呪われた時の中で

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呪われた時の中で

 再び目を覚ましてみると、見覚えのある天井が広がっている。周りを見渡してみても、なにも変わりばいがない無機質な部屋が広がっているだけだ。僕はなぜだか激しい既視感を覚えた。  寝起きの状態で頭がまったく回らなかったが、ふと昨日の出来事がかすかに脳裏をよぎった。タイムリープ、退屈な授業、寒気、握られたカッター、今までに経験したことないような眠気。  意識が急に鮮明なものへと変わるそして自分が置かれていた状況を思いだした。脳内が急激に活発化していく。布団から起きだして、すぐさま時計を確認する。僕の記憶が正しければ、今日こそ11月23日になっているはずだ。  あれから何事もないということは、昨日は僕の考えすぎだったのだろうか。現にこうして、僕は普通に行動できていることが何よりの証拠になるのだから。  やはり、余計な心配をしなくても僕は助かったのか。そう安堵しながら時計に目をやる。昨日のような動揺はほとんどなかった。しかしその落ち着きも、ほんの数秒しか持たなかった。  11月22日7時4分。  表示されるあり得ない日付け。あまりにも理解しがたい状況に、僕は時計を思わず二度見した。人はあまりにも驚くと、本当に二度見をするのものだと初めて実感した。   しかし残念ながら、二度見ようと三度見ようとも時計の表示は変わりようがなかった。どうやら僕の目がおかしいというわけではないらしい。これが現在の世界の正しい時間だということだ。  なぜまだ22日なのだろうか。昨日眠りに落ちたあとになにかあったのか。仮になにかあったとするなら、それはタイムリープであるだろう。そう考えるのが妥当である。  しかし寝てからのことは当然分からない。それでも寝てからなにかが起こったということはない気がする。それじゃあいったいこの状況はなんなのだろうか。  下から母親が呼ぶ声が聞こえる。昨日と同じように。もう何がなんだかまったく分からない。これではまるっきり昨日と同じである。これではまるで同じ時間を繰り返しているようではないか。  状況確認もかねて下におり朝食をとったが、やはり昨日とまったく同じ状況である。簡素な朝食に、同じ内容のニュース。時計も変わらず22日のままである。母親も特に変わった様子もない。  要因をいろいろ考えてみたが、見当など一切つかない。一昨日から起こっている怪奇的現象に、とうとう自分の脳が追いつけなくなってきたようだ。  僕はもう思考をすることを放棄し、自堕落にもう一度同じ日を繰りかえしてみようと決心した。もしかしたら、今日はなにか分かるかもしれない。そんな淡い期待をこめて。  心の奥底では、この作業は無意味であると分かっている。それでもなにもせずにはいられなかった。事実、なにか行動を起こさなければ今の状況は打開できない気がする。  朝食を手早く口に放り込み、必要最低限のものだけを持って家を飛び出した。外は当然のように暖かな日差しがさしていた。  朝の新鮮な空気を吸い、少しだけ心が軽くなったような気がした。朝の空気は、どの時間にもない独特の涼しさというものがある気がする。しかしその感覚も、駅へ向かう大量の人を見てすぐさま消えていった。  人の波にのまれながら駅へと向かう。そしてごまんと溢れる人達を適当なとこへ捌くように、次から次へと電車が流れこんでくる。  相変わらず嫌になる混み具合だ。この光景はどれだけ時間がたっても、変わることがないように思える。悪い形での普遍性のようなものを感じる。そう考えると心底げんなりしてしまう。  ぎゅうぎゅうに押し込まれた人は、駅を通過するにつれて数を減らしていく。僕も降りるべきタイミングで電車から降りた。窮屈さから解放され、人目も憚らず大きな伸びをする。  駅の外では、学生やスーツ姿の人達が各々の目的地へそれぞれのペースで向っている。駅に着いてからは会話に興じる大学生を尻目に、僕も大学へと向かった。そこで無意識のうちに、早歩きになっていることに気がついた。