寒い部屋

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寒い部屋

 教室の四分の一ほどの広さしかない、小さな部室。清掃用具をしまったロッカー。歴代の部員たちが作った作品集の並ぶ本棚。それとは別に、コピー用紙などが乱雑に入れられた棚もある。あとは、長机二つに、パイプ椅子が複数。そこに部員が五人も入れば、部室は満杯になってしまう。通勤ラッシュ時の電車内のような状況になれば、部活どころではない。何かの拍子に俺の身体が誰かに触れれば、痴漢魔として社会的に抹殺される恐れすらある。考えすぎ、と言い切れないところが現代社会の怖いところだ。  だからな。冷えた室内で、俺の声は気味悪いほど良く響いた。 「これ以上、備品を増やすわけにはいかないんだよ」 「駄目だよう、ここ寒いもん。ストーブ買おうよ」  二つの長机を挟んで向かいに座る水戸が、袖に隠したままの両手で机を叩いた。カーディガンの布越しなので、音はあまり鳴らない。  俺と同じ二年。小柄で、赤みの差した白い丸顔を包むように長い髪を垂らしている。目が大きくて、唇はぽってりと厚い。先輩たちからは、妹のように可愛がられていた。  秋からこの文芸部の部長に就任した水戸だが、威厳とは縁のない態度を先ほどから示し続けている。  なんでも、十二月の寒さに耐えきれなくなり、この部室にストーブを置こうと考えたそうだ。それで顧問の教員に相談したところ、会計係の俺から了承を得るように言われたらしい。  そのせいで、放課後にここで顔を合わせてから今まで、部室にストーブを置くことが出来ない理由を丁寧に説明させられる羽目になったのだ。俺が痴漢扱いされる可能性をまったく否定しないのにも腹が立つ。 「予算は余ってるでしょう?」 「原稿用紙や小説の資料買ってたら、二月には使い切る」 「買わないよ、そんなの。今は皆、パソコンやスマホで書くし、資料だってネットや図書館で十分だもん」 「……それはそうだが、コピー用紙だって買えなくなるぞ。そんな大きな買い物したら。部誌、刷れなくなるぞ」  部員の作品を集めた部誌を、この文芸部では一ヶ月に一度発行している。一般、生徒向けの賞への応募と、その部誌の発行が、文芸部の大事な活動実績となるのだ。 「それは困るけど、どうせ皆、書いてくれないしなあ。余ってる用紙を使い切れるかだって、怪しいよう」  責めるような目で俺を見つめてくる。現在の部員は俺と水戸を含め五人だが、そのうちの二人は幽霊同然で、もう一人も最近は顔を見せない。作品を集めて印刷しようとしても、大したページ数にはならないはずだ。 「俺は、一応書いてるだろ」 「一応、ね。掌編を一本」 「仕方ないだろ。小説を書くなんて、俺には難しいことなんだ。むしろ、変に大風呂敷を広げて未完に終わることがないだけ、褒めて欲しいくらいだ」  去年の十月に入部してから、毎月一本。原稿用紙五枚から十枚程度の作品だが、一度も欠かしたことはない。 「そういうとこは器用にやってるんだよねえ。そこは、素人とは思えないくらい不思議」  お前もアマチュアだろ、という言葉を飲み込む。 「締め切りまでに完成品を一本。いつも、それだけが条件だからな。とにかく、短くても一本を完結させることを目指してる。締め切りを守るどころか、部活にも顔を出さないやつよりは数段マシだ」 「そこは否定しないけどさあ、もうちょっと、私も張り合いのある相手と切磋琢磨しながら書きたいんだよねえ」 「その相手役は、西ヶ崎に頼めよ」 「奈江ちゃんねえ。確かに、毎回ちゃんと書いてくれてる」  水戸が笑顔で頷いた。一人きりの、かわいい後輩の顔を思い浮かべているのだろう。  西ヶ崎奈江。唯一の一年生部員で、これまで部誌の締め切りには必ず原稿用紙五十枚程度の短編を間に合わせてきた。その内容の巧拙は俺には分からないが、読みやすい文体で、辻褄の合っている内容は、十分評価されるべきだと思う。作風が純文学とエンタメ、どっちつかずで迷っているような印象を受けるのが、弱点といえば弱点だろうか。 「ま、あいつも最近は来ないけど」  言うと、ふっと水戸の顔から笑みが消え、 「そりゃそうだよう、こんな寒い部屋。あんな華奢な女の子じゃ耐えられないって。だからねえ、ストーブを買おうよー」  思い出したようにまた、ストーブを懇願し始めた。小動物のように瞳を潤ませるので、思わず目をそらす。 「寒いから来ない、なんてやつじゃないだろ」 「だってえ、他に理由なんて考えられないもん。LINEで聞いても、答えてくれないし。部誌に載せる小説は、ちゃんと書いてくれるみたいだけど」 「なら、いいじゃないか」 「よくないって。部活はやっぱり、普段の交流が大切なんだよう。一年生一人だけで、ただでさえ肩身が狭いだろうし。お喋りとかしたいけど、こんなに寒いんじゃ歯がカチカチ鳴るだけだよう」 「その割には、さっきからよく喋るな」  むう、と頬を膨らませる水戸を横目に、俺は腕を組んだ。 「でもまあ、確かに交流は大事だな」  呟くと、食いつくように水戸が身を乗り出してきた。