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愛猫のナナが死んだ。毎日毛づくろいされていた体毛が、もう労れることはないとわかっているかのように、主の体に寄り添いしなびていたことをよく覚えている。
当時まだ八歳だった僕は、学校に行っていたため彼女の死に目にあえず、泣いて泣いて登校拒否にまでなってしまった。ペットロスというやつだ。
そんな僕を見かねたのだろう。同居していた祖父が言った。
「ナナに手紙を書いてみるのはどうだろう」
それは元郵便局長の祖父らしい提案だった。ナナの写真アルバムを抱えていた僕に、祖父は子ども向けのレターセットと鉛筆、クレヨンなどを持ってテーブルに並べてくれた。
「伝えたいことも伝えられんで、逝ってしまわれるのは寂しいもんなぁ。じいちゃんが、天国のナナに真治の手紙を届けてやる」
「ほんと? じーちゃん、ナナに届けてくれるの?」
「うん、届けてやるさ。じーちゃんはなんせな、元郵便局長だぞ。協力してくれる人なんて、わんさかといる」
祖父がそう言うのならそうなのだろう。
祖父、両親、そして僕の親子三世代で暮らしていた我が家だが、祖父はその中であまり主張せずに慎ましく過ごす、静かな存在だった。よく出かけていたので家にはあまり居らず、散歩の帰りに惣菜やちょっとした花などを買ってきてくれた。祖父がその日、外で誰と会い、何をして過ごしていたのかは僕も両親も、きちんと把握はしていなかった。
だからこそ彼のプライベートは秘密めいていて、何かすごいことをしていそうな発言にだって真実味を帯びていた。──まあ、子どもの目から見て、だったが。
祖父に促されて書いたナナへの手紙は、便箋を五枚も使う大作となった。読書感想文よりも丹念に丁寧に書かれたそれを、封筒に入れてのり付けをしたのちに、あることに気づいた。
「住所は、どうすればいいの?」
「ああ、大切なことに真治はよく気がついたな。えらいぞ」
祖父は僕の頭をがしがしと撫でた。僕が何か質問すると祖父は必ず「よく気がついたなぁ」とまず褒めてくれた。それが僕にとっては嬉しかったので、質問ばかりする面倒くさい子どもとなっていたことには後々に気づく。
「住所はなぁ、ここだ」
祖父がさらりとチラシ裏に書いた住所は『天国ねこの村 ナナ様』。僕はそれを見本に、封筒に書き始めた。
「これだけで着くの? 番地はいらんの?」
「いらんいらん。天国ではな、手紙はきちんと届けたい人の元へ届く。大丈夫。安心しい」
子ども心ながらに、これは祖父が自分に対してしてくれている慰めなのだ、と理解していた。天国に手紙など、届けられるはずもない。サンタクロースの存在も薄々気づいていた僕にとって、祖父のその優しさを汲み取ることなど朝飯前だった。
大人の優しさは嘘でできている。でもそれが心地よいことにも、気づいていた。
それに手紙を書くことによって、ナナへの気持ちを浄化できた僕は落ちついていた。祖父に住所を書いた手紙を渡し「切手もいらないの?」と子どもらしい疑問を投げかけることも忘れなかった。
「切手はいるな。じいちゃんが貼って、投函しておこう。大丈夫、しっかり送っておくからな」
そうして僕のナナ宛ての手紙は、祖父に委ねられた。その手紙が本当に投函されることはないのだろうと、幼いながらに僕は理解していたのだった。
それが僕にとっての祖父の思い出。普段は忘れているその記憶を思い出すのは、ずっと先のことになる。
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