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 恋人同士でもないのに、私たちはどうして、このように二人で夜の街を歩いているのだろうと思いながら、隣を歩くあなたの横顔を盗み見ます。ついでにあなたの心が盗み見れたらどんなにいいだろうと思いながら。 「好きです」と言ってしまえば、状況が変わることは確かです。たとえそれが、私が望まない結果につながっているにせよ。  私の中にはいつも、“なんで言えないんだろう?” という問いと同じくらいの重さで、“何故言わないといけないんだろう”というもう一つの問いが存在しています。そう、無理に言う必要なんてないのです。卒業するまでのあと数ヶ月は、なんの努力も苦労もなく、こうしてあなたに近い場所で、つかず離れずぬくぬくしていられるのですから。卒業したら、どのみち別々の都道府県で暮らすことになる。そうなればもう離れ離れになるのは必須で、うまくいけばラッキー程度に考えられるようになります。しかし今は、うまくいかない場合に失うもののことを考えると、なかなか踏ん切りがつかないのです。 「どうかしたの?」  とあなたが言うから、 「なんでもない」  と答えました。  この想いを抱えている間だけ、私はなんとか今の状態を保っていられるのです。あなたの顔を見られるから、学校へ行くにも足が進むのです。一日何時間も机に向かっていられるのです。それがなくなれば、私は明日からただちに引きこもりになってしまうかもしれなません。人並みの生活を送るためには、もう少しの間、あなたをだしにしてやっていくしかないのです。  殻など破らなくていい。山など越えなくていい。私にとって今一番大切なのは、現状維持、これだけです。  卓上電気スタンドの青白い光が便箋を照らしています。ところどころに光る繊維が織り込んである和紙のような紙。銀松紙という紙に、薄い灰色の罫線が引いてあるだけのシンプルなもの。『放課後のキーノート』という本を知っていますか? 一言でいうと、ある女子高生の高校生活のお話なのですが、その中で、大人びた同級生がラブレターを書く場面があります。彼女はひどく地味な便箋を用いて、「書く言葉が情熱的だからこれぐらいが丁度いい」という趣旨の発言をするのです。私の言葉はどうなのでしょう。その女子高生よりも私のほうが自信がないのは確かです。  私があなたに伝えるべきなのは言葉だけで、それ以外のものは本来邪魔なはず。そう思うと、その女子高生を真似て何の飾りもない便箋を使いたいところです。しかし自分の言葉にすらそこまでの自信が持てない私は、わずかに光る繊維で、少しでも見栄えのしない言葉を、飾り立てようとしているのでしょう。  便箋に書いた文字をもう一度じっくり眺めて、それを破り捨てます。私はこんなことを書くべきではないのです。こんなことを書いてはいけないのです。以前何かで読んだのですが、恋文には「好きです」という言葉を書いてはいけないそうです。ストレートにそう書いてしまう人は、きっと切羽つまって周りが見えない状態だということなのでしょう、まるで今の私みたいに。  直接あなたの目の前に立って告白する勇気がない私は、このよう出来るだけ傷つかない方法を選ぶ臆病者です。告白は面と向かってしたほうが、インパクトが強いのは言うまでもありませんが、もし私にそういうことができるとしたら、それは生まれ変わってからのことになるのでしょうが。  だから、手紙を使うと決めたら、それとは少し違う方法を考えるべきものなのかもしれません。思いを伝えるという点では同じでも、もっと含みを持たせて、駆け引きの手段として使うべきなのでしょう。平安時代の貴族ではないのだし、あなたが教養がない人ならわかっていただかなくて結構、とばかりの難しい短歌を書くつもりは毛頭ありません。しかし、気にも留めていなかった相手でも、何度も真意の明らかでない手紙をもらっているうちに、相手に心引かれていくこともあるかもしれません。手紙というまどろっこしい手段を用いるのには、それくらいの面倒は覚悟しなければいけないのでしょう。いや、それを面倒とすら感じない人でないと、手紙を用いる方法は上手くいかないのかもしれません。  “ずっとあなたのことが好きでした。”  このような手紙を受け取り、もし相手のことをなんとも思っていなかった場合、「すみません、なんとも思っていません」と返事を書ける人はまずいないでしょうけど、私がしていることは、まるで返信用ハガキで「yesかnoに丸を点けてください」と言っているかのような、無骨で無神経で考えのないことなのです。わかってはいるけれど、どうしようもないのです。 b9ab8a3d-ec54-4f22-a608-efd0de98af65
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