幸せを呼ぶクッキー

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 光沢のある黒いダイニングテーブルにはワイングラスを摘まむ義父の姿があった。彼は苛立ちを示すように中指の先でコツコツとテーブルを叩いていた。  黒いTシャツに黒いハーフパンツ姿の義父は、繁華街にいる客引きのようだった。短く刈り上げられた髪には白髪が混じっているものの、ジムで焼いた黒光りする肌のおかげで今年五十を迎えるようには見えない。  母は私が小学校を卒業するのを待って、再婚した。実際に待ってくれたのかは分からないけれど、とにかく、そんなタイミングの出来事だった。市営住宅からこの高層マンションに引っ越して、私の第二の人生がスタートというわけだ。 「ごめんなさい」  小さく言って、頭を垂れると、父は無言でグラスを傾けた。  門限は平日の塾のない日が六時、土日が七時と決められている。壁に掛けられたデジタル式の時計は七時二十分という表示を浮かべている。これは電波時計で、一分、いや、一秒の遅れすらも見逃してはくれない。 「これで三度目だからね」  母が念を押すかのように言う。  月に三度門限を破ると、次月のお小遣いが千円減らさせるというシステムが存在する。三度目以降は一回ごとに千円減らされ、月に七度、門限を破ったところで、次月のお小遣いがなくなってしまうというわけだ。 「何処行ってた?」  義父が言って、その科白を「何処行ってたの?」と母が復唱する。  精神の安定を取り戻すために駅前で座っていた、とは言えない。でも、探偵と名乗る男に掴まって、うだうだと身の上話を聞かされていた、とも言えない。  黙り込むと、「約束とルールは守れ。何処に行っていたとか、聞かれたくなかったら、時間を守れ」と義父は語気を強めた。
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