死に怯える殺人者

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死に怯える殺人者

 先ほどまで手にしていたメモを見ていたが、さっそく間違いが見つかった。まさかこんなにも早く間違いが見つかるとは思いもしなかった。  棘のある言葉を発した少女は、それからなにも言わず立ちつくしている。しかし目だけはしっかりと僕の姿を捉えている。本来なら喜ばしい状況なのかもしれないが、彼女からは敵意のようなものを感じられる。  それにこの状況も今までではありえない状況である。現在でも十分にありえない状況なのだが、また僕の想定を超える展開が起こっている。  僕以外の人間は、常に決まった行動を繰り返す。僕以外の人間は、同じ日を繰り返していることを知らないのだから、常に同じように過ごす。これは何度も22日を繰り返す中で確認したことであったはず。  しかし今、目の前の少女は自分から僕に話しかけてきた。前にこの場所に訪れたとき、つまりループの始まる最初の日だが、こんなことは起こらなかった。  僕は彼女を遠くから眺めていたことを覚えている。つまり、彼女は自らの意思で僕に話しかけてきたということだ。そんなことは今まで一度もなかった。そのことから考えられる答え   「ねえ、いきなりで悪いんだけど……」  僕の思考を遮るように彼女が言葉を紡ぎだす。 「死んでくれない」  突然投げかけられた、突拍子もない発言に今まで考えたことがすべて飛んでいく。この少女は一体なにを言っているんだ。  始めは度の超えた冗談だと思ったが、彼女の顔には一切の迷いがなかった。これは冗談ではないと言いたいような無表情ぶりである。そしてあふれ出る敵意。  あまりに唐突なできごとに返事に迷っている間に、彼女はポケットからなにか細長いものを取りだしていた。妙に見覚えのあるそれは、彼女の動きに合わせ、カチャカチャと小気味良い音をたてる。その音とともに鋭利な刃物が顔をだす。  むき出しの刀身が僕の方に向けられる。その瞬間、彼女が僕に対して殺意を抱いていることを確信した。敵意なんていう生ぬるいものではなかった。  殺意だと確信すると同時に、あの晩男に襲われた出来事が脳内でフラッシュバックする。動悸が激しくなり、息も荒くなる。あの日と同じように足がすくみだす。とりあえずこの状況はまずい。  命を落としたらもう次はない。何があっても死ぬわけにはいかない。そう分かっていても、行動に移せない。逃げなければならないのに体が言うことを聞かないのだ。  彼女の方に目をやると、先程と変わらずカッターを僕に向けたまま止まっている。いや、止まっているというよりは、硬直していると言ったほうがよさそうだ。彼女をよく見ると、どこか様子がおかしかった。  顔は明らかに強張っているし、顔色も悪いように見える。先ほどまでの憎悪に満ちた、顔ではなくなっていた。さらに元より白かった肌からはすっかり生気が抜け落ち、青白くなっている。  それにカッターを握る手を見ると、微かに震えているのが分かる。震えを抑えようと力を込めている手だけが、ほんのりと赤く染まっている。    自分がこれから行おうとしていることに、恐れを抱いているのは一目瞭然であった。彼女のやりたいことと、態度がどう見ても一致していない。  ではなんで、この少女は僕を殺そうとするのだろうか。震えるほど怖いならやらなきゃいいのに。そこまでして僕を殺すことに意味があるのだろうか。  自分と同じ、いやそれ以上に落ち着かない彼女を見ていたためか、いつの間にか体の震えと動悸は止まっていた。足もなんとか動きそうである。これならどうにか逃げることも出来そうだ。  しかし今はこの場から逃げようとは思えなかった。それよりも、彼女がどうしてこんな行動をとっているのかが気になってしょうがなかった。  仮にこのまま彼女に刺され死んだら、もう次はないのに、僕はすっかり警戒心を解いていた。