特に急ぐ必要もなかったのだが、昨日とまったく変わらない一幕に焦りを感じずにはいられなかったのかもしれない。  それに周りが会話を楽しんでいる中、一人寂しく学校に向かう姿がひどくみじめに感じられたのだ。そんな惨めな思いを打ち消すよう、僕は逃げるように足を速めた。いつもはそんな感情を抱くことはないのだが、今日は寂しさを感じずにはいられなかった。  これだけ意味の分からない状況に陥っているのに、誰にも相談できないということが歯痒かった。いや、歯痒いというよりは、寂しいというのが正解かもしれない。  ここ何日かの出来事は確実に僕一人で処理できるレベルの問題ではない。それなのに、僕にはそれを打ち明ける相手がいない。自分で選んでことであるが、淋しさを感じずにはいれなかった。  この状況を誰かに話すだけでも、気持ちはだいぶ楽になるだろう。もしかしたら、なにか打開策を教えてくれるかもしれない。しかし、それをする相手がいない。  いくら一人がいいと強がっていても、結局人は独りでは生きていけなのだ。実際にピンチになってみて、始めてそのことを実感させられた。  そんな思いを切り捨てるように、僕は講義へと耳を傾けた。今それを嘆いたところで、なにか解決策が見つかるわけではない。結局はすべて僕が選んだ選択なのだから。重要なのは今、どうするかである。そして今やるべきことは、前回との相違点をどうにかして見つけるということだ。  しかし、その思いに現実が応えてくれるということはなかった。今回は講義をしっかりと聞いてみたが、やはり一限目の教授は男女差別について熱弁しており、二限目ではアニメーションを使って環境破壊について述べていた。  これにより、同じ日が再び繰り返されていることがほぼ確定した。そして授業の最後に差し掛かるころには、僕も周りの学生と同様に完全に関心が失せていた。    目を開いてみると、昨日一日ですっかり見慣れた天井が広がっている。昨日というには語弊があるのかもしれない。それでも便宜上、僕は前回繰り返した一日を昨日としてカウントすることにしたのだ。  また22日が繰り返されていると分かったが、どうにも何かする気になれず、すぐさま家へ戻った。というより、何も手につかないというほうが正解なのだろう。こんな状況で呑気に遊べというものは、一人である僕にはかなり無理な課題である。  その結果、家についてからも、特に何もせず考え事をしながらぼーっとしていた。こういった無意味な時間が今の僕にはもっとも大切なのかもしれない。  自堕落に時間を過ごす中、今の状況について適切な答えを探そうと、何度も考えが脳内を巡った。それでも最終的には分からないという心理へとたどり着いてしまう。  そんな無意味な時間を過ごしているうちに、時刻は23時50分を指していた。結局、貴重な一日をベッドで横たわっているだけで使ってしまった。しかし、勝負はこれからである。  昨日は24時手前から急激な眠気に襲われたが、今日こそは寝ないと誓っていた。寝ているときに何が起こったかは分からないが、その間にタイムリープが起こったということは確かだと思う。  そもそもタイムリープではないという可能性も考えついたが、現状ではタイムリープが一番しっくりくる。というよりは、もうこれ以上思考することを脳が拒否していた。さらに理解の及ばない現象が起こっているなんてこと、考えたくもなかった。  なんにせよ、今はやがてくるかもしれない睡魔に打ち勝ち、現状の把握をすることが最優先である。昨日感じた恐怖もほとんど消え去り、準備は万端であった。あとは睡魔に勝てれば完璧だ。  そして迎えた23時55分。やはり眠気はやってきた。さっきまでまったく眠くなかったのに、急に眠くなるのは明らかに不自然である。やはり僕の身に、何か超常的な現象が起こっているようだ。  僕は眠気に耐えられるよう、ベッドから立ち上がり眠れない状態を強制的に作り上げた。少しでも意識を保てるよう、出せる限りの力を使って頬をつねった。顔に痛みが走るのをしっかりと感じる。  しかし睡魔はそんな僕をあざ笑うように、容赦なく眠気をぶつけてくる。