歳を重ねるのは簡単

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歳を重ねるのは簡単

ーーー案外、簡単だったな。 東横線、各駅停車渋谷駅行きに乗り、斎藤 敦美(さいとう あつみ)は、つり革につかまりながら窓の外に流れていく景色を眺めていた。 前下がりボブカットの黒髪に日本人的な切れ長の瞳、こじんまりした鼻と口。小顔で化粧も濃くないせいか、歳より若く見られることが多い。 背も高くないし、高いヒールも履かない。 おしゃれに興味がない訳ではないが、お給料を服やバッグに注ぎ込むなら美味しいものを食べに行きたい派だ。 今朝のテレビで『昨日より温かく感じるでしょう』と、パールホワイトの薄手な上着を着たお天気お姉さんが天気予報を伝えていたのを思い出していた。 ーーー確かに温かい。 むしろ、車内は少し暑いくらいだ。 厚手のブラックのコートを着て出てきた敦美。 ーーーこのコートは失敗だったかな。 敦美を乗せた電車は、神奈川県から多摩川を越え東京都にやってきた。 「ゴクッゴクッ」 突然聞こえてきた音に少しびっくりして音のした方向へ顔を向けた。 ドアに体を寄りかけるようにして立つ少し太めの男性。右手でスマホを操作しながら、左手に持つ缶コーヒーを喉を鳴らして飲んでいた。 ラッシュ時間は過ぎたもののまだ結構混み合っている電車の中。そこで自分のしたいように行動出来てしまう人間がいる。 ーーー私なんて、自分のやりたいように行動なんかしたことが無いのに。 大きなため息をつき、男から目を逸らした。 毎日、同じ行き先の電車に揺られ、一般的には知られていないような名前の小さな会社の事務員として働き、定時の17時すぎに会社を出て家路につく。 その、なんて事のない毎日を繰り返して10年。 つい1週間前の2月14日の誕生日にとうとう30歳を迎えた。 20代なんてあっという間で、25歳になっても、特に変わりばえもしない毎日だったが、30歳になってもやはり変わらない。 ーーー案外、簡単だったな。30歳になるのって。
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