それに今の彼女を見る限り、実際に僕を殺すことはできなさそうだ。なんだかそんな気がする。あれだけ怯えている人間に、人を殺すなど不可能だろう。  僕は完全にリラックスし、親が娘を見守るような気持ちで彼女の次の行動を待つことにした。様子を見る限り、彼女は当分動き出しそうにはなかった。  そうして改めて彼女を見てみると、相変わらずちぐはぐな格好をしているが、かなり可愛かった。不自然な格好が、かえって彼女の美しさを引き立てている。  しばらく彼女を眺めていると、ようやく意を決したようだ。目を強く閉じたあとに、僕の所へと足を進め始めた。これから僕を殺そうとしているのに、不思議と恐怖心は一切なかった。  刃物を手にしている。そして僕の所へ殺意をもって向かってくる。あのときと状況はほぼ変わらないのに、男と彼女では行動がまったく異なっている。  彼女は恐怖心を押し殺すように、一歩一歩慎重に僕の所へ向かってくる。その速度は、幼稚園児が歩いているのと変わらないように思える。躊躇なく駆け寄ってきた男とは大違いである。  そんなに遅いと簡単に逃げられるんだけどなあ。そんなことを思いながら、僕は彼女が近づいてくるのを待つことにした。殺意と歩く速度の、バランスの悪さがなんとも滑稽であった。  ようやく僕の近くまで寄ってきた彼女と目があう。僕の余裕のある態度を察したのか、彼女の表情が悔しさに染まる。そのような顔をしても、彼女の容姿が損なわれることはなかった。  彼女はそのまま僕を刺そうとカッターを振り上げる。しかしそこで再び動きが止まる。向かってくるのにもかなりの勇気を要した彼女に、実際に僕を刺すことなどできるはずがなかった。  僕はその隙にカッターを取り上げようと、彼女の元へ一歩近寄る。彼女の体が一瞬、びくっと震える。そしてまた硬直する。とてもでもないが、人を殺そうとしている態度には見えなかった。  そのまま動きそうになかったので、彼女の手からそっとカッターを取り上げる。よっぽど怯えていたのか先程までとは違い、手にはまったく力が入ってなかった。そのおかげで容易に、カッターを奪うことができた。手に取ったカッターからは、彼女のぬくもりを感じる。  カッターを取られた後もしばらく硬直していたが、はっと我に返ったようだ。カッターが握られていないことに気づき、僕をにらみつける。その表情には先ほどまでの怯えは、ほとんど見えなかった。  考え方を変えれば、人を殺す凶器がなくなり、安心しているようにも見える。肩の荷が降りて、ようやく余裕を取り戻せたというような雰囲気である。  「返して」  主語がないが、一連の流れ的にはカッターのことだろう。あれほど殺害に怯えていたのに、まだ僕のことを殺そうと考えていることに驚いた。  「さすがに僕を殺そうと思っている人間に、ほいほいと凶器を渡すことはできないよ。悪いけど、これは僕が預かっておくよ」  「……いいから返して」  彼女が消え入りそうな声でつぶやく。これでは会話にならない。いつまでたっても埒が明きそうにない。そこで僕は一つの提案をしてみた。  「どうしても返してほしかったら、僕の質問に答えてくれないかな。そうしたら、カッターを返すことを考えてもいい」  僕は努めて優しい声で話しかけた。久しぶりに母以外の人と話すものだから、緊張しているのがはっきりと分かる。このような状況でも、自分の内向的な性格に嫌気が差してしまう。  しかし緊張している理由はそれだけではない。これは一種の賭けだ。もしカッターを返してそのまま刺されたら終わりだ。いくら今は平気と判断しても、いつ本気になるか分からない。  だがそれだけのリスクを背負っても、彼女と会話をする必要性が今の僕にはあった。今までにない出来事が一気に起きたので、それを確認しなければならない。彼女との会話により、この呪われた時間のことが分かるかもしれない。 しかし返答は、僕の予想とはまったく異なるものとなった。