メイクアップ・ハロウィン

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メイクアップ・ハロウィン

 わたしの前に、とても美しい顔がある。  くっきりと彫りが深くてエキゾチックなその美貌に、わたしが持てる技術を駆使してメイクを施した。  陶器のようにすべすべの肌には、ミルク色のパウダーでマイルドな甘みを添える。柳眉は、スパイシーなシナモンカラーで優雅に、かつ凛々しげに。  すんなりした鼻筋はハイライトで華やぎを、しゅっとした頬はラズベリーのチークで愛らしさを演出。薄めの唇は、大胆に赤いワインのようなルージュで、ふっくらと描き直す。  アイシャドウは、ナッツのようにコクのある、シックな色味のグラデーション。何もしなくても長いまつげを、マスカラで強調する。閉ざされたまぶたの上をラメのパウダーでなぞって、アイメイク完成。  わたしは「彼」に声をかけた。 「目を開けていいわよ」  彼は素直に目を開けた。彼の瞳のちょっと珍しいダークグリーンが、秋色メイクのおかげでひときわ映える。 「まつげが重いんですが」 「そんなに塗りたくってないわよ。何もしなくても、きみのまつげ、長いもの」 「負荷の重量、片目あたり約50ミリグラム。意外と重たいものですね。なかなか鬱陶しい」  いつも理詰めな彼の発言は、それこそなかなか鬱陶しい。困った子。わたしが8つも年上じゃなかったら、いちいち腹を立ててしまったかしら。  ロジカルで硬い頭脳に反して、彼の声はソフトで耳ざわりがいい。とはいっても、男の声には違いない。 「口を開くと、もったいないわよ。しゃべらなかったら、見事な美女なんだから」 「美女、ね。ぼくの顔立ちが美しいことは否定しませんが、身長180センチを超えた女性はめったにいないと思います。結局、美男子にしか見えないでしょう」 「わたしより10センチ以上高いのよね」  そのくせ、わたしのドレスが入るくらい細いなんて。去年わたしがハロウィンに着た魔女風ロングドレスは、漆黒じゃなくて、グリーンが入った色味がキレイなんだけど。  弟の同級生である彼は、存在自体が生意気だ。難なく着こなしたドレスに、黒髪ストレートのウィッグも似合いすぎ。美女に見えるわよ、十分に。  彼は不意に、わたしを見つめた。アイメイクに縁取られたまなざしが、ドキッとするほど本当に強い。 「あなたは、今夜、やっぱりパーティに来られないんですか?」  わたしは苦笑いする。 「無理ね。仕事が入っちゃったのよ」  勤め先のヘアサロンはハロウィンフェア開催中。お客さまにコスプレ用メイクをサービスしている。予約が殺到して、シフトから外れてるわたしも助っ人に呼ばれた。  彼が珍しく拗ねた口調で言った。 「最初は来るって話だったじゃないですか」  計算し尽くされた微笑の仮面が崩れてのぞいた正直な表情は、年齢相応に少年っぽい。そんな顔をすると本当にかわいいのだけれど、そのかわいさを、彼はきっと自覚していない。 「仕事なんだもの、仕方ないでしょ? それに、高校生の集まりに水を差したくないの」 「年齢なんて……」 「そこから先、言ったら殴るわよ?」  彼は唇を尖らせた。ああ、仕上げをしないといけないんだった。  わたしはポーチからリップグロスを取り出した。秋色ルージュに似合う大人っぽいゴールド系のリップグロスを指先に載せる。彼の顔を、再び正面からのぞき込む。 「動いたりしゃべったりしないでね」  リップグロスの指先で彼の唇に触れる。柔らかい。ルージュを塗ったときにも感じたけれど、乾燥気味だ。普段、手入れをしないのかしら。肌も髪もキレイなのは、生まれ持った資質? いちいちうらやましいんだから。  彼は息を止めている。目を見張ったまま、身動きできずにいる。  飄々としているようで、実はピュア。わたしが近付くと、かすかに目を泳がせたりする。香水の匂いに慣れないせいだ、と言い訳していた。  グロスを唇の上に伸ばし終わる。軽く離れて、リップメイクのバランスを見る。 「んー、グロス、載せすぎた? まあ、いいか」  指先をティッシュで拭く。熟れた林檎の中身みたいなゴールドに、ふと、いたずらを思い付いた。つややかな蜜は、きっと甘い。つまみ食いをしてみたい。 「ねえ、Trick or Treat? お菓子をくれなきゃイタズラするわよ」 「そのセリフ、あなたが言いますか? 仮装してるのはぼくなんですが」  2人きりのメイクルーム。本当は慌ててるくせに、彼は平然としてみせる。  生意気よ。もっと素直になったらどうなの? 「お菓子、もらっちゃおうかな」 「え? ぼくは何も持ってませ……」 「いただきます」  わたしは彼にそっと顔を寄せた。マスカラのまつげを伏せる暇も与えない。  グロスを塗ったばかりの唇にキスをする。指先で感じた柔らかさを、唇で味わった。鼻先に、パウダーの甘い香りがした。 「……ごちそうさま。