あまりの勢いに、身を仰け反らせてしまう。 「でしょう?ねえ、奈江ちゃんが部活を休む理由、加賀谷君なら聞き出せないかな」 「部長のお前が無理だったんだろ。俺に答えてくれるわけがない」 「いやあ、分からないよ?部長に嫌われるのが怖くて、言えませんでした、なんてことかも。加賀谷先輩になら、どう思われてもいいからって答えてくれるかもねえ」  高めに声色を変えながら、水戸は笑った。俺にならどう思われてもいい、って。腹の底に芽生える苛立ちが、目の前の無垢な笑顔のせいで熱を失う。  ため息をつき、身体ごと横に向きを変える。左半身で視線を受ける姿勢になってから、聞いた。 「お前に嫌われる理由って、なんだよ?」 「ないよ、ないない。奈江ちゃんの考えすぎってだけ。部室が寒いから、なんて言われても嫌いになんてならないよ。むしろ、あの子に同情する」 「理由はそれで、お前の中で固まってるんだな」  あまりの自信に、呆れて力が抜ける。足を組み、天井を見上げた。どうするか。胸の内で一度呟いた。それから、 「じゃあ、こうしよう。俺が西ヶ崎から、部活を休む理由を聞き出す。そして、もしもその理由がお前の言う通り、寒さが原因だったとしたら……」 「したら?」  小首を傾ける水戸に、俺は顔を向けた。 「俺の責任で、ストーブを調達しよう」  言った瞬間、彼女は満面の笑みで万歳した。 「やった!」  袖に隠れていた手が姿を現した。寒気に触れて、またすぐに隠れる。 「まだ、買うと決まったわけじゃないぞ」 「いやいや、私の勘は当たるんだよう」  にへら、と嬉しそうに破顔する。  ただし、とだらしのない顔に向けて人差し指を立てる。 「お前の予想が外れていたら、ストーブは諦めてもらうからな」 「ふうん。いいよう」  崩れた表情のまま、彼女は頷いた。不気味なほどの自信だが、まあいい。 「そうと決まれば、西ヶ崎の連絡先、教えてくれ」  コートの内ポケットからスマホを取り出しながら言うと、えっ、と水戸が目を丸くした。 「知らないの?」 「ああ。これまで、必要なかったからな」  文芸部にグループLINEや連絡網など存在しない。部員が少ないこともあり、部長が全員の連絡先を把握しているだけで十分とされている。何かあれば、部長が部員へ個別に連絡する。  ううん、と水戸が唸る。そして、 「駄目かなあ。これ、個人情報だし。それに、こういうときは、直接会いに行くのがいいと思う」  細い眉で八の字を作っての苦笑。 「いやいや、面倒くさいだろ」 「面倒?そういうの、先輩としてよくないと思うなあ。後輩の事情を聞きに行くのが面倒なんて」 「……っ」  確かに一理ある気がする。効率を重視するのは大事だが、後輩のための手間を惜しむこと、それを口に出すことは褒められたものではない。 「それと、もう一つ条件を足すね」 「条件?」 「うん。加賀谷君が奈江ちゃんから何も聞き出せなかったら、そのときも、ストーブを買ってもらう。サボったり、手を抜いたりしたら嫌だから」  ふふ、と勝ち誇ったような笑顔。これは、断れない。断れば、どうせ適当にやってうやむやのまま終わらせようとしていた、などと思われてしまう。たとえ逃げ道が塞がれるとしても、捨ててはいけない矜持がある。  頷いてみせる。 「よしよし」  満足げに何度も頷き、よろしくね、と水戸が右手をひらひらと振った。袖に隠れたまま、だった。 「ああ。ただ、今日はもう会えないだろう。携帯で連絡を取れないんじゃ、動くのは明日からだな」 「なるほど」  お互いに頷き合うと、それからはいつも通りの部活動が始まった。  部活動といっても、部室で小説を書くことは滅多にない。部室では、それぞれ好きな本を読んだり、次に書く小説の構想を練るくらいだ。  俺も水戸も、文庫本を開いた。静まりかえった部室に、紙の擦れる音だけが響く。そんな時間が流れた。水戸は袖に手を隠したままで、ページをめくるのに苦労している様子だった。  チャイムが鳴った。午後六時。帰宅を促すチャイムだ。たいていの部活と同様に文芸部も、これを合図に活動を終了する。 「帰るか」  手にしていた文庫本に栞を挟み、閉じる。  ふあ、と水戸が欠伸をした。吐息が、白くなった。 「加賀谷君ってさ、寒くないの?」 「寒いとは思うけど、嫌じゃないな」  帰り支度をしながら答える。寒い。衣服に覆われた部分はともかく、露出した手や顔などは、痛いほどに冷たくなっている。ただ、その冷たさを嫌ってはいないだけだ。冷たければ冷たいほど、痛ければ痛いほど、心との差が小さくなって安心する。春や秋などの安らかな気候の日は、むしろ寒々とした心との違いが大きすぎて、不安を覚えてしまう。 「変なの」  相変わらず間延びした水戸の口調に、俺は笑って返した。寒さのせいで、頬が強張っている。きっと、不自然な笑顔になっているだろう。その方が、いっそ俺らしい。そう思った。
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