現実はどうにも僕の思い通りには動いてくれない  彼女は相変わらず僕をにらみつけたままである。むしろ僕からの提案がよっぽど気に入らないのか、さっき以上に怖い顔をしている。そこまで理不尽なことを言った覚えはないのに、こうも敵意を向けられると焦らずにはいられなかった。 しばらく気まずい沈黙が流れる。そして僕を長らくにらみつけた後、僕に背を向けこの場を去ろうとする。どうやら、僕の提案には応じてくれないようだ。  「次は絶対に殺す」  最後に物騒な言葉を残していき、彼女は夢咲公園から去っていった。今回は諦めたというだけであって、僕を殺すという目的はまだ継続されるようだ。 僕はそんな彼女の後姿を見送ることしかできなかった。本来なら彼女を追いかけ、説得やら理由を聞くということをしなければいけないのだろう。しかし、今の僕にはそんなことはできなかった。  この短時間にあまりにも多くのことが起こりすぎた。僕はしばらく彼女がいた場所を見つめているだけであった。完全に脳の活動が停止している。  それから少しの時がたち、ようやく脳が活動を始めた。視線は、誰もいない場所を捉えたままである。さすがに公園に残っている気にもなれず、僕も彼女のあとを追うようにこの場を去っていった。  空は当たり前のことだが、あの日と同じような、穏やかな西日に染まっている。それでも、あの日と今日とではまったくの別物の空のように思えた。  もう何度目かになるか分からないほど見上げてきた天井。見慣れた模様を無心で眺めながら、今日の出来事を思い返してみる。改めて思い返してみても、信じられない出来事であった。  今までに話したことのない女の子から、いきなり声をかけられる。しかも前から可愛いと思っていたあの子にだ。  いや、問題はそこではない。今まで話したことのない人から声をかけられた、ということが重要なのだ。今までにそんなことは一度もなかったからである。 また、その女の子が、僕に対して明確な殺意を抱いているということも大きな問題である。さらにその原因すらも分からないときている。  同じ時間がループしているので、僕以外の人がイレギュラーな行動をとるといったことは今までなかった。しかし彼女は、自らの意志で前とは違う行動をとって見せた。  そこから考えられる答えは一つ。つまり彼女もこの呪われた時間の中で、自分の意思で行動をすることができるということだろう。僕と同じく、このループを把握しているということだ。  初めて僕以外に、この状況を理解している人と会うことができた。なんとしても話を聞きたいものだ。しかし問題は、彼女の僕に対する態度だ。  あれだけの敵意を向けられていては、ろくに彼女と会話をすることもできない。現に、さっきの僕の問いかけにも一切答えてくれなかった。  さらにどうして嫌われているかが、まったく分からないのも深刻な問題だ。記憶をたどる限り、僕と彼女は一度も話をしたこともないのだ。それでどう人を嫌いになれというのか。  確かに僕は、彼女のことは公園で見ていて知っていた。しかしそれだけであって、彼女に何かをした覚えなどない。そもそも内向的である僕には何もしようがない。  そして彼女の方も、公園にいるときは、周りには一切目をやらず、目の前の動物を描くことだけに執着していたように見えた。今日みたいに僕に話しかけてくるということもなかった。  実は周りを見ていないようで、僕の視線には気づいていた。そしてその視線が気に入らなかった。そんなことも考えてみたが、さすがに視線が不快というだけで、殺意には繋がらないだろう。  結局どうして嫌われているかなど見当もつかなかった。接点がないのだし、当然の結果である。残された手段は、彼女に直接会い問い詰めるということだけである。  だが本当に彼女と会っても問題ないのだろうか。さきほどの彼女の殺意は本物だった。今日が大丈夫だったからと言って、次も大丈夫とは限らない。