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 食べ終わって、片づけをする専務を手伝う。「専務」という語感と、朝食の片づけという作業が合っていない感じがするが、しかたがない。だって、この二人は「社長」と「専務」としか呼び合わないから。  専務は、庭から花を摘んできて花瓶に活けていた。生け花なんてわからないけど、きれいだと思った。それから家中の掃除をする。徹底していて、磨き上げるようだ。そして庭の草木の手入れ。雑草をむしり、伸びすぎた枝は梯子に上って鋸で落とす。 「篠原さん、社長にお茶を持って行って」  お盆ごと部屋の前に置いて、お茶置いておきます、と声をかけるだけでいいから、と専務に言われた。  それなら楽勝じゃん。あたしは社長の部屋の障子の前にお盆を置き、声をかけた。それで立ち去るつもりだったんだ。  障子が少し開いていた。あたしは、隙間から中を覗いた。机に向かっている社長の背中。大きな机の上には二台のモニタが光っている。何よりも目を奪われたのは、社長と机を取り囲む膨大な本だった。あたし、こんな沢山の本は、図書館か本屋でしか見たことない。 「何か用?」  振り向きもせず、社長から声がした。仕事の邪魔をしてしまったらしい。あたしは慌てて、その場を離れた。でも何の仕事をしているんだろう? ビジネス的な会話はほとんどない。家のことは全部専務に任せていて、やる気がないみたい。専務は時々怒っていた。 「わたし、これから出かけなくちゃいけないから、篠原さんは自由にしてていいからね」  一人になって、居間のソファに座った。体中の疲労が全部ソファに吸いとられていく感じ。そよ風に揺れる中庭の木々の葉音が届いている。あたしは深呼吸をした。  この家は社会から切り離されていて、穏やかにいられるような気がする。無理しないで、本当のあたしになれるだろうか。ずっと、このままで、ここにいたい。  でもきっと、それは無理だ。得体の知れない少女をいつまでも置いてくれる家はない。じゃあ、本当のこと、全部打ち明ける? そうしたら家に連絡して送り帰してしまうだろう。冗談じゃない。涙が出てくる。
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