浪漫恋愛〜ロマンチックらぶ~一話目

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「同じ方向なのだから雛子さんも乗っていけばいいのに。」 「ありがとう。歩きたい気分だからいいの。」 ごきげんようと言って人力車に乗っていく級友たちと別れた。 私も昔は少しの距離でも人力車に乗ってたっけ…… 今は多少遠くても歩いて移動している。 明治時代から始まった近代化の波は、大正に入りさらに進んだ。 それは街並みからも見てとれる。 19世紀に西洋で展開したロマン主義の影響を受けた日本の都市部は、石畳や洋館モダンな建物へと様変わりした。 煉瓦造りの壁にルネサンス調の外観、アーチ型の窓のステンドグラス…… 提灯あんこう型の丸いガス燈から漏れる柔らかな光が、夜空や商店の店先を照らしていた。 昔ながらの文化とも相まって、和洋折衷でなんともロマンチックな雰囲気である。 「活気があっていいな……」 もう少しプラプラと見ていたいがもう夕暮れ時だ。 治安が余り宜しくないこのご時世、若い女子が暗闇を一人で歩いていたら、なにが起きてもおかしくは無い。 急ぎ足で歩いていると、詰襟のシャツの上に着物を着た青年の姿が見えた。 近所の家に下宿をしていて、師範学校に通いながら小説家を目指している書生の晴彦(はるひこ)さんだ。 「やあ雛子ちゃん。今帰りかい?」 私の足音に気付いた晴彦さんは足を止め、追いつくのを待ってくれた。 隣に並んで歩く私に、いつものように和やかに微笑みかけてくれる…… 私は晴彦さんが笑った時に下がる目尻が大好きだ。 「そうだ。これ、雛子ちゃんにと思って買って来たんだ。」 そう言って晴彦さんが渡してくれたのはガス焼煎餅だった。 「良かったら、櫻子(さくらこ)さんにも渡しといてね。」 「……はい。」 櫻子とは私の二つ上の姉で、女学校を卒業してからは家で花嫁修業をしていて良い縁談がくるのを待っていた。 私と違って目鼻立ちがハッキリとした美人で、女学校時代の成績も優秀だった。 晴彦さんはちょうど読み終わった本があるのだと言って懐から取り出し、私に貸してくれた。 前々から私が読みたいと思っていた恋愛ものの小説で、主人公の二人は身分差の恋をし、純愛を押し通して駆け落ちをする話だ。 「良かったらそれも……」 「櫻子姉様にもですよね?わかってます。」 晴彦さんは照れたように笑った。 ホント…わかりやすい。 私を通して姉にアプローチをしているのだ。 あまりにもバレバレで早く気付けたのは良かったのかもしれない。 危うく恋をしてしまうところだった。 「あっそうだ晴彦さん、今日最悪な男に出会って……」 私は今日あったことを怒りも混じえて説明した。 「で、まるで玄人だなって言われたんですけど、なんのことだかわかります?」 「あー…その場合の玄人は芸者や女郎のことだね。」 それって確か遊客とかで枕をともにする女性のことよね。 …………って、私がっ?! そりゃ確かに服を脱がそうとはしたけれど、高そうな白い布を汚しちゃったから焦っただけなのに…あんまりだっ! 「気にすることはないよ。世が世なら雛子ちゃんはお姫様なんだから。」 地面にコの字になって落ち込む私を、晴彦さんは優しく慰めてくれた。 「そんな…お姫様だなんて……」 私は代々続く公家華族の令嬢だ。 確かに、世が世なら私は一国のお姫様になれていたかもしれない…… 「じゃあね、雛子ちゃん。風邪引かないように。」 家の前まで送ってくれた晴彦さんは、私が外門のドアを閉めるまで手を振ってくれた。 わかってはいるけれど、今でもあの和やかな笑顔に惹き込まれそうになる…… 晴彦さんからもらったお土産を胸に抱いて、櫻子姉様の部屋をノックした。 「まあこれを晴彦さんが?美味しそうっ。」 お洒落な姉は流行に敏感だ。 洋花を抽象的に描いた着物を着て、長い髪を耳の横に流して毛先を後ろで固め、大きな桜の髪飾りを付けていた。 和風なのに、洋風みたいに最先端に見える。 うなじにある二つ並んだホクロがまた色っぽいんだよなあ…… 妹の私でもうっとりするくらいの美人さんだ。 私なんて楽チンだからと学校が休みの今日も(はかま)だ。 「櫻子姉様が全部食べちゃえば?晴彦さんもその方が喜ぶだろうし。」 「雛ちゃんたら、こんなに食べきれないわ。あとでみんなで頂きましょう。」 性格もおっとりとしていて、誰にだって優しい。 晴彦さんが櫻子姉様を選ぶのは必然的なことだ。 私も、櫻子姉様のことが大好きだからよくわかる。 続いて本も渡した。これは櫻子姉様も読みたいと言っていた。 「私は読むのが遅いから雛ちゃんが先に読んで。」 「晴彦さんが1ページごとにめくった本、先に私が触っちゃってもいいの?」 「雛ちゃんごめんっやっぱり先に読ませて!」 櫻子姉様は本をギュってして顔を擦り寄せた。 ああもう、可愛いんだから。 全く…晴彦さんを好きなことがバレバレだ。 この小説の二人、櫻子姉様と晴彦さんにそっくりだな。 「お姫様か……」 自分の部屋で横になり、思わずため息が漏れた。 華族といってもいろいろだ。 私の家のように江戸時代に公家だった公家華族や大名華族。 維新期の勲章華族や軍事華族。 そして大資産家によって構成される新興華族…… 特権階級といえど、全部が全部裕福かといえばそうではない。 華族の中でも格差はある。 そして私の家は今や没落まっさかりだ。 本来なら器量良し性格良しの絵に描いたような良妻賢母の櫻子姉様の元には、縁談がたくさんくるはずだ。 結婚とは家と家との結び付きである。 誰もうちの家には魅力を感じないらしい…… まあそのおかげで、櫻子姉様には晴彦さんとめでたく結婚出来る可能性があるのだけれど。 晴彦さんが売れっ子小説家にでもなれればお父様だって喜んで嫁に出すだろう。 「やっぱりいいな~っ恋愛結婚っ!」 羨ましいっ!枕に顔を埋めて叫んでしまった。 私も縁談なんて待ってられない。 てか、櫻子姉様に来ないのに私のとこになんか来るわけがない。 早く恋愛結婚出来そうな相手を探さなきゃ。 「恋愛結婚だなんて、実にくだらない。」 なんでここであの男の顔が浮かぶかな…… 見てなさいよ~6尺野郎っ。 私だって相思相愛で結婚してやるんだからっ! ちなみに6尺とは約181.8cmのことだ。 男性の平均身長が162cmだったこの時代。6尺は優にあるあの男がどれだけデカく見えるかを想像して頂きたい。
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