我儘を許して

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小鳥のさえずりと共に目を覚ます。眠たい目をこすりながら台所に向かい朝食の準備をする。 「しまった。また1つ多く卵を割ってしまった」 1人しかいないのにも関わらず二人分を用意しかけてしまう。 僕は未だに一人でいる事に慣れない。 隣にいるはずだった人が、ずっと一緒にいると思っていた人が、幸せにしたいと思った人が突然いなくなった。 何も言わずにただ一言「ごめんなさい」という言葉だけを紙に書き残して、僕を残していなくなった。 今どこで何をしているのかも分からない。 それまで彼女の為に、彼女との幸せの為に生きてきた僕は生きる意味を見失い抜け殻のように生きている。 通勤中の満員電車に揺られながら窓ガラスに写った自分の顔を見て 「酷い目をしてるな」 死んだ魚のような目をしながら、死に場所を求めてさまよっている生霊のような表情の自分が見えた。 「大丈夫か、お前?」 休憩時間に同僚から声をかけられた。 「何が?」 「いや、なんでもない」 彼の心配は嬉しかったが、自分でもびっくりするぐらいの生気の無い声が自分の口から出ていた。 機械のように残っている仕事を片付けた。 今やっている行為に意味を見いだせないまま。 僕は今死んだように生きている。 「ただいま」 答えがない事がわかっていても癖というのは抜けないものでどうしても言ってしまう。 もしかしたら返事が帰ってくるのでは無いかと、いなくなった彼女が待っていてくれるのでは無いかと常に期待しているのかもしれない。 玄関の灯りをつけた時白い封筒が落ちているのを見つけた。 「なんだこれ?」 宛名が無く誰から来ているのか分からなかったが危険なものでは無いと何故か分かった。 「誰からだろう?」 封筒の封を切り中身を出す。中には手紙が入っていた。 「なんで…」 手紙の差出人はいなくなった彼女からだった。 僕は恐る恐る手紙を開けた。 「まずは突然いなくなってごめんなさい。何も言わなかったのは怖かったから。あなたの顔を見て話す事は出来なかった。この手紙も直接てわたすことが出来なくてごめんね。あなたのことが嫌いになった訳では無いの。むしろ今でもあなたのことは好きよ」 謝罪から入った彼女の言葉に僕は彼女が何を言っているのかわからなかった。 好きだと言うなら何故?こればかりが頭を過り手紙を食い入るように見だした。 「あなたと別れた理由を勝手に綴らせて貰うわ。読みたくなかったらそのまま捨ててしまっても構わない。」 僕は捨てるという選択肢は浮かばなかった。 「あなたと一緒にいる時間は幸せそのものだったし、あなたのことをいつも考えていた。好きな気持ちは1度もぶれなかったし嫌いになったことは1度もないの。この人しかいないと思って生きてきたわ。燃えるような恋をして幸せの未来を想像して今の日々を噛み締める。とても充実していたわ。こんな日々が続けばいいとそう思っていたわ。 それでもふと気づいてしまったの。あなたに捨てられてしまったら?あなたがいなくなってしまったら?あなたと同じ未来を過ごせないなら?私はどうすればいいの?あなたがいないと何も出来なくなってしまう事実に気がついてしまったわ。あなたに依存しながら生きている。このままいけばあなたの負担になると考えた。 私はあなたの重りになりたくなかったし、負担になりたくなかった。私の為に死んで欲しくはなかった。あなたの幸せが私の幸せだから自分の為に生きて欲しいと思った。 燃えるような恋をして自分の身を焦がすなんて皮肉だよね。それでもこの気持ちは一生大事にするつもり。あなたがきっと最初で最後の人。 あなたとの未来を歩めない事は寂しいけど私は新しい道を進むわ。あなたの未来が幸せであることを願ってる。勝手でごめんね。さようなら。今も愛してるわ。」 勝手が過ぎると思う。彼女と同じ思いを僕もしていると考えて欲しかった。君といることが何よりもの幸せだと知って欲しかった。僕の瞳からは涙が溢れだしていた。 彼女が僕の事を今でも思ってくれている事が嬉しくて、でも寂しくて言葉に言い表せない感情が僕の胸で渦巻いていた。 「なんだこれ?」 手紙を封筒に仕舞おうとしたらもう1枚紙が入っていた。 中を開けてみると手紙と小切手が入っていた。 手紙には小切手について書かれていた。 「最後に我儘を一つだけあなたと行きたかった新婚旅行の費用を入れておきました。どうしても構わないけど、できれば新しい良い人と行って新しい思い出を作ってくれると嬉しい。私のお金で他の女と旅行に行ってずっと私の事を思っていて欲しいっていう我儘よ。可愛いものでしょ?」 我儘ばかりの君だけれどもその願いは叶えられそうにないと思う。君以上の人を僕は知らないし、今でもずっと君の事だけを考えているから。それでも君がくれたお金を有効には使おうとは思った。 さしあたってはいつか2人で語った理想の新婚旅行に行くよ。二人分の部屋に二人分の座席を確保しよう。記憶と思い出と心の中の君と一緒に行くとしよう。 家の鏡に映った男の顔はすっきりしていて晴れやかな表情になっていた。僕は少しは前を向いて生きていくことができるみたいだ。
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