視界は歪み、平衡感覚が失われていく。しまいには立っているのかもどうかも分からなくなる。  気が付けば、立っていたはずの床に横たわっていた。起きあがろうと思うが、体がまったく言うことを聞かない。僕の意思を嘲笑うように瞼が重くなっていく。  結局僕は、昨日と同様に24時を迎える前に、完全に意識を奪われていった。こうして僕の一日は強制的に終了させられた。  11月にしては暖かな風が吹き、僕は風に誘われ大きな伸びをした。眼下にはマンションが見え、その近くでは小さな子供が母親と楽しげに遊んでいる。 後ろでは、オウムたちがせわしなく鳴いていた。それに合わせて子供たちがなにか大声で叫んでいる。なにか言葉でも教えようとでもしているのだろうか。子供とオウムの鳴き声が重なり、公園内の騒がしさが増す。しかし不思議と不快だとは感じなかった。  夢咲公園内のお気に入りのベンチに座り、ぼんやりと遠くの景色を眺めていた。遠くには知りもしない町が広がっており、一羽のカラスがその地へ羽ばたいていった。  あのカラスは自由に、好きなところへ飛んで行ける。気が向いたときに、好きなところへ向かう。止まることも進むことは自分次第である。今の僕とは大違いだ。  あれから何日と日が過ぎ、僕はようやく現在の状況を概ね理解できたと思う。結論から言ってしまうと、僕は世界を呪ってしまったらしい。  それでは何を言いたいのかよく分からないかもしれない。もう少し噛み砕いて言うならば、僕は時間の流れを止めてしまったようだ。タイムリープなんかより、はるかにやっかいな状況であった。  睡魔に勝とうとし、結局眠りに落ちた日。再び目を覚まし時計を見てみると、日付は変わらず22日のままであった。あのときの落ち込みようは今でも覚えている。  もちろん下に降りて今までとの相違点を探したが、そんなものはなかった。大学での講義の内容も変わらなかった。いつも通りの退屈な日常を繰り返されるだけであった。  そしてどんなに耐えようとしても、24時前に訪れる睡魔に抗う術はなかった。意識を失って再び目を覚ましてみると、日付は22日のまま。こうして同じ日をまた繰り返される。  その繰り返しを5回も行い、嫌でも今までの考えを切り捨てるしかなくなった。これはタイムリープなんかではない。同じ日、つまり11月22日が永遠と繰り返されているのだと。  僕はスウェットのポケットから、一枚の紙切れを取りだした。今朝、脳内の整頓もかねて、現在僕が置かれている状況を箇条書きにしたものだ。ルールは分かっているだけで以下の通りである。    1.11月22日がずっと繰り返されている。天候や人の行動に変化はない。  2.毎朝、7時に目が覚め、24時を迎える前に意識が落ちる。  3.この繰り返しを認知できるのはこの世界で僕だけ。  4.物やメモなどは持ち越すことはできない。  5.この繰り返しは次に僕が死ぬまで永遠に続く。    もちろんこれがすべて正解であるかは分からない。あくまで僕が個人で確認してきただけの結果だ。しかしこれでほぼ間違いないという自信がある。  例えば1番だが、同じ日が繰り返されているので当然天気などの変化はない。そして人もその日の予定を繰り返すだけである。周りの人間は、時間が繰り返していると自覚がないので当然である。  ただし僕が関わったときだけは例外になる。この繰り返される時間の中で、唯一行動に制限なく動ける僕が干渉すると、その人の行動も僕に合わせて若干変化する。  身近にいる母親を例にするなら、22日は昼まで家事をして、午後からパートへと出かける。それが終わってから、午前中に作ったカレーを僕と食べる。これが大雑把な予定である。  しかし、僕がどうしても外で食べたい。など言ったりした場合は、それに従ってくれて外食になる。その結果、カレーを作るという本来の予定がなくなる。こうして僕が干渉した分だけ、その人の行動は変化していく。  2番は、僕が最初に迎えた11月22日を再現した結果になったのだろう。その日僕は学校のため7時に起き、24時手前に男に刺されて命を落としていたはずである。この一回目の22日を基準にループが発生したのだ。