食べる姿【璃子サイド】

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食べる姿【璃子サイド】

撮ってもらうことを意識して、串に刺さった鮎を控え目にかじる。歯は見せずに川魚にまるで軽くキスをするように。スマホを片手に聡は満面の笑みで私に語りかける。 「璃子さん、こっち向いてください」 一緒に秩父観光に来ている、王美玲と平野雄大は、空気を読んでフレームアウトしてフレームの中はきっと私一人。 カシャッカシャッカシャッ。連写のスマホのシャッター音が心地良い。スマホを構える彼の右手のペアリングを見て優越感に浸る。 そんな安っぽいシルバーの指輪を揃えて恋人ごっこをしたところで、私に勝てるとでも思ってるの?目障りなシルバーの指輪が日の光に反射している。 私は聡の指輪の反射光すら、自分に向けられたフラッシュのように感じた。相澤聡は私を美しく撮ることに夢中。目一杯の笑顔で私は応える。 フレームインしないように王美玲と平野雄大は、二人で離れた所で談笑している。正しい文法で流暢に日本語を話す中国人留学生の美玲と、ら抜き言葉でいい加減な日本語を話す雄大。二人の噛み合っているのかいないのかよくわからない雑談が聞こえる。 私は話を合わせることに精一杯な二人の気配を背後に感じて、ゾクゾクと興奮してきた。キスをするように控え目に唇を寄せていた鮎の腹に、少し深く唇を食い込ませる。 聡が頬を赤くしながら、スマホを構え直してまた私を撮り続ける。ああ、やっぱり。そういう変な想像すると思ってた。私はほんの一瞬だけ鮎の腹を舌で舐めた。 聡は美玲と雄大に見られていないことを素早く確かめると、私のその姿をこそこそ隠れるように写真に撮っていた。 聡が、 「夏菜はあまり写真を撮らせてくれない」 恋人に対する愚痴をこぼしていたのはちょうどニ週間前。私は、 「照れ屋で可愛い彼女じゃない?」 恋人を褒めるふりをして聡の反応を見た。彼はため息を気怠そうに吐き出して、 「違う、俺を信頼してないだけ」 悲しそうに目を伏せて拗ねていた。これはイケる。信頼なんてなくても、際どい露出した服を着なくても、裸にならなくても、食べる姿ひとつで男は勝手に欲情し妄想を膨らませる。写真なんていくらでも撮らせてあげればいいのに。相澤聡と同世代の若い夏菜にはその辺りの恋愛の機微がまだ理解出来ないのだろう、SNS世代なのに随分とお子様。 こんなチャンス滅多にない。文化・歴史研究会という地域サークルの中の気の合った仲間同士。真面目に活動している人なんてほとんどいない。私、相澤聡、王美玲、平野雄大はサークルという建前の元に、ちょこちょこと遊びに出掛けていた。今日も秩父の歴史と文化を体感するという最もらしい建前がある。 美玲と武は二人になりたそうにしている。行きは美玲と一緒に私も雄大の車で送ってもらったけれど、帰りは理由を適当に作って聡に送ってもらえばいい。二十代前半の三人と少し壁を感じていた二十代後半の私は、聡と繋がるきっかけを得た。 さあ、この3つ年下の男をどう仕止めて料理するか?出来ることならほどよく焼き上げて、結婚というフルコースに持ち込みたい。 焦らず、じわりじわりと網で絡め取るようにこの男を手に入れたい。 「璃子さん、帰りは俺が送りますから」 写真を撮り終わった聡がすれ違い様にささやく。ほら、思惑通り。 四人で秩父の観光に来たけれど、ここから別行動。美玲と武、私と聡に別れた。 聡は急な別行動に焦ったのか、帰り道を本気で間違い、あからさまに変な場所に出てしまった。 私も運転するから分かる。間違えたフリをしているのか、本気で道に迷ったのか。聡は本気で道に迷って迷ったと言い出せずにいた。 迷った末に出たのは廃墟のある集落。怖い話は怖がって「魅せる」もので、本気で怖いなどと爪の先ほども思わない私は、オタオタして慌てる聡が幼子のようで可愛らしくて堪らなかった。 死んだ者、見えない者より生きている人間が一番恐ろしい。それでも、怖がって「魅せる」のが女というもの。 「聡君…怖いよ」 決まり文句のような台詞を言うと、 「すみません。道…調べ直します」 スマホの地図を確認しようとする聡。しかし、電波の状況が悪いのか、直角三角形のアイコンは無反応。はっきり言うと、帰り道の方角も、街に出る道順も私は知っている。でも、知っていると言うつもりはない。 「今、変な影がよぎった!」 私はスマホの地図を起動させようと躍起になっている聡の腕にしがみついた。 「だ、大丈夫ですって、きっと野性動物か何かですよ」 聡の声が裏返っている。馬鹿みたい、影なんかよぎってないのに。スマホを諦めて助手席の私の肩を抱く。聡が震えているのは幽霊とかそういう類いを信じている、アホの証拠。 そして、お決まりのようにキスをしてくる。今日はここまでね。なんでこんなにお決まりのシチュエーションでお決まりのことするかなあ。でも、まあ廃墟の集落に迷いこんだ甲斐があった。後はそれとなく誘導すれば帰れそう。 秩父の日帰り旅行の後、私たちはこっそり二人で会うようになった。上手く焦らしながら、引き返せない関係まで漕ぎ着けた。何枚も何枚も彼が取った私の写真が貯まっていく。 そろそろ罠を仕掛けるときが近そうだ。角を取ったオセロのように、白を黒に、いや、黒を白にひっくり返す瞬間が…。ああ、なんて楽しいんだろう。 一枚たりとも、怪しげな写真やセクシャルな写真はない。全てが私の普段のソロショットに見えるだろう。でも、撮っているのは彼。これを怒濤の勢いで切り札として使うときが来た。 写真は撮られた者より、撮った者の心をより深く写し出す。 私がより笑顔になるように必死でご機嫌伺いをする聡の顔が、あの女には手に取るように分かるだろう。そして、あの女は荒れ狂い、聡を罵り二人の間は終わるだろう。 「ごめんね、もう二人の関係を隠したくなかったの」 そうやって一筋だけ涙を伝わせれば大丈夫。たった3歳しか違わない若さなんて、美しさで覆せる。一回りも上なら私は勝てないけれど、あの女は十人並みどころか、3つしか違わない年下のブス。私はいつも微笑むだけで男の鼻の下が伸びる。 美しさで若さを覆す余裕がまだある。今なら時間がある。まだ余裕がある今のうちに…。美しさも若さもあると言われる今のうちに…聡を必ず仕留める。
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