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「先生。明日川くんの耳が、取れてしまいますよ」
優しい声での忠告に、ようやく耳が解放された。痺れている耳の付け根をほぐし、ぽんぽんとタップする。
その声の主を、最初、教師だと思っていた。保健室の先生あたりがとりなしてくれたのだろう、と。落ち着いたしっとりした声には、清楚ながらも大人の色気が潜んでいる。
しかし、担任の前に立ちふさがったのは、セーラー服姿の女子生徒だった。彼女のあまりの美貌に、息を飲む。
自分の周りにいる可愛い女の子のことを形容するときに、「○○みたいな」とテレビでよく見るアイドルを例に出す。どのくらい可愛いのかを示す指標だ。
目の前に現れた少女は、とてもじゃないが、芸能人なんかに例えることができなかった。アイドルには決してならないような美少女。それが彼女に抱いた第一印象だ。
きれいに切りそろえられた前髪を揺らし、少女は微笑んだ。俺に。そう、この俺に対して。
「転校初日ですもの。校則のこともよく知らなくて、当たり前じゃありませんか?」
「あ、あぁ……まぁ、そうかもしれんが」
マッチョ担任の歯切れが悪い。誰にも負けない筋肉に見えるが、美少女には弱いらしい。教師に対して物怖じせずに述べる少女を、俺はしげしげと観察した。
そういえば、クラスで見た顔だった。どうしてすぐに思い出せなかったんだろうか。これだけ可愛い子だ。一瞬で脳裏に焼きついても、不思議ではない。
彼女は胸に手をやって、首を傾げた。見ようによっては媚びているようにも見えるが、彼女の表情から、素であることがわかる。
「明日川くんには、わたくしからお話しいたしますので……どうか、今回は」
見逃してやってほしい、という彼女の願いに、担任は渋々ながら折れた。腕時計を気にしていたので、本当は俺なんかに構っている暇がないのかもしれない。
「そうだな……今年も学級委員は呉井になりそうだし……頼むぞ」
「ええ」
呉井さん、というのか。
俺はその名前を刻みつけた。転校して最初に覚えたのが、彼女の名前であることがなんとなく嬉しい。
担任は、「いいか。今週中にその頭、どうにかしてこいよ」と念押しをして、職員室へと去って行った。
「……」
廊下の真ん中で、美少女の呉井さんと二人。なんて話しかけたらいいのかわからない。ありがとう、というのも変だし、よろしくね、というのは馴れ馴れしすぎる気がする。沈黙するしかない俺に、呉井さんは微笑んだ。
「明日川くん。今日はもう時間がないので……明日の放課後、わたくしに付き合ってくれますか?」
その笑顔は、「付き合う」の意味を誤解しそうになるほど、可愛らしく無邪気なもので。
「ひゃ、ひゃい!」
俺はうっかり、返事を噛んでしまったのだった。
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