僕はなにも制限なく行動できるが、起きる時間と死ぬはずだった時間だけは変えられないようだ。  3番に関しては確かめるのも馬鹿らしいので人には聞いてない。確かめたところで、初めて母親に確認したようなリアクションをされるだけだろう。ただ、これが全員認知できるなら、今頃世間は大騒ぎのはずなので、それがないということは僕しか認知できていないのだろう。  4番は22日が繰り返されているので当たり前のことである。その日一日が終わったら時が遡る。そのため作成した物は作られる前の状態に戻る。つまり今手にしているメモも、今日が終わったら存在しなかったことになる。後々分かるのだが、これが一番精神的に堪える。  5番に関しては記述するか迷ったが、結局記述することにした。これだけは、事実など一切なく、主観的な判断によるものだからである。記述するには、随分と勘任せになってしまう。  本来死ぬまで続くかどうかなんて確認する手段なんてないからだ。さすがにもう一回死んでみるわけにもいかない。  しかしこれは直感なのだが、このループはもう一度僕が死ぬまで続くような気がする。  理由はよく分からないが、体の奥深く、本能がそう告げているような気がするのだ。直感というよりは、神のお告げと言った方がいいのかもしれない。僕ではないなにかが、そうであると告げているような感覚である。  理由はどうにせよ、もう一度死ぬまではループは続くと思っている。気がするというよりは、もはや核心に近い。難解な事態がずっと続いているが、これだけは自信を持って答えられる。  しかしこれは言い方を変えれば、今回が最後のチャンスだと言うことである。次に死を迎えたら、本当にこの世界とは別れを告げなければならない。もっともこんなチャンスを与えられること自体、奇跡的なことなのだろうが。  とりあえずは24時前に夢咲公園近辺に行かない限り、僕の身に危険は及ばないということは分かった。あの男に会わなければ、とりあえず命は大丈夫であろう。  あとは事故や他の事件に巻き込まれなければよいのである。その事件などもその日の夜に、ネットなどで調べればどこで何があったのかは大体分かる。それを避けるだけで、命の危険は大体避けられる。  こうして時間が繰り返すという一点を除けば自由を手に入れた僕は、いろいろなことをした。もはや今日が、何回目の22日か分からないほどの日数が経過していた。  制限つきの自由を手に入れた僕が最初に行ったことは、日付が変わる限界まで遠くを目指すということだ。地味な行動にも思えるが、これがやってみると以外にも楽しかった。 今までに一人で行ってみたいと思う場所はたくさんあった。しかし、学校の予定やお金のことを考えると、なかなか実行に移せなかったのである。それもこの呪われた時間により、気にする必要がなくなったのだ。  朝起きて手早く準備をすませ、最寄りの新幹線の切符売り場へと向かう。そして気が向いたところの乗車券を買い、新幹線へ乗りこむ。 それぞれが目的地に向かう中、一人あてもない旅をするというものはとても気持ちがよかった。自分だけが周りの人と異なった時間を過ごせているという優越感に浸れた。最も今は、本当に僕だけが周りとは異なる時間を繰り返しているのだが。  新幹線に乗ってからは降りたい場所で降り、知らない町をあてもなく旅をした。そして目に付いた気になるものを手当たり次第に買っていき、行きたいところにふらりと立ち寄っていく。そうした日々を何日も繰り返していった。  他には有り金すべてを使って贅沢をした日もあった。今まで食べたこともないような豪華な食事をとってみたり、ゲームセンターで何万という単位のお金を湯水のごとく使ったこともあった。  それだけ自由にお金を使っていても、お金がなくなることを心配する必要はなかった。時間が繰り返しているため、使ったお金が一日で完全に元通りに戻るというメリットがあったからである。  それに場所も一日が終わったら強制的にベッドに戻るので、出かけた先から家へと戻る時間も計算に入れずに済んだ。お金と場所の問題を考えなくてよくなったので、心行くまで贅沢を楽しめた。  