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休憩終了だ。
少年は懲りずに何度も塔へ上り、ついに頂上へ到達した。誰も到達したことのない頂上である。
そこには何もなかった。そして、誰もいなかった。風も吹かず、無音の世界。
まるでその時の少年の世界の様である。
息をぜぇぜぇと切らし、少年はその場に座り込んだ。誰も踏んだことのない床は埃が積もっている。どこからか吹かれてきたであろう砂は、床に積もり白く層を作り出していた。
ふと、視線を上げると一面の緑が広がっていた。
敬愛する、あのエルフが護り育む命を刻む森。
所々に森が開かれている。
自分を心配して塔に挑戦することを勧めた、もとい丸投げした様な気のいい人たち。その人たちが生活し、生きている村である。
小さかった。
森は広く大きいのに、人々が生きる場所は小さく狭いものだった。
湖があった。
すぐ横に小さな館があった。
それらは村から離れていたが、誰かがいるのだろう。
ほんのわずかな時間その湖と館に目を奪われていると、どこからか霧が漂いその場所を覆い隠した。
まるで、すれ違いざまに「出会えるのを楽しみにしているわ」と声をかけられ、ふわりとスカートを翻して去っていく様な一瞬であった。
その湖には、ふらふらと居場所を定めない兄を待ち焦がれる青い人魚が退屈な時間を過ごしていた。
その舘には、未だお転婆が抜けない吸血鬼お嬢様と古い考えに縛られる堅物庭師が二人きりで変わることのないお茶会を開き続けていた。
それは、まだこの少年の知ることではない。
別の方へ目を向ければ、建物が群れを成している一画がある。街である。まだ少年が行ったことのない、最新鋭の技術が集まり集められる場所。
山があり、川があり、道があり、建物があり。
そのどれもを少年は見たことがなかった。
行ったことも、行こうとしたこともなかった。
少年は何も知らなかった。
かつて「家族」と慕った二人の親子。
文字でしか知らなかった「外」の世界。
厚く冷たい壁と扉。
小さく弱く、ただ守られるばかりの、自分。
それまでのことを思い返す。
生まれ落ちてから二人と過ごした時間。
何もかもを奪ったはずの赤い炎。
助けられ、新たに出会った人たち。
何も聞かず、そこにいることを許し受け入れてくれた人たち。
一人として誰も、自分に道を強制しなかった。
示したり教えたりすることはあっても、道を歩かせることはしなかった。
道は、生き方は、自分で見つけなければいけない。自分の意思で歩き、意志を持って進まなければいけない。
ひゅう、と風が吹いた。
森の木がさわさわと音をたてる。
なんのために歩いていたのだろう。
なんのために生きていたのだろう。
全ての時間が進みだしたあの時から、自分は全く変わっていない。何も出来ない。何も、守れない。
歩き始めて知ったのは後悔であった。
こんなふうになるのだったら。
出会わなければよかった。知らなければよかった。
知ってしまったから、失ってこんなにも
こんなにも?
少年は気づいた。
自分の時間が止まった理由を。
ただ、悲しかったのだ。
知ってしまい、感情を伴って接し、情を育んだ。大切で愛おしかった。
だからこそ悲しい。
だからこそ恐ろしい。
再び同じように大切なものができたら?
それを傷つけてしまったら?
また守ることができなかったら?
少年はそれを恐れ、踏み出せなかったのだ。
命は脆い。いとも容易く奪われ散っていく。
それを目にし見送る勇気は、その時の少年にはなかった。
だから歩くことを止め、悲しさに沈めて自らの時間を止めたのだ。
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