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最終話
思えば、いつからこんなことになってしまったのでしょう。だいたい、「僕ってイマイチなのかな」なんて、あなたはそんなこと私に尋ねるべきではありませんでした。私にとっての評価は別として、一般的に見れば、きっとあなたは「イマイチ」と「普通」の境目あたりにいるのでしょう。一方私はどうなのか。「可愛い」とう評価を望みはしません。それくらいの分はわきまえています。一応「普通」の部類には属していることを望みながらも、そのことで私はいつも思い悩んでいるのです。いつも人の顔色を伺っているせいか、どんなに気をつけても姿勢が悪くなってしまう。服のセンスもよくない。元がそれほどいいとも思えない。
ひょっとして、もう少し自分に自信を持っていれば、あなたに想いを打ち明けることもできるのでしょうか。今の私は、あなたの反応を予測しては、いつも不安になってしまうのです。「鏡見たことある?」なんて幼稚なことはもちろん言わないにしても、「ごめん、君にはもっとふさわしい人がいるよ」などと言って、君がねえ、といった優越感に満ちた表情で私を一瞥して去って行くあなたの姿を想像しては、立ち止まってしまうのです。
しかし、私の持っている劣等感をまた、あなたも持っているかもしれない、とも思うのもまた事実です。でなければ、あのときあなたは、私にあんなことを尋ねはしなかったのではないでしょうか。そして私もまた、本当はあんな風に答えるべきではなかったのでしょう。では、模範解答は何だったのか、それは未だに不明ですが、少なくとも、誠意は見せるべきだった。冗談にして笑い飛ばしたりするべきではなかったことは確かです。私はただの臆病者で、正直なことを言って何かが変わってしまうのが怖かったのです。二人の関係がどういうものであるかを確認する機会は、もう少し早い段階ではいくらでもあっただろうに、私はそれを後回しにし続けたのです。
いつわりのものであるにせよ、あなたとのつながりが、疲れ切って何かにすがるしかない今の私を支えてくれていることは事実です。それが壊れてしまったら、一体私はどうなってしまうのか。また引きこもり生活に戻り、今度は二度と出てこられなくなってしまうかもしれません。どうせあと数ヶ月で卒業して別れて、もう二度と会わないことになるなら、それならそれでいい。この安穏とした場所で今をぬくぬくと生きているほうが、どれだけましなことでしょう。
新しい関係などいらないのです。山を越える必要なんてないし、殻を破る必要もありません。例え何の進歩もなく何所へもいけなくても、ずっとこのままでいるのが最もよい方法なのです。今の私には、これ以外の道を選ぶ術などないのですから。
あの日あれほど仲良く毎日を過ごしていた相棒も、やがて私の人生から去りましたが、その不在は、今では私の生活になんの損失も及ぼしていません。あなたもやがて、そうやって消えて行くのです。あなたの存在すらも、私にとってはやがてどうでもいいものになるのです。今のままでいさえすれば。何事もないまま終われば。だからこのままがいいのです。
そう頑なに信じる一方で、あなたに想いを伝えられないでいる私のように、私に想いを伝えられないでいるあなたがいるような気がしてならないのは、私の思い上がりというものでしょうか。だとしたら、我々は意外とお似合いなのかもしれませんが。
あの日撮った写真、きっと私は捨てることもできず、かといって額に入れて飾ることもできず、なんとなく手帳か何かに挟んだまま、保存するのでしょう。そうして、近い未来か遠い未来に、身辺整理などするときに偶然発見してしまい、眉をひそめながら舌打ちするのです。そんなときあなたもまた、パソコンの片隅に消去できないまま置き去りにしてあるそれを、何かの拍子にうっかり開いてしまうのでしょうか。そう、それもまた一興。ファイルを開くたびに、ナメクジの這った跡のような違和感を覚えてくれれば。自分の不甲斐なさを思い出し、後味の悪さをかみしめるときだけ、私の存在はあなたの中に甦るのではないでしょうか。そうして私は、そんなあなたを想像するたびに、してやったりと思うのです。
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