そして旅行や散財に飽きたときは一日中、本の世界に心をゆだねることもあった。本屋で読みたい本を手当たり次第購入し、それを心行くまで楽しんだ。  他にも家にこもりゲームに没頭して一日が終了した日もあった。頭が痛くなるまでゲームに取り組み、あきたら気の行くままに惰眠を貪った。  しかしこういった時間を楽しめたのも、最初の何回かだけであった。当たり前のことであるが、時間が繰り返しているということは時が絶対に前へと進まないということである。  何度も何度も同じ日を繰り返し、その日に留まり続ける。自分が残したその日の足跡が、一日の終わりと共に消失する。僕はそうした停まった世界に飽きてきてしまったのだ。  実際こんな状況になる前は、時間が止まってくれればどれだけ素晴らしいだろうと何度も考えた。そして幸か不幸か、その願いは一度死を迎えたことにより叶った。  しかし実際にその状況に陥ると、ひどく退屈なものになってしまう。自分の成果がすべて消えてしまうというのは想像以上に辛いものである。こんな僕でも無意識のうちに、己の生きた足跡を残していたいと思っていたのだろう。  手に入れるまでは輝いてみえたものが、実際に手に入るとひどく陳腐なものに見えてしまう。案外みんなが欲しいと願っているものは、すべてくだらないものなのかもしれない。結局は自己本位のないものねだりでしかないのだ。  しかしだからと言って、自ら命を絶ってこの生活を終わらせるかと言われれば答えはもちろんノーである。どんなに退屈な世界になってしまっても、あの恐怖を味わうよりは何倍もよい。  それに退屈に感じるからといって、この世界が嫌いになったわけではない。むしろ一度死を経験したことにより、この世界を以前より愛せるようになっていた。  死に触れたことにより、世界が今まで以上に輝いて見えるようになったのだ。降りそそぐ太陽に穏やかな風。都心にあふれかえる人ですら、以前のような嫌悪感を抱くことはなくなっていた。とにかく今は、目に見えるすべてのものがとても大切なもののように思える。  思うに、世界が美しく見えるようになったというよりは、世界を正常な目線で見ることができるようになったのだろう。一度死を迎えたことにより、僕の視界を歪ませるフィルターも消失したのだろう。そうして一度命を失ったことにより、改めてこの世界の大切さを理解したのだと思う。  今までの僕がそうだったように、きっと周りの人は皆、この世界の美しさを完璧には理解できていないのだろう。しかしそのことを責めたり、憐れんだりすることは僕にはできない。僕にもその気持ちが十分に理解できるからである。  この世界は普通に生きていくには、やることがあまりにも多い。そういった多忙さに振り回されているうちに、世界を見る眼差しがフィルターに覆われてしまうのだろう。  しかし僕は、もうそういった多忙さに振り回されない。今現在の11月22日という一日だけを精一杯楽しむだけでよい。そのおかげで今のような考え方ができるのだろう。  死を迎えたものだけが、この世界をありのままの姿で捉えることができる。なんとも皮肉な話である。  そうして死を迎えた僕は、退屈ながら素晴らしい世界をなくさないように、一日一日を大事にしようとした。しかし、さっきも言ったが繰り返す時間に飽きていたのも事実である。  それで結局、一日中部屋でゴロゴロしたり、惰眠を貪る日々を送るようになっていたのである。これでは、本当に生活を大事にしているのかどうか疑わしい。 それにせっかく訪れた劇的な変化をまったく活かせてないような気がする。形はどうであれようやく外部から訪れた変化。それにも関わらず今の僕が行っていることは、今までと変わらない自堕落な日々である。  そしてこの生活が何度目か分からなくなったころ、久しぶりに夢咲公園に行きたいという思いが自然と込み上げてきたのである。始めは悲惨な目にあった場所というイメージがあり嫌悪していたが、最近ではそのイメージも薄れてきた。  なによりあの世界の流れから取り残された空間を、久しぶりに訪れたいと感じたのだ。止まっているように感じるが、ゆっくりと流れる時間。