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ああ、死ぬんだ。死ぬんだ。死んだら、翔くんに、守ってもらえないよな。
翔くんは、どんな顔で、私の死骸を見つめるだろう。
みょうに落ち着いた快感と、黒いパンプスの悲鳴を聴きながら、最期、身体をよじって、振り返り、私は目を細めた。
最前列。みんな、息を飲んでいる。
半袖のワイシャツ。ノースリーブのニット。
けむくじゃらの銀の腕時計。
黒のキャップ。グレーのパンツ。
あれ、このひと、息を、味わってる。
丸襟シャツ。右耳のピアス。白の、ワイヤレスイヤホン。アーモンド型のひとみ。
誰かと思えば、見たことある人。
人生最後に目に入ったのは、翔くんの顔だった。
駅のホーム、私が立っていた場所から、少し離れたところ、棺桶の入り口の意識の中、すぐにわかった。
満足げで、私を心配そうに見つめる、あの、ひとみ。
なるほど、やっぱり、そうだったんだよ。
広いテラス席の、椅子に立て掛けられた、あの松葉杖が、目尻に灯る。
だって、翔くん、あの子に、言ってたんだよな。
自分がいくら、何かを守っても、愛を注いでも、壊れるときは一瞬で壊れるんだよ、って。
無差別殺人。命を奪う事故。予想だにしない災害。しずかに襲う病魔。
自分がおくった見返りのない情は、偶然の出来事にあしらわれて、うたかたのように消える。
でも、じつは、翔くんは、それを望んでいるのだと。
なぜなら、翔くんは、自分のいのちに納得がしたい。
ああ、自分のしたことは、やっぱり意味がないんだな。自分一人がどう行動しても、なにを考えても、感じても、世の中、なにも、意味がないんだと、思いたい。
このなんてことない日々の無力感を、どうしても、肯定したい。
せいいっぱい、なにかを守ったとしても、それがすべて無に還るような、仕方がない運命が、かならず存在することを、自分は望んでいる。
だから、翔くんは昔から、ひとしお大事にしたものに限って、ついつい、自分で壊してしまうんだって。
たしかに、あの手紙に、書いてあったよな。
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