二人だけの国

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 日曜日の午後、香織は清豊と祖母の家にいた。  整理を終え、ほとんど何も残っていない家に何しに行くのかと不思議がる母に、取り壊す前にもう一度行っておきたいと香織が言うと、母は神妙な顔で、鍵を渡してくれた。  祖母の家は、もう住む人がいない、ということで、近いうちに取り壊されることになったのだ。 「立派な家だなぁ」  清豊は門の前で、祖母の家を見上げ、感嘆した。 「まぁね。壊してしまうのはもったいない気がするけどね」  香織も並んで見上げながら、そう言った。  祖母の息子三人は、自分の家を建てている。少し便が悪く、古い祖母の家に、だれも移りたがらなかった。  この家を見るのも、これが最後かもしれない。  家に入ると、長い間不在にしていた家特有の匂いがした。くさいわけではないが、誰もいなかったということを、際立たせる匂い。  その匂いが、家人の匂いを消していく。  玄関を上がり、暗い廊下を歩くと、ギシリ、ギシリと廊下が鳴った。このあいだの、遺品整理の時は気にならなかったが、二人だと音がやけに響く。  祖母の部屋に入ると、鏡台と文机は残っていた。誰も形見として持っては行かなかったらしい。 「ああ、これこれ」  香織は文机の引き出しを開き、奥に入れられていた木箱を取り出した。机の中の紙のものは、祖母の遺言により全て処分されていた。残っているのは、あの手紙だけだ。 「この木箱はまだ残ってたんだ」  香織はそう言いながら、木箱を清豊に渡した。清豊はそっと蓋を開けてみたり、裏返したりしていたが、すぐに香織に返してきた。  祖母の家に来てみたものの、母の言うように、ほとんど何も残っていない。ここから近真二朗につながる何かを探しても、何か出てくるとは思えなかった。  香織は鏡台の前に座ってみた。祖母は歳をとって家から出なくても、毎朝綺麗に化粧をする人だった。香織が物心ついたころからずっとあるその鏡台の鏡は、祖母が生きていたころはいつも綺麗に磨かれ、祖母の顔を映していた。その鏡にはうっすら埃が張り付き、今香織の顔をぼんやりと映している。 「あれ?」  清豊が急に声を上げたので、香織はそちらを向いた。清豊は眉間にしわを寄せて、文机の引き出しを何度も開け閉めしている。 「どうしたの?」  香織が尋ねると、清豊は頭を掻いた。 「この引き出し、何かが引っかかるんだ」 「古いからじゃない?」  その文机も最初からある。きっと嫁入り道具だろう。 「んー」  曖昧な返事をして、清豊がそっと引き出しを引っ張った。ズズズッと引き出しが抜ける。 「あ」  その奥の面を見て、二人は同時に声を上げた。封筒が張り付けてある。  香織は飛んでいって、封筒の中を覗いてみた。やはり封はされておらず、中には一枚の写真があった。 「え?なに?」  思わず出た言葉には、戸惑いと恐らくトゲも含まれていた。  白無垢の女性と羽織袴の男性。二人が並んで座っている。どうみても結婚式の写真だ。花嫁は綿帽子を被り、少し俯いているので分かりにくいが、恐らく祖母だと思われた。祖母の若いころの写真を見たことがあるが、その面影があった。しかし、花婿の方は…… 「この人、おじいちゃんじゃない」  花婿は正面を向いていたので、はっきり顔が分かった。祖父は丸い顔で目尻も眉も下がり気味だった。写真の男性は目はどちらかというと細く、切れ長だ。顎の線もすっと細かった。それに…… 「この二人若いよね。多分わたしたちと同じくらい」  祖父母が結婚した歳を正確に知っているわけではないが、終戦後だと言っていた。それなら二十代半ばは過ぎている。  写真の二人はまだあどけない顔をしていた。おそらく二十歳は越えていない。 「この人はおばあさんなの?」  清豊が花嫁を指して訊いてきた。 「うん、そうだと思う。でもこの人は、絶対におじいちゃんじゃない」  香織は花婿を指して言った。清豊はうん、と一つ頷いた。 「おばあさんが再婚だったって話は?」  当然の質問に、香織は首を横に振った。 「聞いたことない」  どういうことだろう?  香織は写真と手紙を木箱に入れて、家まで持って帰って来た。しかし、まさか父に聞くわけにはいかない。あんな風に隠してあったのだ。秘密だったに違いない。  父はリビングの机に、何やら名簿を広げていた。腕を組んで難しい顔をしている。 「何してるの、父さん?」  香織が声をかける 「ああ、おかえり。おばあちゃんの四十九日も終わったしな、そろそろお礼状を送ろうと思ってな」 「ふーん」  何気なしに、父がまとめたという葬儀と通夜の参列者名簿を見ていると、香織はあることに気が付いた。 「新潟からも来てるね」  祖母は祖父と一緒になってからずっと、静岡に住んでいた。新潟とは縁がない、と香織は思っていた。 「ばあさん、新潟の出身だったって知らなかったか?」 「え、そうなの?」 「関川村ってところ。じつは俺も行ったことがない」 「へぇ」  興味を覚えて、パラパラと名簿をめくっていると、香織の手が止まった。  近真二朗  その名前は、堂々と名簿に明記されていた。  新潟県岩船郡関川村……  香織は興味を失くしたようにすっと立ち上がった。  部屋に戻ろうとする娘に、父親が声をかける。 「おい、早く風呂に入っちゃえよ」 「うん」  香織は素直に返事をして、自分の部屋に上がった。  部屋に入り、ドアを閉めると、今覚えたばかりの住所をすぐに紙に書き写した。父親の前でメモったり、写メを撮ったりは出来なかった。無事に書き終えた紙を、木箱の中に入れた。  木箱を胸の前で抱きしめた。  本当にいた。近真二朗。  そして、彼は生きている。
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