グロスもいい具合になじんだわね」  わたしはにっこり笑ってみせた。  彼が、メイクでは隠せないほど赤くなる。ほんのりした目元が、アイラインと相まって色っぽい。いいな、この感じ。ピンク系のメイクで再現できないかな?  彼が、2、3度失敗して、ようやく言葉を口にした。 「い、今のは……イタズラのほうじゃないんですか?」  緑色がかった目がだんだん伏せられていく。  自信に満ちて、ロジカルで、冷静。そんないつもの彼は、ここにはいない。メイクで美女に化けた、純情な男の子。倒錯的で、キレイで、かわいくて。  なんていとおしいんだろう。 「甘いお菓子よ、きみは。もしかして、キスは初めてだった?」 「ど、どうでも、いいでしょう!?」  ギャップだらけの彼は、危険で甘いお菓子。わたしは他愛なく中毒になってしまいそう。  年下の男の子に手を出すなんて、本当はいけないこと。しっかりしてるようでも、彼はまだ17歳なんだから。  なんてね。今さらだって、自分でもわかっている。  年齢を言い訳にしてみても、ダメなの。抑えきれない。  今夜のイタズラは、魔法。ハロウィンの晩だもの。  わたしは魔法にかけられて、誘惑されてしまった。わたしがこの手で創り上げた、今夜限りの美しい魔女に。  彼から、そっと目をそらす。高鳴る胸はまだ隠していられる。わたしはまだ、大人の女性を演じていられる。 「そろそろ行ったほうがいいんじゃない? ドレスとヒールでは、無茶な動きはできないわよ」 「……はい」  立ち上がろうとする彼に手を差し出す。彼はわたしの手を取った。しなやかで大きな手。ふわっとした握り方しかしない、臆病な手。  わたしは、すらりと美しい魔女を横目に見上げた。大人メイクの魔女は、相変わらず赤い顔をしている。照れて戸惑って伏せられた目がいじらしい。  上着だけは男物なのが、かえってセクシーだ。街を歩く間、さぞかし注目されるだろう。 「パーティの写真、たくさん撮っておいてね。後で楽しませてもらうから」  お祭り好きの弟は、今日のハロウィンパーティの企画者で、無駄に明るいヴァンパイアになるらしい。弟の親友の生徒会長くんは、カリブの海賊の船長。シャイな不良少年は、耳と尻尾がかわいい狼男。女の子たちは、セクシー系の衣装に挑戦する。  わたしも交じってみたかったけど、やっぱり高校生の邪魔はできないでしょ。大人は大人らしく仕事に勤しむつもり。 「行ってらっしゃい」 「はい」  口数の少ないまま出ていく彼を見送って、一人になったわたしは自分の唇に触れてみる。うっすらと伸びたリップグロス。困ったことに、胸のドキドキが引かない。たかがキスひとつで。  自分がこんなに彼に夢中だとは、気付いてなかった。  突然。  玄関の呼び鈴が鳴らされた。のぞき穴から外をうかがえば、見送ったばかりの彼がいる。わたしはドアを開けた。 「忘れ物でもあった?」  彼はかぶりを振った。玄関に入ってきて、後ろ手にドアを閉める。キレイな形の手がわたしの両肩をつかんだ。ドキリと心臓が跳ねる。 「ねえ、どうしたの?」  驚きのままに彼を見上げると、彼はキュッとまぶたを閉じた。まつげの長さに、目を奪われてしまう。  キラキラするグロスの唇が、かすれ声を紡ぎ出す。 「今夜は、ハロウィンですから。だから……Trick or Treat? お菓子をくれなきゃイタズラします」 「え? あの、きみ……」 「お菓子もイタズラも同じく、こうするだけですけど」  秋色グラデーションのまぶたが少しだけ開かれた。ヒールでますます背の高い彼が体をかがめる。顔が近付いた。パウダーの匂いが甘い。  唇が触れ合う寸前、彼は再び目を閉じた。  キスは短かった。わたしはうっかり、目を閉じそこねた。 「ごちそうさま。行ってきます。写真も撮っておきます。あなたにまた会ってもらうためにね」  計算高そうなことを早口で言って、彼は玄関から飛び出した。  取り残されたわたしは、唇に触れた。グロスが、さっきよりもたくさんくっついている。 「生意気よ、まったく。リップメイク、直さずに行っちゃうし」  胸がくすぐったく高鳴っている。顔がにやけてしまう。ダメだ。わたし、本当に彼のことが好きみたい。  甘くて甘くて甘かった。  ただのキス。唇が触れ合うだけの、子どものキス。そんなもの、ただひとつなのに。  おなかいっぱいよ。でも、同時に、とても飢えているの。 「もっと、食べてみたい」  それって、いけないことかしら。  気を抜かないようにしなきゃ。彼は賢くて計算が得意なんだから。わたしを困らせる方程式なんか発見されたら、大変なことになる。  次に会えるのは、いつになるだろう? またメイクさせてもらえないかしら。うちのサロンに掲示する冬メイクのモデルにしちゃおうか。  ちょっと先の未来を思い描いて、わたしは小さく笑った。
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