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彼女は一見大人しそうで、ごく普通の人に見えましたが、これがなかなか、物事を穿って見るのが得意な子でした。
先述したように、彼女はかなりはっきりした性格の子で、自分の主張を強く持っていました。自分が興味が持てることには夢中になるのですが、興味のないことには全く関心を示しません。嫌いな人に話しかけられても「ああ」「そう」「それが」など、明らかに「あなたとは話す意思がない」といった態度をとるので、自然と声をかけられなくなります。おそらくは、このクラスにおいては無理に隣人づきあいをしなくても集団無視などの被害を受けることはないだろうと事前に察知してのことだったのでしょうが、こういうのを生きる知恵というのだなと密かに思った覚えがあります。
ある日、国語の作文の時間に「最近考えていること」をお題として書くように指示されたときのことでした。八割がたの人が、テレビの話や漫画の話、親がうざいとか、受験勉強がうざいというような、ありきたりな話題を選ぶ中、彼女の作文の一行目にはこうありました。
「名前はその人の性質の逆を表すものである。」
太(フトシ)君は細い。優子さんは優しいとは言い難い、強(ツヨシ)君は弱虫、などの例が、原稿用紙にびっしりと書かれています。もちろん、例外は星の数ほどあるでしょう。しかし、中学校三年生の時点で、そして私たち所属するクラスにおいては、それはぴったりと当てはまっていました。特にキレるようにも見えず、どちらかというといちいちスローモーションな動きを見せる彼女が、実はこんなことを考えていたことを知り、びっくり仰天しました。
「これ、先生以外の人には絶対見せられないね」
彼女は笑顔でそう言います。
「そんなこと気にするんだ?」
「あったりまえでしょう」
私だけは見てしまったわけですが、あれは今でも忘れられない出来事でした。
不思議なものです、中学校を卒業して、別々の高校へ行くようになると、彼女ともぱたりと会わなくなってしまいました。進学する高校が違うと、毎日会わなくなる。物理的にそうなるのはわかっていたのですが、なってみて初めて、毎日会わなくなるとはこういうことなのかと日々実感するのです。手紙を書けばいいじゃん、週末に会えばいいじゃん、と思っていたけれども、月日が経つにすれ、無理にそうしなくてもいいような気になっていきます。
彼女が、彼女と同じ制服の私の全然知らない人と街中を歩いているのを見て、声をかけられなかったこともありました。今まで忘れていたけれども、あなたと話しているうちに、次から次へとそんなことを思い出してしまうのでした。
「私ね、その人に会ってから、なんだか自分が変わっちゃったなーって思ったの。その人に会う前の私と、会った後の私は別の人間になったような。今ではどこでどうしているのか知らないんだけどね。でも彼女と一緒にいて、同じ場所にいるのに見えてるもの、感じてるものがこんなに違って、物事っていろんな見方ができるんだなってわかったのは確かなんだよね。今は、もうどこで何してるか知らないんだけど」
あなたは、ストローでジンジャーエールを飲みながら、頷きました。
「同姓だったから友人同士だったけど、異性だったら運命の恋だったのかな」
「ふうん。でも同姓でよかったんじゃないの」
「何で?」
「友達だったら、次に会ったとき、また仲良くできるかもしれないけど、恋人同士になって別れたら、また仲良くなるのは難しいでしょ」
「そうなの?」
あなたは私の問いかけには答えず、またジンジャーエールを飲みました。誰とも付き合ったことのない私は、そんなこと考えたこともありませんでした。あなたにはいわゆる「かつての恋人」がいるのでしょうか? いるとしたら、何人か? それとも何人も? できればいなければうれしいですが、もしいるのであれば、何人もの方がいいかもしれないと思います。何人もいて、誰が誰だかわからないくらいのほうが、むしろよいかもしれないと思うのでした。
「そろそろみんな着く頃だね」
そう言われて時計を見ると、時計は四時五十分を指していました。一時にここに入ったので、もう四時間近く話し続けていたことになります。てっきり一時間半くらいしか経っていないと思っていたので、驚いてしまいました。
「出ようか」
あなたは席を立ち、私もそれに続きました。
ようやく現れたみんなと合流して、温泉に向かいます。私にとっては今日一日は終ったも同然でしたが、まあ仕方ありません。
「二人でどこ行ったの?」
温泉の女子風呂で、研究室仲間の一人にそう訊かれます。
「植物園行って、それからファミリーレストランに行ったよ」
「ふうん。仲いいんだね」
怒り出しそうになりましたが、そのおかげで二人だけになれたのもまた事実。一瞬にして、怒りと感謝が私の中でほとばしり、結局どう反応してよいかわからず、淡々とした態度をとり続ける結果となります。
「誰も連絡してくれなかったじゃない」
「そのほうがよかったんじゃないの」
彼女の含み笑いに、私はますます自分の感情を閉じ込めようとしてしまいます。そして気がつくと、居心地のよかったあなたとの関係が、ほんの少し面倒なものになっているのです。不吉なことに、私は、あなたとどのように距離をとったらいいかわからなくなってきていたのでした。
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