そういった空間を味わいたくなったのだ。  それに、いつまでも部屋に引きこもっているだけでは心の健康状態が悪くなると感じた。時間が繰り返しているおかげで体の状態も元に戻るのだが、それでもずっと引きこもっているのは気分的によくない。こんな時間の中でも、気分転換は重要なのだ。  そうして久しぶりに夢咲公園の展望デッキに訪れたのである。当然ここも、最後に訪れたときからなにも変わらない。この公園全てが、緩やかな時間を作りだしている。そしてここにいるもの全員が、のんびりと流れる時間を堪能している。  ここはどれだけ時が流れようと、変わらないような気がした。一種の普遍性みたいなものを感じさせた。そしてその普遍性は、僕の歪な気持ちを優しく迎え入れてくれる。  やはりここにいると心が落ち着く。今まで様々なところに行ってきたが、どこもなにかよそよそしいような雰囲気を感じた。単に行きなれない場所に緊張していただけかもしれないが、ここにはそんな雰囲気が一切ない。   来る者を一切拒まず、無言で寄り添ってくるような感覚。例の殺人犯もこの無自覚の優しさにつられて、この近くまで来たのかもしれない。ああいった人生に絶望した人間や、僕のような捻くれた人間にこそ、この場所はふさわしいと思う。  僕は久しぶりに感じる穏やかな雰囲気を存分に堪能した。深呼吸をするだけで、体の毒素が抜けていくような感覚に陥る。特別空気が澄んでいるわけではないが、家にいるよりは断然健康的である。  視線を元に戻すと、さっき知らない町へ飛び立ったカラスは、いつの間にか米粒程度の大きさになっていた。目的地は分からないが、遠目にも力強く飛んでいることが分かる。  あのカラスを見ていると、なんだが元気が湧いてきた。明日はあの町の方に行ってみようかな。僕はあのカラス同様にどこにだって行くことができる。時間の制限なんて大した問題でない。  ここに来たおかげで以前にも増して、この時間を有意義に感じることができた。まだまだこの世界とは別れることはできなさそうだ。とりあえずこれからしばらくは、旅行漬けの日々に戻るとしよう。  やはり外に出て日の光を浴びたほうが、人間は行動的になるのかもしれない。僕は久しぶりに清々しい気持ちになった気がする。  さてこれからどうしたものか。園内の動物たちを見て周ってもいいし、今から遠くに行くのもありだ。24時になるまでは、何をしたっていいのだから。  しかし僕は、結局は家路につくことにした。今は、心を満たす暖かい気持ちを大事にしたかった。そのぬくもりが消えぬうちに家に帰り、大切に噛みしめよう。  ベンチから腰をあげ、園内の方に進もうとしたが違和感のようなものを感じた。その違和感の正体は目線の少し先にいる者から発せられていることに気付いた。なんだか随分前の同じ日にも、似たような感覚を味わった気がする。  視線の先には上下別々の学校のカラフルなジャージ。そのジャージに不釣り合いな整った容姿。あの特徴的な格好は見間違えることはない。その子はいつも夢咲公園内で見かける少女であった。  その少女が黙々と僕の元へと歩み寄ってくる。他のところに目をやらない様子をみると、 僕に用事があることは間違いないだろう。正面から見る彼女は、いつも見ている横顔より若干幼く見えた。高校生くらいなのかもしれない。  しかしこの状況はおかしい。先ほど確認したメモとは明らかに異なることが、一つ起こっている。これは今までにない事態だ。  そんな考えを巡らせる前に、彼女は僕との距離を遠慮なくつめていく。そして三メートル近くまで近寄った状態で数秒の時間が流れた。居心地の悪い沈黙が続く。  「……やっと見つけた」  この状況に困惑している僕に構うことなく、彼女はそうつぶやいた。声は小さいが、耳に入りやすいとても心地よい声色であった。しかしその言葉にはどこか棘が含まれている。  この一言が、初めて彼女が僕に発した言葉であった。そして二人の歪ながら美しい関係が始まった瞬間でもある。
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