- 前夜 -

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 夕方になって、緊急会議が開かれた。ランスト公の執務室には、秘書や執事ら側近に加え、俺達父子も呼ばれた。 「……酷い有り様です」  半日前とは別人のように焦燥仕切った表情で、エルマッハ隊長は項垂れた。公爵に失礼のないよう拭き取られているが、脱ぐ間を惜しんで身に付けたままの鎧には、節々に泥や血痕がこびりついている。 「生存者の救出と並行して化け物を駆逐していますが……村は壊滅的です」  テーブルに広げた村の地図に、ランスト公爵の館がある東南地区の境界線が赤くなぞられている。これが防衛の最前線なのだ。 「化け物どもは、とにかく身体の一部に喰らい付きます。かといって喰い尽くす訳ではありません」  静まり返った室内に、隊長の報告が響く。 「化け物の目的は、仲間を増やすことなのか?」  プラチナブロンドを綺麗に撫で付けた、秘書のデサロが鋭い眼差しを向ける。 「……分かりません。何せ会話が成り立ちませんから。とにかく人間を見つけると、見境なく襲ってくるのです」 「最前線は、いつまで持ちこたえそうだ?」 「とにかく、一発必中で仕留めていますが……問題は夜です。鎧で身を固めた見張りを配置していますが……防ぎ切れるか……」  歯切れが悪いのも頷ける。通常の人間相手とは勝手が違う。ひと噛みが致命傷になるのだ。暗闇に紛れて侵入されれば、喩え1体でもパニックは必至だ。 「問題は……まだあります」  エルマッハ隊長は、沈痛に染まった瞳で、改めて一同を見渡した。 「敵は、異形に変化したとはいえ、元は既知の村人です。兵の中には、身内の首を跳ね、精神的に限界の者もおります」  それが軍人の使命というには、余りにも過酷だ。万一助かるのであれば、元に戻す方法さえあるのなら――やるせない思いを抱えながら、己の太刀で命を断たねばならないのだ。 「公爵」  沈黙を破ったのは、執事のコーネンだ。長らく公爵家に仕えてきた貴族の出で、公爵以外に俺達の事情を知る唯一の存在だ。 「本家(・・)に使いを走らせていますが、この分では応援は望めないでしょう」  元々ランスト公爵家とは遠縁にあるそうで、コーネン執事は言いにくいことでもズバリと言って退ける。 「脱出のご決断を」 「それはならん」  結論が読めたらしく、双方の声が重なった。 「斯様な辺境の地に隔離されたとはいえ、王家の一端という誇りはある」 「左様な誇りなど、本家には意味の無いこと。今は一先ず、この地を離れ、形勢を建て直しましょう」 「村の外が安全だという保証はあるのか?」  唐突にデサロが口を挟む。張り詰めた空気に水を注した格好だ。 「保証!」  ハッ、と嘲る調子で言い放ち、コーネン執事は、机越しの向かいに立つ20歳は年下の若造を一瞥した。 「エルマッハ隊長」 「……は」 「宵まで数時間ある。村境を抜けるまで、持ちこたえられるか?」  デサロを睨んだまま、コーネンは隊長に水を向ける。 「それは……」 「私は館を離れん」  口ごもる隊長の返事を待たずに、ランスト公爵が結論を繰り返した。 「明日は満月だ。エレインを置いていけというのか?」  これには、沈黙が返った。エレイン・ド・ランスト公爵令嬢――齢15になるという一人娘は、身体が弱く、普段から人前に姿を現すことは希だ。ランスト公爵家の女性は、美しいが短命だと聞く。公爵の姉上も、俺が5歳の頃亡くなった。色白に黒髪で、大きな瞳の美しい女性だった。高貴な公爵家が、王都を遠く離れた辺境の地に封じられているのも、彼女らの体質に合っているという理由らしい。 「村人を集め、周りを兵で固めよ。防衛線は、館を中心に――川の内側まで狭め、バリケードを巡らせるのだ!」  ランスト公爵が決断する。もはや、反論は上がらなかった。  隊長を先頭に、最善を尽くすために側近達も慌ただしく退室した。 「……ジャレン」 「はい。今夜発ちます」 「すまない」 「いいえ。今こそ、長年の恩義に報いる機会です」  親父は毅然とした眼差しで公爵を見詰め、一礼した。
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