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 「あの……」  処置室から飛び出してきた看護師の表情が、怖いくらいに真剣だったから、あたしの声は宙に浮いたまま、どこにも届かない。  壁も床も天井も一面の白で覆われた廊下。ここは病院。  専務はあたしが今座っているベンチの向かいの処置室に吸い込まれたまま出てこない。あたしは手を組み、祈るしかできない。  庭で倒れている専務をみつけたあたしは、社長の携帯に電話することだけは思いついた。電話で社長は、救急車を呼んで、と指示してくれた。社長はいま新幹線の中で、Uターンに時間がかかる。  年配の看護婦が、あたしに言った。 「緊急措置はしているけど、本格的な治療に入るには、家族のサインが要るの」  あたしはまた唇を噛む。あたし、何もできない。ただここで社長を待つしかない。  イタリアンスーツを着た男が近づいてきて、あたしの前で止まった。誰、この人? 「篠原くん、ありがとう。大変だったな」  え、社長? 社長の見た目がまるで違っていた。髪はきちんと櫛が通り、髭は剃り落とされ、高級そうなフレームの眼鏡をかけている。こんなの今まで見た事ない。 「どうした? 処置室はどっち?」  社長は若い医師と廊下で話しこむ。二人とも深刻な表情で、医療用語が飛び交っている。  医師と話し終わって、社長はあたしの隣に腰を下ろした。 「専務は助かるんですか?」 「今夜が山だと、言っていたよ」 「専務は、何の病気なんですか?」 「腎不全なんだ」  腎不全とは、腎臓の機能が低下して体から発生した老廃物をおしっこに排出できなくなってしまう病気だそうだ。老廃物を体内に溜めこんだままだと、人は死んでしまう。 「だから、人工透析に通っていた。週三回」  人工透析とは、腎臓の代わりをする装置と血管とをつなぎ、機械によって血液中の老廃物を除去する。透析は時間がかかる。一回につき四、五時間、装置につながれ、それを週三回。その間動くことができない。フルタイムの仕事は辞めざるを得なくなる。 「この病気の怖いところは、見た目全く普通に暮らしているのに、透析を止めると死んでしまうところだ。ほとんど何の自覚症状もなく生活していて、ある時突然パタンと倒れる。ところが専務は前回の透析を受けていない」 「透析するの忘れていた?」 「いや、自殺かも知れない」  あたしは息を呑んだ。社長はじっと病院の床を見つめている。
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