去り際の言葉通り、次は本当に殺されるかもしれない。  しかし、それでも僕は彼女に会わなければならない。もしかしたら彼女と話すことで、このループから抜け出す手段が見つかるかもしれない。  それにもし、ループから抜け出すことができなくても、彼女と仲良くなれば、この世界にも退屈しなさそうだと思った。さすがに、毎日他の人が決まった行動をとるということにはうんざりしていたところだ。もちろん、そのためには彼女の敵意を取り除くという高難易度の仕事が待っているが。  やっぱり、明日も彼女と会ってみよう。大きな決意と小さな下心を持ちながら僕は決心した。  今後の方針も決まったことだし、僕はいつもより早めに布団にもぐることにした。早く寝ようが起床時間は変わらないのだが、こうした方が気持ちの切り替えがしっかりできるものなのだ。  色々なことがあり疲れていたのか、すぐに僕の意識は薄れていった。着実にで薄れゆく意識中で考えていたことは、やっぱりあの少女は可愛かったなあという、なんとも呑気なものであった。  いつも通りの時間に目を覚まし、親に声をかけられる前に下の階に行く。そして朝食を手早く済ませてから、まっすぐ部屋に戻り身支度を済ませる。  何度も繰り返してきた行動を行っていたが、ある段階で動きがとまる。クローゼットの前で困惑する。今日はどういった服装でいくべきなのだろうか。  今まではどんな格好をしていても、一日でみんなの記憶もなくなるし、身なりに気を付ける必要もなかった。そのため僕は毎回、同じ格好をしていた。 しかし、彼女は僕と同様にループのことを記憶している。そう考えると昨日とまったく同じ服装というのは、なんだか気が引けるのだ。どうせならオシャレでもするべきなのだろうか。  もちろん今までの彼女を見た感じ、僕と同様に、服装などこだわるような人間には見えなかった。むしろ、あれだけちぐはぐな格好をしているので、僕以上に服装に無頓着なのかもしれない。  それでも僕は、適当な格好をしようとはとても思えなかった。女々しい話しかもしれないが、少しでも彼女からかっこいいと思われたかったのだ。要するに点数稼ぎである。  しかしだからといって、いきなり気合の入れた格好にしてもどうなのだろうか。変に相手を意識していると思われて、逆に不快感を与えないだろうか。  結局僕は、十五分ほどクローゼットの前で悩みぬき、最終的にはいつもと同じ格好に落ち着く形となった。スウェットに無地のパーカー。このループの間、毎回使っている動きやすい格好。やはりこの恰好が一番落ち着くし楽なのだ。  ようやく支度も終わり、家を出ようとしたがここでようやく根本的な問題点に気が付いた。今日はどこに行けば彼女に会えるのだろうか。  確かに昨日は夢咲公園にいたが、今日もあそこに来るとは限らない。今まで全員が決まった行動をとっていたため、今日もあそこにくると勘違いしていた。彼女も僕と同様に、自由に行動できることを、すっかり忘れていたのだ。  ではどこに向かえばいいのだろうか。彼女と仲が良ければ行動パターンを予測することもできたが、そういうわけにもいかない。彼女が普段、どこで何をしているかなど見当もつかない。  絵をよく描いていたようだし、絵を描けるスポットにでも行くのだろうか。だがそれだと、河川敷や公園、動物園などいくらでも選択肢が浮かんでしまう。  それとも昨日の言葉通り、僕を殺そうと探し回っているのだろうか。仮にそうだとしても、それから向かう場所の予測を立てることはできない。  結局は夢咲公園に向かうしかないのだろうか。最終的にその考えに行きつく。僕と彼女の接点は、分かっている限りそこしかない。ならばそこで待っているのがベストな判断な気がする。  もちろん、彼女がそこに来る保証など一切ない。しかし今の僕は、そこで待ち続けるしか会える手段はないのだろう。どうせ時間は止まっているのだし、いくらでも待ってやろう。