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三
「こんな所へ全員を集めてどうするつもりだ、リト」
不機嫌さを隠さない声を無視して、リトは神殿前に集まった同族を見回した。
今、ここで暮らす巨人族は五十人に満たない。セラの母である先代の“契約者”が巨人族を気味悪がり、些細な事で難癖を付けては巨人族を“制裁”した影響で、生き残った者は少ない。
最年長の巨人族が相打ち覚悟で先代の“契約者”を踏み殺して、ようやく歯止めがかかった。
『人間に従わない巨人族に死の報いを!』と当時の人間達はセラに詰め寄ったが、彼女は取り合わなかった。『殺し尽くしてしまっては、命令を聞く者がいなくなってしまうだろう?』と。
渋々引き下がる人々を見送るセラは、固く握り締めた拳と細い肩を震わせて項垂れていた。
それを思い出して、リトの片頬が歪む。脳裏にちらつくセラの面影を振り払い、居並ぶ面々へ向けて口を開いた。
「コレを見ろ」
後ろ手に持っていたものを、皆の眼前へ放り出す。
傾いた日差しを弾いて散らばるのは白銀の糸、否、毛髪だった。更にもう一つ、赤黒い血痕が付着した、元は白かったであろう人間の長衣。
その色を持つ人間は、巨人族が知る限りただ一人。
「おい、リト、まさか」
からからに乾いた同族の声に、リトは歯を剥き出しにして応じた。その歯にも、白銀の髪が一本、挟まっている。
「あぁ、“契約者”を喰ってやった」
耳が痛くなる程の静寂。そして。
「リトがオレ達を忌まわしい“契約”から解放してくれた!」「スゴいわ!」「見たか人間ども!」
雄叫びにも似た、歓喜の声が天を衝く。どれ程遠くへ逃げようとも、必ず下される死の罰。その仕組みは分からないが、背いた者を必ず仕留める“契約”を遂に打ち破ったリトに、賞賛の声が寄せられる。
「でも、“契約者”を殺したのに、何故リトは無事なんだ?」
その疑問で、湧いていた場が一気に静まり返った。熱に浮かされていた全員が、はたと我に返ってリトを凝視する。リトは大仰に肩を竦めた。
「オレが直接殺したワケじゃない。ココに、」
とんとん、と右の親指で右肩を指し示す。嘲りを隠さない口調で続けた。
「“契約者”が『乗りたい』とせがむから乗せてやった。人間にしてみれば、この高さから見る景色は珍しかったらしいな。興奮して身を乗り出して・・・・・・足を滑らせて落ちた」
くい、と親指を地面へ向ける。人間にとっては命を奪うに充分な高さだった。
「首が捻じ曲がって即死だったから、そのまま喰ってやったのさ。まぁ、人間の生肉なんてマトモに喰えた味じゃなかったが、積年の恨みを晴らせたと思えば、な」
口角を吊り上げて、意地悪く笑う。その蒼い瞳は潤んでいた。
セラが自身へ刃を向けたのは、ひとえに相手がリトだったからだ。だが、それを知られれば巨人達は彼女と親しくしていたリトを信用しない。
彼女の亡骸を晒せない以上、『何故、“契約者”はオレ達の眼前で自害しなかった?』『本当に“契約者”は死んだのか?』と疑われてしまっては、全てが無に帰す。
それ故の、嘘。“契約者”を亡き者にして興奮していると思われているのか、彼らは赤くなっているリトの目元を気にも留めていない。
「で、これからどうする?」
リトは話題を変える。不思議そうに顔を見合わせる同族を、呆れた目で見渡した。
「オレ達をココへ縛り付ける“契約者”はもういない。人間どもの言いなりになる必要はなくなったんだぜ?」
指摘すると、堰を切った様に口々に叫び始めた。
「人間どもに復讐を!」「皆殺しにしてしまえ!」「そうだ!我々の恨みを思い知らせてやれ!」
過熱していく声を、リトは鼻であしらう。
「甘いな。殺し尽くしたらそれで終わりだ。それじゃつまらない」
「それなら、どうしろと?」
「敢えて殺さずに生かしておくのさ」
「ふざけるなっ!」
「考えてみろ、生かしておけば奴らは生涯、オレ達巨人族を恐れ続けるんだぜ?“契約者”はもういないんだからな」
ぐっ、とリトは両手の拳を握る。伏せてしまいそうになる視線を、力を込めて上げた。
「今まではオレ達が人間に怯えて来た。これからは奴らがオレ達に怯えて生きれば良い」
最高の仕返しだと思わないか?と続けるリトに、ふむ、と頷く顔が幾つかある。それでも納得いかずに食ってかかろうとする同族へ、リトは軽く手を振った。
「それに、こんな所はさっさと出て行きたいぜ、オレは」
あからさまな侮蔑の目を足下へ向けると、様子を窺っていた人間達が悲鳴を上げて神殿へ逃げ込んだ。崩壊寸前の神殿など、巨人族の力で容易く壊せる。しかし長年、“契約者”の存在を笠に着て巨人を従わせる事に慣れてしまった彼らには、それすら理解出来ないのだろう。
「どこか行きたい場所があるのか、リト?」
問われて、リトは蒼い目で山々を見晴るかす。
「そうだな、ココには若い女がいないから、」
右のふくらはぎの傷が疼く。その痛みが、セラと出会った当初の記憶を呼び起こす。
当時八歳だった彼女は、“契約者”としての役目を説く母と、力の行使を強要する人間達に挟まれて途方に暮れていたらしい。
たまたま神殿の裏で休んでいたリトに興味を示したのは、まだ子供だったリトならそれほど怖くないと踏んだのか、誰かの温もりを近くに感じたかったからなのか。
距離を置いてリトを観察していた彼女は、リトのふくらはぎに走る傷を見るなり駆け寄った。流れる血を止めようと、そっと舐めた。
追い払うのも煩わしくて好きにさせていたリトは、彼女の白銀髪に見惚れ、気付いた時には指を伸ばしていた。
髪を梳く太い指に肩を震わせた彼女は、目が合うと強張っていた顔を綻ばせ、『綺麗な瞳ね』と笑って。
そうやって重ねて来た彼女との思い出を胸に、自分は。
「オレだけの女を、捕まえに行くさ」
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