑がかかりそうだからね」  内心舌打ちする。感情のままに詰め寄りすぎた。  彼を相手にすると、どうにもアルマの世慣れた部分が発揮されない。相性が悪い、というのはこういうことなのか。  まあ今更だ。とりあえず尋問を再開させる。 「じゃあ、一体ここで何をしていたんだよ」 「見てただろう。歌ってたのさ。舞踏会に、楽団だけではなくて、吟遊詩人を配置するのも一興だと思われたんだろう」 「どんな歌だ?」  悪い予感を感じながら問う。何と言っても、ノウマードには前科があった。 「ん? まあ、今は戦争中でどちらかと言えばご婦人が多いということだから、主に恋歌とかだけど」  ほっとしかけたのもつかの間、ノウマードはさらりと続けた。 「あと、君たちが戦地のことを全然話してくれないって不満が出ていたから、私の知る限りのところを即興で歌にしようかと」 「止めろ!」  危惧していた件があっさり出てきて、即座にアルマは制止した。 「えー。でも結構、ドラマティックな行軍だったと思うんだけど。あれを知らしめないのは勿体ないよ。心配しなくてもちゃんと色々盛るし」 「盛るのも問題だがそこじゃねぇ!」  更に罵声を浴びせようとした時に。 「騒がしいのね、アルマナセル?」  背後から柔らかな声が放たれて、アルマの背筋を凍らせた。
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