そう決心しながら外の世界へと飛び出していった。  嗅覚を刺激する獣臭い臭いに囲まれながら、公園内のサル舎を見て回る。少ない客に興味があるのか、通るたびに猿たちが僕の元に近寄ってくる。なんだか、僕が観察されているような気分だ。  ようやくサル舎の前の通り道を抜けて、獣臭い空気が新鮮なものへと入れかわる。公園内を見渡してみるが、やはり少女の姿は見えなかった。  朝早くに家を飛び出していったが、夢咲公園についたのは11時近くであった。満員電車に乗るのが嫌なので、歩いて夢咲公園に向かおうと思いついたのだ。  午前中からここに来るのは初めてだったが、人は相変わらずまばらである。どうにもこの場所が混雑している様子をイメージすることができない。  そしてお目当ての彼女も残念ながら見つからなかった。完全にあてが外れてしまった。そもそも彼女がここに来る確率なんて低いのだろうが、それでも落ち込む気持ちは抑えられなかった。  なんにしてもこれで彼女の手がかりは、完全になくなってしまった。他に彼女を探す手段など当然ない。  そして今からどうするか迷ったが、結局この公園に残ることに決めたのだ。いくら考えても彼女を探し出すことは不可能だし、それなら唯一の接点であるこの場所で待つことが合理的だと判断したからだ。  それに特にやることもないのだし、ここでぼんやりとしているのも悪くはない。どうせ時間はありあまっているのだ。  始めは公園内の動物を見て回っていたのだが、それもすぐに飽きてしまい、いつも通り展望デッキに腰を下ろしていた。今までに何度も動物は見ているし、公園自体が小さいので仕方のないことだ。  ぼんやりと太陽に照らされた街を見下ろしながら考えることは、やはりこれからの行動についてだ。彼女が来るのを待つとは決めたが、それがいつまでなのか見当がつかないことが問題であった。  今日来るのかもしれないし、明日なのかもしれない。もしかしたらもうここには現れないのかもしれない。考えれば考えるほど、悪い方向に思考が流されていく。  そう考えると泣きたくもなるが、他にどうすることもできない。結局今の僕には、あてもなく待ち続けるしか選択肢がないのだ。これでは堂々巡りである。  いくら考えてもどうしようもできないので、いっそのこと考えることをやめてしまおう。思考を放棄し、ひたすら遠くの景色を眺めることにした。しかし結果的に、放棄した思考をすぐに戻すこととなった。  人も少なく、動物の鳴き声だけが響く園内であったが、その中に落ち葉を踏みしめる音が混じっている。聞き逃せば消え入りそうな小さな音であったが、僕はその音にもはっきりと気付くことができた。  音の正体を確かめるため顔を向けてみると、昨日とまったく同じ格好をした彼女がそこに立っていた。彼女の瞳は明確な敵意を持って、僕を捉えている。  若干彼女と会うことを諦めていた僕にとっては、この上なく喜ばしい事態であった。それに服装も彼女の状態を察するに、気にする必要もなかったと、どうでもよいことが脳裏をよぎった。  しかし会えたからといって、油断することはできない。昨日の彼女は、僕に敵意を持っていたのだから。そしてその雰囲気は今日の彼女からもはっきりと感じられる。  「やっぱり君も、記憶を残して時間を繰り返しているよね?」  僕が聞きたいことの一つを問う。彼女は沈黙を貫く。そして手元には昨日と同じカッター。どうやら、とことん僕の言うことには耳を傾けないらしい。  カッターを向けている少女は、やはり怯えた目で僕を見つめている。透き通った肌が、瞬く間に青白く変化していく。  「そんなに僕を刺すことに怯えているのに、どうして僕を殺そうとするの? それに僕は、君に殺されるようなことをした覚えがないんだけど。君が僕を殺す理由を教えてくれないかい?」  声色が変わらないよう努力しながら彼女に問いかける。  彼女は変わらず沈黙を貫く。そしてようやく決心がついたのか、のろのろと僕の元へと向かってくる。