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部屋中に甘い香りが充満している……
もうすぐマドレーヌなるものが焼き上がるのだ。
西洋菓子作りは女学校でも少しだけ習ったことがあったけれど、失敗したのか固くて粉っぽくてとても食べれたもんじゃなかった。
ルーシーさんはお菓子作りが趣味らしく、いつも色々なお菓子を作っているらしい。
お菓子だけじゃない。
私がマフラーを編むのに手こずっていると、とても丁寧に教えてくれた。
おかげで難なく編めてしまった。
「It was made delicious!」
美味しく出来たわよ〜と言ってルーシーさんが上機嫌でマドレーヌを天火から取り出した。
私はルーシーさんに言われ、食器棚からお皿と飲み物を入れるカップを選んだ。
この家には女中がおらず、家事は全部ルーシーさんが一人でしている。
別宅に運転手兼、力仕事をする柴田さんという60代の人が住み込みで働いてはいるけれど、使用人といった感じではない。
ご飯の時なんかはルーシーさんが作った手料理を私達と一緒に食べるし、よく喋るし、親戚のおっちゃんといった方が近いのかもしれない。
ルーシーさんは柴田さんにもおすそ分けしてくるわねと言って別宅へと行ってしまった。
焼き立てが美味しいから先に食べときなさいと言われたけれど……
貴光さん、部屋で仕事をするって言ってたよね……
私は小皿にマドレーヌを取り分けて、貴光さんの部屋へと急いだ。
「雛子です。入ってもよろしいですか?」
少し間が空いてから入れと返事が返ってきた。
貴光さんの部屋に入るのは初めてだ。なんか緊張してきた。
「マドレーヌを作ったので貴光さんもいかがですか?」
「色仕掛けが無理そうだから食い物で釣ろうとでも思ったのか?」
相変わらず口が悪い。
まあその通りなんだけど……
机の上にマドレーヌを置いたのだけれど、じろじろとからかうように見られた。
本当、性格悪い。
貴光さんの部屋は和と洋が入り交じった大正ロマンス風で、所々に赤い色のある家具が置いてあって凄く素敵だった。
涼しげな青や透明、乳白色の氷コップが飾り棚にいっぱい並んでいるのだけれど…好きなのかな?
貴光さんは書類に目を通しながらマドレーヌを黙々と食べていた。
美味しいとは言ってくれないんだ……
同じ家に住んではいるものの、余り接点がない。
休みの日も貴光さんは部屋で仕事をしていることが多いし…夫婦ってこんなもんなの?
いや、まだ結婚はしていないから正式な夫婦ってわけではないのだけれど……
はっ、待てよ。
結婚したら私もこの部屋で寝るのかな?
貴光さんの部屋のベッドを見ると、西洋の華やかな装飾がされたとても立派なものだった。
そしたら毎晩あの大きなベッドで……そのっ………
「……ヒヨコ。そんなにベッドばかり見るな。」
「み、見てないですっ!」
不埒なことを考えてるのがバレてしまったかな。
恥ずかしいっ…体から変な汗が出てきた。
「あのっ、あの絵は誰ですかっ?」
話を逸らそうと壁に飾ってあった絵を指さした。
肖像画だろうか。その絵は油絵具で色鮮やかに描かれていた。
洋書の童話に描かれているような金髪に青い目の、まるで天使のような男の子が椅子に行儀よく座っている。
立体的で今にも動き出しそうだ……
「あれは俺だ。」
えっ……貴光さんの子供の頃を描いた絵ってこと?
貴光さんてどう見ても髪はブラウンだし、目は淡い灰色だよね……
「子供の頃は金髪で目が青かったんだ。」
貴光さんが言うには赤ちゃんの頃に金髪で目が青かったとしても、大人にかけて変化するのは珍しいことではないのだという。
不思議……
異国の国ってまだまだ謎だらけだ。
「今のお色も素敵ですが、子供の頃の貴光さんも見てみたかったです。」
よく見れば目元に面影があった。子供の頃から切れ長だったんだ。
見れば見るほど可愛い。すっごい可愛い。超可愛い……
「金髪に青い目なんてなにも良くない。見た目が違いすぎてどれだけ疎外されたか……」
これが目の前で動いてたら絶対抱きしめるよね?
頬ずりして愛でまくるかも知れない。
「あっ、貴光さんの子供なら金髪に青い目で産まれてきますよね?見てみたいっ。」
頬杖をつきながらじーっとこちらを見ている貴光さんと目が合った。
「さっきから俺を誘っているのか?」
はっ……
そうか…産むの私だ。
私ったら無意識とはいえなんて大胆なことを……
恥ずかしさで一気に真っ赤になり、逃げるように部屋から出ようとしたら腰に温かな感触がして引き止められた。
追いかけてきた貴光さんが後ろから私の腰に手を回してきたのだ。
な、なにっ……?
「忘れものだ。」
目の前に綺麗に平らげられたお皿を差し出された。
「す、すいません。」
お皿を受け取ったのに、貴光さんはまだ離してくれない。
やだっ…手の平が触れている部分が燃えるように熱くなってきた……
「……ヒヨコ。」
貴光さんが顔を近付けてくる…淡い灰色の目に、私が写っているのがはっきりと見えた。
心臓が、バクバクいって口から出そうだ。
「俺を誘いたいならもっと口説き方を勉強してこい。」
…………はい?
貴光さんは呆気にとられる私のおでこを指で弾いた。
どうやら私はからかわれていたようだ。
腹が立つのに、私の心臓は意に反してドキドキしたまま止まらない。
「疲れたから少し横になる。夕食時になったら起こしに来てくれ。」
貴光さんは気だるそうに上着とループタイを外し始めた。
脱ぐ仕草が妙にいやらしい……くっ、つい見ちゃう。
男なのに色っぽいとか反則だと思うっ。
「ヒヨコ。」
「は、はい!」
「寝込みを襲うなよ。」
「襲いませんっ!!」
もうっ!!
いちいち意地悪なことばっかり言うっ!!
貴光さんにとって私との結婚は人脈が欲しかっただけのものだ。
私なんか子供っぽくて、貴光さんが相手をするには物足りないのだろう……
でも、好き同士とまではいかなくても、心を通わせられたらと思うのは私のワガママなのだろうか?
ここに連れて来てくれて
すっごく嬉しかったのに──────
「一応…自分なりにお洒落も頑張ってるんだけどな……」
余り期待はしない方が良いとはわかってはいるけれども……
とても…虚しく感じた────────
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