相変わらず、幼い子供ような歩幅である。  しかし、昨日の様子とまったく変化がないことから、彼女が僕に危害を加えることはできないだろうと推測する。本当に殺害の決心がついたのなら、もっと思い切って近寄ってくるだろう。  僕は思い切って自分から彼女の元へと近づいていく。予期せぬ事態に彼女が、体を強張らせている。そんな彼女に構わず近寄り、彼女からカッターを取り上げる。これで昨日とまったく同じ状況だ。  「じゃあ改めて聞くけど、君はどうして僕を殺そうとするの?」  カッターを取り上げ、悠然と語る姿が勘に触ったのか、彼女から鋭い視線が注がれる。至近距離から浴びる敵意に、思わず半歩引き下がってしまう。  それからしばらく僕をにらみつけた後、彼女は何も言わずに僕の元から立ち去っていく。完全に昨日と同じ流れに、思わず笑ってしまった。  もしかしたら、これも周りと同じようにただ繰り返されているだけなのかもしれない。そう思えるほどであった。  そんなことはきっとないだろう。いや、そうあってはほしくなかった。せっかく繰り返されていない部分を見つけたと思ったのに、これが勘違いであったら、あまりにも悲しすぎるではないか。  なんにしても、昨日今日とこの場所で彼女と会うことができたのだ。それなら毎回ここにいれば、何かしらの情報を得ることが出来るだろう。それが分かっただけでも大きな進歩である。   分からないことはまだまだたくさんあった。それでも僕はここに通い続けよう、そう心の中で改めて決心した。  それから彼女と僕の間に進展が訪れたのは、あの誓いから一週間後のことであった。もっとも、一般に想像される青春的な進展とは言えないのだろうが、僕からしたら大きな変化が訪れたのだ。  あれからというもの、僕は誓いの通りに、毎日夢咲公園に通い続けた。しかも彼女と会えないのを避けるために、昼前には公園に訪れるようにしていた。  もちろん電車に乗るのが嫌いな僕は、徹底的に電車で夢咲公園に向かうことをさけた。その結果として、僕は自転車で公園に向かうようになった。  毎日目的があり、そこに自転車を走らせる。一見ありきたりなことであるが、繰り返される時間の中で、不摂生な時間を過ごしてきた僕には、とても効果的であった。以前よりも、心も体も健康になった気がする。もちろん、健康面については変化などないはずであるが、そう思えた。  公園についてからは、一通り動物を見て回り、それからいつもの展望デッキへ。そして彼女が現れるのをひたすらベンチに腰掛け待ち続けた。  彼女はやはり僕を殺しにこようと、毎日展望デッキに現れた。ここに来る時間はまちまちであったが、それでも彼女がここに来ないという日はこの一週間で一度もなかった。よほど僕のことを殺したいのだろう。  そして初めて会ったときと変わらず、僕にカッターを向ける。もちろんそのカッターは僕の体を貫く前に、僕の手元に収まる。身の危険が去った僕は、彼女に話しかける。それに対して彼女は沈黙を貫く。そしてそのまま僕の元から立ち去っていく。  初日と二日目と同じ流れを、ひたすら繰り返すだけであった。それでも僕は懲りずに公園に通い続けて、彼女に問い続けた。それから変化が訪れたのがあの日からちょうど一週間後ということである。  その日もいつも通り自転車にまたがり、夢咲公園へと向かった。そして向かう途中にあるコンビニで、昼食を適当に買っていく。ここ数日間は彼女を見逃さないよう、公園内で昼食をとるようにしていた。  これもちょっとしたピクニック感覚になって、最近は楽しみの一つになりつつある。これが彼女と一緒ならさらに嬉しいのだろうけど、あれだけ敵意が向けられていては無理だろう。そんなことを考えながら、青空の下自転車を走らせる。  自転車を駅の近くに止め、それから公園までは徒歩で。しばらく歩いてから住宅街の隙間にある、公園に続く階段を昇り公園へ。公園は当然変わることなく、人混みとは無縁な場所であった。  園内を一通り見て回ってから、いつもの展望デッキへ向かう。最近は動物たちも見飽きてきたなと考えつつ、ぼんやりと青空を眺めていた。  それから時間はのんびりと過ぎていき、ちょうど昼ご飯を食べ終えたあたりで、彼女は展望デッキに現れた。時間は多少前後するが、彼女はだいたいこの時間帯に現れる。  そして真っすぐ僕の元へ向かってくる。彼女が周りを見渡すことなくすぐさまこちらに向かってくるあたり、いい加減僕の行動パターンも理解してきたと考えられる。  彼女はいつも通り僕の前まで来て、カッターを向ける。それから躊躇している隙をついて、僕は彼女からカッターを取り上げる。この作業も随分と手慣れてきた。  刃物を取り上げられた彼女は、先程より強い敵意をもって僕をにらみつける。最近ではこの目線にも慣れてきた。  やっぱり今日も、話せそうにないかな。  彼女に言葉をかけるかどうか迷ったが、今回はなぜだかそんな気になれなかった。僕は彼女が次に起こす行動を待つことにした。いつもならこのまま彼女は、なにも言わずに立ち去っていく。  しかし今回は、いつまでもたってもここから立ち去ろうとしなかった。しばらく様子を見ていたが、敵意の裏側になにかを考え込んでいるようにも思えた。  「……この無茶苦茶な状況を早く戻して」  彼女は長い沈黙の果てにひと言そうこぼした。思えば彼女に、殺す以外の言葉をかけられたのはこれが初めてであった。彼女の声は、鈴のように心地よく耳の奥をくすぐる。  ようやく話が通じたと、僕は安堵の息を心の中で吐きだす。しかし同時に、新しい疑問点の浮上も示している。この機会を逃すわけにはいかない。  「この状況を戻してというけど、僕だってどうしてこんなことになっているのか、さっぱり分からないんだよ」  「嘘つかないで。あなたのせいでこんな状況になってるんでしょ」  彼女は一歩も引く様子はない。彼女の言葉からも、自分は真実を述べているだけだという自信だけが感じられる。  しかし疑問点がある。彼女はどうしてそこまで自信を持って言い切れるのだろう。そもそもなぜ僕のせいで、時間が繰り返していると思ったのだろうか。  確かに僕があの日、男に殺されてからこの呪われた時間は始まっている。僕の本能がなぜだかそう告げているし、僕自身それがきっかけだと思っている。  そして次に僕が死ぬ時が、この時間の終わりだということも心の奥底では感じている。もしかしたら打開策があるのかもしれないが、現状では僕が死なない限りこの時間は終わらないと考えている。  しかし彼女は僕が一度殺されたことなど知らないだろうし、それがきっかけだと判断することはできないだろう。そもそも彼女はどうして僕のせいだと考えるようになったのか。そういったことも含めた、認識の共有化というものが今の僕らにはもっとも重要だと思えた。  「参考にまで聞かせてほしいんだけど、どうして僕のせいで時間が繰り返していると思ったの? どうも互いに情報不足な気がしてならないんだけど……」  僕の問いかけに彼女はしばらく黙りこむ。まずはそれだけでも知れたら大きな進歩なのだろうが、彼女が答えてくれるか不安になってきた。  「理由は……よく分からない」  沈黙を打ち破るように発せられた言葉に、思わずへっと気の抜けた声が漏れる。正直なところ、彼女なら僕の知らないことを知っていると期待していた分、あまりにも予想外なその答えに驚きを隠せなかった。  「なぜだかよく分からないけど、そんな気がするの。ただそれだけ」  彼女はぼそぼそと根拠を述べているが、それは根拠にはなりうるものではなかった。しかし、その感覚には僕自身、大いに覚えがあるものだった。  「君が言いたいのは、なんか本能が告げてるとかそんな風に感じるってことでいいの? あるいはただの直感?」  僕の問いかけに、彼女の表情がかすかに揺らいだ。僕はそれを肯定とみなして言葉を続ける。  「たぶん君が思っていることは、正しいんだと思う。僕自身、君と同様に次に僕が死んだらこの状況は終わると感じるんだ。そう思うからこそ、君は僕のことを殺そうとしたのかい?」  彼女はしばらく沈黙してから微かに頷いた。今度は確かな肯定である。  「なるほどね。だけど申し訳ないが、君の願いに答えることはできない。わがままな話だろうけど、僕は死ぬことが怖いんだ。だから当分は死ぬ気はないんだ。しばらくはこのまま我慢してくれない?」  僕の一方的なわがままに彼女は、不快だといわんばかりに表情をゆがませる。まるで、親の仇でも見るような視線を僕にぶつけてくる。  「ならあなたは、今すぐ私が殺す」  改めて敵意をむき出しにしてきた彼女であるが、残念ながら手元にカッターはない。そのことに気が付いた彼女は、恨めしげに僕の手元を見つめる。  それからしばらくどうするか悩んだのちに、彼女はいつも通りなにも言わずに僕の元から去っていった。進展があったと思ったが、やはり最後の形は変わらないらしい。  別れもなく去られるのはいい加減やめてもらいたいものだが、それ以上に彼女と話が出来たことが大きな進展だ。そしてなにより、わずかであるが情報交換をすることも出来た。これが一番の収穫だ。  彼女と話したことにより、分かったことがいくつかある。まずはこの呪われた時間が繰り返されるのは、次に僕が死ぬまででほぼ確定だということ。  僕個人が第六感のようなもので感じるというだけなら信憑性にかけるが、似た境遇の人間もそう感じているのなら、おそらく事実なのだろう。  それと彼女が僕と同じく、時間の繰り返しを認識できているというのも確実になった。もしかしたら他にも同じような人がいるのかもしれない。  ただ理解が出来ない点もいくつか浮き彫りになった。まずは、僕と彼女が感じる本能のようなものである。  僕だけがそう感じるだけなら、あり得ない話ではないのだろうが、それが二人とも感じるとなるとどうもおかしい。しかし、こればっかりは理屈など説明できないような気がするのも事実だ。  そしてなにより気になるのが、彼女がなぜあそこまで時間を進めることに固執しているかである。  もちろん何度も同じ日を繰り返すのには飽きてきていたし、自分の行ったことが一日でリセットされるのは精神的にまいる。しかしそれを差し引いても、彼女の僕に対する殺意は異常な気がする。  あれは、単調な日々に嫌気がさしているだけではないような気がする。もしかしたら、それこそが彼女が僕を殺すことに怯えている理由につながるのかもしれない。しかしそればっかりは、彼女に直接聞いてみないことには分からない。                「……絶対に答えてくれないだろうな」  思わず諦めの言葉が口からこぼれる。改めて彼女と話してみたが、僕は想像以上に彼女から嫌われているようだ。  あれだけ嫌われていたら、僕を殺すのに怯えている理由を聞くどころか、まともな会話さえ難しそうだ。ましてや楽しくピクニックなんて夢のまた夢だ。  今朝の妄想が叶いそうにないと思い、改めて深いため息をつく。どうやら僕は、自分で思っていた以上に、彼女との進展を望んでいたらしい。  繰り返される会話にうんざりしているのもあったし、なにより正常な人間関係に飢えているのだろう。そんな中、現れた彼女に期待してしまうのは仕方ない話だと思う。  しかしそれが叶わぬ夢だと分かったのだ。それで落ち込まずにはいられなかった。どれだけ頑張っても、彼女と仲良く談笑している姿など想像できなかった。それどころか、彼女の笑顔すら想像できない。  再びでかいため息がこぼれる。そんな僕の気持ちを知る由もなく、カラスが遠くで鳴き声を響かせている。なぜだか馬鹿にされているような気持になり、余計に気持が落ち込んでいく。
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